1月11日は鏡開きに蔵開き、初鍬もあるから米の塩水選別もやってもらおうか

 さて、松の内が過ぎて1月11日になると鏡開きや蔵開きが行われる。


 鏡開きは、正月に年神様に供えた鏡餅を下げて焼いて食べる21世紀現代でもやっているあれだな。


 江戸時代の武家では甲冑を納めた櫃を開く具足開きに伴い具足に供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し、これを刃柄(はつか)を祝うといった。


 具足は基本的には革製品なのでたまに開けて手入れしてやらないとかびてしまったりするのだな。


 また、女性が鏡台に供えた鏡餅を開く事を初顔(はつがお)を祝うといった。


 初顔も二十日(はつか)にかける縁語なんだな。


 で、鏡餅という名前の由来は本来は鏡台に備えた餅だからその名前がついたわけだ。


 本来は語呂合わせの意味もあって鏡開きは1月20日に行われていたが、先代将軍の徳川家光が亡くなったのが慶安4年(1651年)4月20日 であったため、20日は忌日として避けられ、1月11日とされたそうだ。


 江戸城ではこの日には重箱に詰めた餅と餡が大奥にも贈られ、大奥の女性はあんころ餅や汁粉などにして食べているらしい。


 で、なんで餅を割って食べるのかというと、刃物で餅を切るのは切腹を連想させるかららしい。


 なので固くなった餅を木鎚で叩き割ったわけだが「切る」とか「割る」という言葉は不吉とされたのでその名前は避けられて開くというようになったそうだ。


 なので、見世の部屋などに飾った鏡餅を今日は割って食べるわけだ。


 蔵開きは年明け初めての蔵を開く儀式で江戸時代では大名などの武家が初めて米蔵を開くことをいう。


 商家では2日の初売りで蔵を開いてしまうのでこれは基本的には武家の習慣だが21世紀現代でも酒造の蔵元などは酒蔵を初めて開ける日を蔵開きというな。


 各酒蔵が秋から冬にかけて仕込んだ新酒の試飲や、火入れをしていないしぼりたての新鮮な酒や甘酒が売られたり、酒粕が分けられたりする日でもあるのだ。


「ほれ行くぞ」


 木槌で固くなった鏡餅を叩き割ってそれを汁粉にして皆で食べる。


 雑煮は松の内に間に食べ飽きたからあえて汁粉だ。


 蔵開きの祝で清酒や甘酒も一緒に飲むぞ。


「まあ、青カビが生えた部分は少し広めに捨てないとやばいけどな」


 そういって青カビがついてる部分を広めに取り除いて言う俺に妙が首を傾げた。


「そうなのですか?」


 俺は妙の疑問に頷いて答えた。


「ああ、カビは見た目よりずっと根っこが深いんでな」


「もったいない気はしますけどね」


「だからって食って腹を壊しちゃ意味がねえからな」


「たしかにそうですね」


 カビ毒は加熱しても毒性が失われずガンの原因にもなるらしいからな。


 ガンが古くからあるのはそういったことも理由の1つなのだろう。


 そして鏡開きの日は町人も鏡餅を下げて主従や家族どうしで共に食しそれによって互いの関係を深めた。


 同じ釜の飯を食うのと同じで同じ鍋の餅を共に食うというのは連帯感を深めるわけだ。


 俺が食事を広間で遊女たちと一緒に食ってるのもそのためだな。


 最近は太夫もわざわざ自分の部屋で食わず広間で食ってるやつもいる。


 まあ茉莉花の場合は鈴蘭と一緒に食いたいからかもしれないが。


 劇場や花鳥茶屋などでも汁粉と甘酒を振る舞って来客をもてなす。


「ふわあ、甘い汁粉に甘酒はいいわね」


「本当、毎日出してもらってもいいくらいよね」


 うん、毎日汁粉は飽きると思うけどな。


 養生院の病人や養育院の子供は餅を喉につまらすとまずいから餅を小さくして喉詰まらせないようにしてからくわせてやるように指示する。


「正月から餅を喉につまらせて死んじゃあ死んでも死にきれねえよな」


「まったくですね」


 子どもたちが甘いしるこを笑いながら食べている様子は見ていて微笑ましい。


 俺にも早く子供がほしいのだがこればかりは天からの授かりものだからなんとも言えないな。


「そういえば、将軍様や大名家のおめでたが増えてるらしいな」


 妊娠に関する安全日危険日を教えたことで子供ができる確率は前よりだいぶ上がったらしい。

 もっとも無事生まれるか生まれても無事育つかはまた別の問題ではあるのだが。


 鉛白粉は大奥を始め多くの大名家の奥向きでは禁止されたし、厠がくみ取りからバイオトイレになったことで蝿の発生も抑えられたから乳幼児死亡率は多少はましになったと思うけどな。


 そしてこの日は農家でも鍬初めといって田畑に初鍬を入れてそこに松飾りや鏡餅の砕片を供えたりもした。


「そろそろ籾米の塩水選別をしてもらわんといかんか」


 1月も半ばをすぎると農作業の開始準備が始まるからな。


 俺は米の試験栽培をしてる農家に行って鏡餅のおすそ分けをしながら塩水での選別を頼んだ。


「あけましておめでとう、今年もよろしくな」


「へえ、今年もよろしく」


「で、頼みたいことがあるんだが」


「頼みたいこととは何です?」


「ああ、米の種籾のなかでも中身の詰まった良い種籾を選ぶために塩水で選別をしてほしいんだ。

 鶏の新しい卵がわずかに水面上に浮くていどの塩水に種を入れて沈んだ種だけを選び、塩水を真水でよく洗い流してから種まきをしてほしい」


「なんでそんなことを?」


「ああ、塩水に沈むやつは中身がちゃんと詰まってるのでその分芽も出やすいし、育ちやすいんだ」


「なるほどそうなのか」


 ここで言う中身というのは米の中の胚乳のことだな、胚乳は発芽から苗の初期の生育に必要な栄養源なので、この胚乳が多い方が当然芽も出やすいし育ちやすい。


「浮き上がった軽い籾はもったいないから食べればいい」


「まあ、そりゃそうだな」


 しかもたいして手間が増えるわけでもないのにこれだけで収穫量が一割以上増えるらしい。


 ただ、米の収穫量が増えすぎても、需要が増えないと米の価値が減ってしまうだけだし、旱魃や冷害なども怖いから、木綿やタバコのような金になる作物や麦や蕎麦、大豆や小豆、ジャガイモやさつまいも、稗、粟、黍、四国稗のようなコメ以外の穀物や豆、芋などもちゃんと栽培をさせたほうがいいはずなんだけどな。


 江戸幕府は、江戸時代の中期以降には、米・金箔・銀箔・石灰・銅・海産物の俵物(たわらもの)・朝鮮人参・鉄・真鍮などの専売を実施したが、それに塩や砂糖・茶・タバコなどを加えてはやめに専売制は実施した方がいいと思うのだ。


 何も商人ばかりに儲けさせることはない。


 とはいえ、現在の米の強制的な作付けと同様に商業作物の強制的な作つけの強制や市場価格とかけ離れた安価な価格による強制的な買上が専売制に反対する一揆を起こさせてるからそのあたりも考えんといけないけどな。


「とりあえず水戸の若様に話をしてみようかね」


 もちろん若様などがどう考えるかはわからないけど、財政が傾いて商人に首根っこをおさえられてからでは遅いからな。


 そろそろ佐渡や甲斐の金山の金も尽きてきてるはずだし。

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