江戸の9月といえば神田祭、十三夜の月見もやるけどな

 さて9月の菊の節句、茸狩りが終われば9月13日は後の月見だ。


 先月の月見の宴に訪れた客を再び集めて大川で月見を行うのだな。


 先月の月見の時と同じように、遊女たちは会場に飾るためのススキや提灯、月見団子などを用意したりしているがそれに加えて今回は寒くなってきているのであたたまるための火鉢や炭なども持っていく必要がある。


 まあ、前回は放生会の亀や小魚を持っていたからその代わりと思えばなんとかなるだろう。


 前回参加した客は強制参加だが武士とか豪商というのは結構験を担ぐ人間が多いのでやっぱ辞めたとなるような人間はほとんどいない。


 こちら側も前回参加したものは全員参加するし、前回参加できなかったものは今回も仕事や店番だ。


 かわいそうだが客に片方だけ参加すると縁起が悪いと説明している以上はこちらもそうしないと理屈が合わないからな。


 前回と同じように吉原に集合してから大川に向かい徒歩組は川岸で、舟遊び組は川に浮かべた船から水面に揺れる月を見て楽しんでいるし、今回も各藩邸の奥向きから来た奥女中の女たちも一緒になって楽しんでるようだ。


 船の中には火鉢と炬燵が持ち込まれてそれなりに温かい中での月見が出来るのが船遊びの利点だな。


 そして火鉢があれば酒も暖められる。


 船の客に売春を持ちかける船饅頭の値段が少しだけ夜鷹より高いのも、船に乗れるならそれなりに金を持ってるというのもあるが、船には屋根や座敷や火鉢やこたつがあるので寒くても仕事が楽というのもあるのだろう。


 ちなみに今回も俺が相手をしてるのは松代藩の真田信之と真田信政の親子だ。


「ふむ、寒くなってきた時にこたつに入りながら熱燗の月見酒というのもこれはこれで悪くはないな」


 真田信之がそういうと真田信政は頷く。


「たしかに、こういったのも悪くありませんな」


 ハハハと笑いながら談笑する親子は前回の月見の時に比べても二人の間にわだかまりのようなものは感じられない。


 なんだかんだで親子の関係も改善されて真田信政も松代藩の継承に関してのストレスから開放されて長生きしてくれれば松代や沼田の領民も安心だろう。


 さて、後の月見が終われば9月15日は神田明神祭だ。


 この神田明神祭は江戸時代から山王祭、深川祭と並んで江戸三大祭の一つであり京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に日本の三大祭りの一つにも数えられる大規模なお祭りだ。


 この祭りの始まりは江戸幕府が開かれる前の慶長5年(1600年)に徳川家康が上杉景勝との戦いに臨んだ時や関ヶ原の合戦の時に神田大明神に戦勝祈祷を命じ無事勝利したことからだ。


 そして旧吉原のときには山王・神田の両大祭には傘鉾(山車の類)を出すこと、また愛宕の祭礼には禿の内で殊に美麗なる者を選び、美服を装わせて練り歩くことと定められていたのだが、新吉原に移る時に周辺の火事・祭への対応を免除とされた。


 これにより吉原は去年は神田明神祭などに参加できなくなってしまった。


 その時の総名主は遊郭西田屋の二代目で庄司甚右衛門の息子甚之丞だったわけだがこれによる吉原のイメージ低下のダメージはかなりデカかったんじゃないかと思う。


 何しろこの頃の寺社というのは戸籍を統括するところでもあるわけで、何よりこの時代の日本人は皆信心深い。


 21世紀の人間からすればそのくらいのことでなぜ?と思うかもしれないが、江戸時代ではこれは非常に大きなことだったんだ。


 まあ、浅草の浅草寺への寄進から始めて、歌劇で観音様の偉大さを劇の中に入れたりすることで、まずは浅草で強い力を持つ浅草寺に三河屋の持っている店の女の灌仏会の参加に許可から少しずつ、献金したり寺社奉行や勘定奉行に掛け合ったりしてようやく、元吉原のときと同じように大きな祭礼に参加できるようになった。


 今回の神田明神祭は吉原全体で傘鉾を出して練り歩くことが出来るというのが大きく違う。


 これで吉原は祭りに参加することが許されない町民以下の完全な非人という立場から町人などと同じ立場になれたはずだ。


 これは吉原の悲惨な未来をだいぶ変えられたと思う。


 吉原は罪を犯した女が送られる流刑地のようなものだった。


 そしてそれが京都の島原や大阪の新町、長崎の丸山に比べて太夫が消滅し格の低い場所と思われていた原因の1つであり、男はともかく若い女の出入りする場所ではないと思われていた理由でもあった。


 俺はこの日のために職人に作らせて、完成した傘鉾を見て感動していた。


 神田明神際は元和年中までは神体や神霊を船に乗せて川や海を渡す船渡御であったらしい。


 この祭りは江戸幕府の庇護を受けており、江戸城内へ、2基の神輿と45本前後の傘鉾や共に祭りを盛り上げる付祭と呼ばれた巨大なはりぼての人形、幕府からの命令でほんらい氏子ではない町が出した付祭の御雇祭などからなる祭礼行列が練りこみ、徳川将軍や正室である御台所の上覧もある由緒正しい「天下祭」である。


「おっしゃ、この祭りどこの街よりも頑張るぞ」


 大見世や中見世の禿は稚児舞の練習を一生懸命しているし、若い衆は傘鉾を引っ張るために褌一丁でみな準備万全だ、遊女たちも思い思いにそれぞれが着飾って行列に華を添える。


「戒斗様、わっちの舞どうでやんすか?」


 桃香が聞いてくるので俺は笑顔で答えた。


「おう、すごく愛らしくていいぞ桃香」


 俺の褒め言葉に桃香は笑顔になった。


「えへへ、そうでやんすか」


 対抗するように桔梗が聞いてくる。


「わっちは?」


「おう、桔梗も可愛らしいぞ、お前さんはもっと自分に自信を持っていいからな」


 桔梗は少し照れたように顔を赤らめた。


「ありがとうございます」


 ちなみに吉原の店の昼見世は今日は休みだ。


 三河屋だけでなく三浦屋も西田屋も玉屋も山崎屋も全店で参加するのだな。


「よう、今日はよろしくな」


「ええ、みなさんよろしくおねがいしますよ」


 そして祭りが始まった。


 禿が稚児行列を作り、遊女が美しい衣装で練り歩きその後を派手な傘鉾を若い衆が引いて練り歩く。


「そうっれいくぞぉ」


「よいせ、よいせ」


「よいせ、よいせ」


 傘鉾に載せられた和太鼓がドンドコ打ち鳴らされ、祭りを一層盛り上げる。


 そして江戸城へと行列は向かう、ここで将軍様に見ていただくわけだ。


「うむ、吉原の傘鉾、誠に見事である」


「そうですなぁ、力が入ってますわ」


 将軍様と御台所様に上覧を許されたら、後は神田明神に向かうだけだ。


 神社に向かい傘鉾を納めれば、皆で吉原に戻る。


 祭りの夜の吉原はそれこそお祭り騒ぎで大賑わいだ。


 中通りに屋台もでるお祭り騒ぎは夜見世が終わるまで続いたぞ。


「これで、吉原全体の未来も少し良くなるだろうな」


 色々と頑張ってきたかいがあるというものだ。


 最もこれでようやく楼主や遊女などの立場が移転前の旧吉原と同じ条件になったにすぎないわけではあるが。

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