新しい施設に合わせて色々神様仏様を祀ることにしたぜ、そして吉原俄の開催だ
さて、妙との祝言も無事終わり、月も変わって8月になった。
8月1日は八朔(はっさく)だ。
八朔は八月朔日の略で、この日は古来より農家が収穫までの間に台風などが来ずに豊作になることを祈願して、お互いに穀物などを贈答する日だったが、それが一般化して町民なども互いに物を贈り合う日になった。
吉原では物のやり取は行われないが、遊女は白無垢の小袖を着る日だ。
その様子を見て妙がいう。
「なんだかみんなお嫁さんみたいですね」
俺は苦笑いつつ言う。
「まあ、そうだな」
遊女が白無垢の小袖を着るようになった理由は諸説あるのだが、天正18年(1590年)の8月1日、神君権現こと徳川家康が江戸城に入城しその際、譜代の大名や旗本などが白地の単衣で江戸城へ登城し祝辞を述べたのを真似たというのが有力らしい。
まあ、単純に寝間着であった白無垢の小袖が清楚でいいと評判になったからという話もあるが。
そして、門外の建物に吉原弁財天と同じように、祠を作り養育院には鬼子母神と吉祥天を、養生院には薬師如来と歓喜天を、犬猫屋敷には馬頭観音を、手習い所には天神様をそれぞれ祀ることにした。
鬼子母神は訶梨帝母(かりていも)とも呼ばれ子どもの守護者で安産・子育(こやす)・盗難除けの神様。
インドの夜叉ハーリーティーで子ども大好きなお母さん女神。
500人とも1万人とも言われる沢山の子供を育てるために人間の子どもを食べていたが、それを釈迦に咎められ子どもの一人を隠されて、子ども一人が居なくなるだけで悲しいなら子どもを失った母親たちはどれだけ悲しいかと諭されて改心し、その後子どもの守護者となった。
吉祥天は鬼子母神の娘でインドの女神ラクシュミー。
インドではでヴィシュヌ神の妃とされ、仏教では毘沙門天の妻とされる。
毘沙門は夜叉のクベーラなのでインドと中国仏教では旦那が違うが、そもそも中国に渡ってから性格が変わってる神仏は多いので気にしてはいけない。
吉祥天は幸福・美・富を顕す神とされ前科に対する謝罪を許す神でもあるが、同じような性格の弁財天と混同され、鎌倉時代以降は吉祥天単独で祀られることは少なくなった。
この母娘の女神を祀ることで子どもが無事育つように願い、子捨てをした親も許されるようにしたいものだ。
まあ、だからといってぽいぽい捨てられても困るが。
「まあ、止むを得ない事情があるなら子どもを捨てても吉祥天は許してくださるさ。
少なくとも殺すよりはいいはずだ」
俺がそう言うと妙も頷く。
「そうですね。
そうならないのが一番ですけど、子どもが生まれなかったり育たない家に養子に貰えればそれなりに幸せになれるでしょう」
薬師如来は薬を施すということから病気平癒の現世利益を持つ仏様として信仰を集めている。
本来は救われぬものをすべて救おうとする慈悲深い仏様で与えてくれるのは薬だけじゃないんだけどな。
歓喜天は大聖歓喜自在天のことでインドの象の頭を持ったガネーシャのこと。
欲望を抑えきれず罪を犯す者に対し願望を成就させることで心を静めさせて仏法へ心を向かわせる。
歓喜とは男女の交わりによって得られる快楽そのものだが貧乏を転じて福を与える神ともされる。
夫婦円満の和合や子授け安産、除難や商売繁盛の神様でもあり、性病、痔、脱腸などの主に下半身の病気や治らない寝小便に対しても効験があるとされている神様だ。
ただ、同じようなダキニこと稲荷と同じく、身分に関係なく霊験があるがその信仰を途中でやめると障りがあるとも言われるちょっと怖い神様だ。
「まあ、これで吉原で性病が広まらず減ればいいな」
妙も頷いて言う。
「そうですね。
病気にならないなら其れが一番です」
まあ、祀って祈るだけで病気にならなくなるってことはないんだけど、気分的には大事だよな。
馬頭観音は観音菩薩の姿の一つで本来は畜生道に落ちた者を救済する観音様で、そういったものは人間と意思疎通が出来る家畜に生まれ変わると信じられていたので家畜の健康を祈り、労役中の牛や馬の安全を祈り、死んだ家畜を供養する仏としても信仰されている。
馬頭なのは足の骨折などで動けなるのは圧倒的に馬が多かったからだな。
犬猫は牛馬のような農作業などの補助ができる家畜ではないが、犬は色々役に立つとその内わかってもらえるようになってほしいという願いも込めた。
猫は……まあ、可愛いということで人気があるからいいんじゃないかな、ネズミもとるし。
俺達は馬頭観音に祈った。
「観音様どうか、犬猫も守ってやってください」
「よろしくお願いいたします」
手習い所の天神様は勿論、学問の神である天神様こと菅原道真を祀る。
湯島にも湯島天神があるが、学問と天神は切っても切れない関係で、天神の社の脇に手習い教室が有ったりすることも多い、天神様は勉学だけでなく和歌などの教養の神様でもあるしな。
その他にも慈悲の神、正直の神、冤罪を晴らす神などでもある。
「天神様、どうぞ手習いに通う若いものに知恵を分けてやってください」
「どうかよろしくお願いします」
さて八月いっぱいの間は、吉原稲荷の祭礼が行われる。
この祭礼の名物が「吉原俄」もしくは「立茶番」だ。
俄とは何かが急に起こることだが、ここで言うのは京都発祥の遊女が即興で演じる滑稽な寸劇のことで、禿が笛を吹き鳴らし、太鼓を叩きながら通りを練り歩くちんどん屋みたいな感じのものでもあるな。
更には狐面をかぶったものが提灯行列を行ったり、屋台が立ったりして吉原はなかなか賑わうんだぜ。
「さあさあ、よってらっしゃい。
美味しい焼きそばだよ。
一度食べたら癖になるよ」
俺が塩焼きそばを焼き、妙が売る。
「はい、一つ16文です。
どうもありがとうございます」
まあ、こんな感じで8月が始まった。
もう秋なんだな、なんだか時間がたつのが早いぜ。
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