初午の日に温泉が湧くとは縁起がいいな
さて、2月最初の午の日は初午(はつうま)だ。
これは稲荷社の本社である伏見稲荷神社の祭神である宇迦御霊神(うかのみたまのかみ)が伊奈利山へ降りた日が和銅4年(711年)の初午の日だったことから、その日に「初午祭(はつうまさい)」が催され、伏見稲荷大社に「初午詣(はつうまもうで)」をするようになり、その後、農村で行われていた豊穣祈願にお稲荷さんが関わることになったんだ。
本来はお稲荷さんというのは「稲生」様や「稲成」様で稲を中心とした五穀豊穣の神様だったから、立春以降の最初の午の日に行われるものだったのらしいけどな。
なのでこの日の農地の稲荷社の参堂には、鋤や鍬などの農具や脱穀用の工具、果樹の苗木などの出店もでて賑わう。
江戸時代ではお稲荷さんは農業だけでなく、養蚕、漁業、林業などの他の産業や商売繁盛の神様でもあるのでこの日は吉原でもお稲荷さんを祀るんだな。
そして、江戸時代ではこの日から子供は手習いを始めることがおおい。
この日は初午団子や油揚げを作り、それをお供えし子供たちが集まって太鼓をたたいて、その年の豊作、豊漁や商売繁盛を祈ったのだ。
初午だんごはもち粉、そば粉、小麦粉をまぜてねったもので、蚕の繭の色形をした団子のこと。
ぜんざいに入れて食べたり、焼いて醤油やきなこ、ゴマダレなどで味付けして食べたりする。
そしてお稲荷さんと言えば切っても切れないのは油揚げだな。
油揚げがキツネの好物とされた由来ははっきりはしないがキツネの好物はネズミの油揚で、殺生を禁じた仏教の影響でかわりに豆腐の油揚げを供えたものらしい。
油揚げ自体は豆腐や湯葉と共に禅宗の精進料理として室町時代に出来上がって庶民の口に入るようになったのは江戸時代からだ。
とは言え油揚げもまだまだ安くなく油揚げの一枚の値段が10文(およそ250円)豆腐は21世紀のものよりかなり大きくて、今の4倍くらいの大きさがあるが一丁100文(およそ2500円)くらいだ。
なので豆腐は大名などが食べる高級食材なわけだな。
そして元は5つ有った吉原の稲荷社は1つに合祀して南西の裏鬼門へ移転させたが当然今日は大混雑をしている。
そんなかで豆腐屋から買った油揚げをもって俺と妙は稲荷社にそれを捧げにいく。
「お稲荷様、どうか今年も吉原が繁盛しますように」
そして、余分に買った油揚げを酒と溜と砂糖で甘辛く煮たものに酢飯を詰めたいわゆるいなり寿司を、きな粉を付けた初午団子と一緒に皆で食べる。
「お、この油揚げ、うまいでやんすな」
いなり寿司は遊女たちの評判もいい。
ちなみにこの時代では油揚げはわさびを入れたたまりにつけてくっていた。
まあ、それはそれでうまいが子供が気軽に食べられる味ではないよな。
「これ甘くて美味しいね」
「うん、美味しいものが食べられて私達幸せだね」
禿の朝顔と芍薬がニコニコしながら仲良く稲荷寿司を食べている。
正月そうそう家の事情で売られてきた二人だが家よりもいいものを食ってるんじゃないかな。
まあ、禿や新造は大部屋に雑魚寝だが仲のいい人間がいればそれもそんなに辛いものでもなかろう。
そんなところにやってきたのは井戸掘り職人だ。
「三河屋の旦那!
黒水が出ましたぜ」
「おお、本当か、そりゃいいことだ」
俺は黒湯の温泉を井戸掘職人に掘らせていたが、どうやら掘り当てることができたらしい。
まあ、職人が黒水と言ってるように水温は25度くらいしか無いから改めて沸かしてやる必要はあるんだけどな。
現場に到着すれば深い穴の奥からチョロチョロと黒い水が湧き出ているのが見えた。
「おお、本当に黒湯だな」
浅草付近は割りと湧水が多く浅草寺の境内にも何ヶ所か湧水があって、基本飲用はできない手洗いようなのだが、それと似たようなものだろうか。
とりあえずいつもの銀兵衛親方に温泉に入れるようにするための小屋を作ってもらうことにする。
「とりあえずはお湯を貯められる池のような湯殿。
湯に入っている人間を 周りから見えないようにする柵。
男女の湯を分ける仕切り。
その手前に男女別の屋根付きの脱衣所があればいいぞ。
あと黒湯井戸に間違って落ちないようにその周りにも柵を作ってくれ。
それから水を温める池は人間が入る場所の裏手に別に作って溢れた湯は下水に流れていくようにしてくれ」」
親方は頷いた。
「まあ、それでしたら三日もあればできますな」
俺は言葉を続ける。
「じゃあよろしく頼むぜ」
親方はもう一度頷いた。
「わかりやした」
そんなわけで吉原のど真ん中に露天の黒湯天然温泉ができたわけだ。
もちろんここは美人の湯として売り出すがそのままでは水温が低すぎるから、内湯で使ってる風呂釜代わりの鉄砲風呂のお湯をわかすための鉄の筒も用意する。
水に浸した筒の中で炭や石炭を燃やせば筒が熱せられて水も暖められるというわけだ。
もちろん筒には取っ手がついており筒を水の中にいれたりだしたりすることである程度は水温の調整も可能だ。
そして3日で親方はきっちり小屋を作ってくれた。
「おお、さすがだな親方」
「あったりめえよぅ」
炭代などもかかるので入浴のための金は取るが料金は湯屋と同じで一回はいるのに大人は8文(約200円)、子どもは無料。
一ヶ月何度でも入れる「羽書(はがき)」は1ヶ月140文(約3500円)で一日何度でも入浴することができる。
まあ、最初に入るのは三河屋の女たちなんだけどな。
「若旦那、これに入ると肌がツルツルになるってほんまですの?」
桜がそう聞いてくる。
「ああ、そうだぜ」
俺はそう答える。
「なら毎日でも入りに来たいでんな」
藤乃がそういって桜と二人一緒に入っていく。
「わーい、広いお湯ー」
「広い温泉はいいよね」
「うん、いいよね」
桃香たち禿も楽しそうに入っていく。
「この温泉に入ると綺麗になれるんだって 嬉しいねお姉ちゃん」
「うん、そうだね」
茉莉花と鈴蘭も仲良く入っていく。
「美人の湯だなんて嬉しいねえ」
「そうですねお母様」
母さんと妙も入っていく。
「さて俺も入るか」
男湯に入るのは俺だけだから少しさみしいな。
女湯ではきゃあきゃあ騒ぎながら女たちが温泉につかっているようだが、こっちは広い温泉を独り占めだ。
上を見れば青い空が広がっている。
「ま、たまにはこういうのもいいか」
吉原の露天風呂というのもそれはそれで乙なもんだぜ。
そして温泉から上がった湯上がりの見世の女たちを見る通りがかりの遊女や女も羨ましげに見えるな。
そして翌日は西田屋や十字屋、小店や切り見世の遊女にも開放し、更にその翌日には普通に吉原全体に開放したが、やはり圧倒的に多いのは女の客だった。
「まあ、美人の湯となれば女はみんな入りたがるよな」
まあ見世の始まる前の時間以外はそこまで混むわけでもないが、施設は徐々に拡張していったほうがいいかもな。
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