医者の選別を開始した、結構ひどい奴もいるが腕の良いやつもちゃんといる。
さて、孤児院である養育院と、入院施設付き総合病院兼薬局である養生院、及び薬草園、また野犬や野良猫を引きとり躾を行う犬猫屋敷などの求人募集に応じて応募してくる人間の面接も行っている。
ついでに高坂伊右エ門の下の事務方もふやすためにそちらも募集している。
手習い芸事、まあ要するにカルチャースクールのようなものの師匠は休みの遊女や年季上がりに遊女がやるからまあいいとしてその他の施設は基本それなりに経験や知識のあるものを求めてるんだがなかなか厳しい。
まだ養育院は子育て経験のある女であればあとは性格に問題がなければいいし、犬猫屋敷のほうも動物に芸を仕込んだりしたことの在る連中は浅草に結構いるからまあまだいい。
特に困っているのは医者と看護師だな。
今面接してるやつも、頭を剃り上げた自称町医者だ。
「で、あんたは町医者なわけだな」
「ええ、そうです」
「じゃあ患者が風邪(フウジャ)だと言ってきてる時はどう対処する?」
「脈をとって脈が早ければ、朝鮮人参を飲ませますね」
「それだけかい?」
「へえ、なにかおかしいですか?」
「うーむ、すまんがお前さんは不採用だな」
「そうですか……」
すごすごと帰っていくがありゃ藪だな。
藪医者ってのは要するに腕の悪い病気を治せない医者のことだが、語源についてははっきりしない。
藪蛇医者、ようは余計なことをして病状を悪化させるという理由だとか、腕が悪くて普段は患者の来ない医者でも、風邪なら大丈夫かと風邪が流行ると問診に出かけることで、風がふくと動く藪のようという説もあるらしい。
落語のネタでは藪医者、雀医者、土手医者、筍医者、紐医者とあって、藪に飛んでく雀医者、藪の下の土手医者、藪にもなれない筍医者、そして最悪の紐医者はかかると死ぬと言う意味だそうだがちっとも笑えないぜ。
江戸時代では医者にもいろんな種類があった。
朝廷専属に仕える世襲公家の朝廷医、幕府専属の官医、大名専属の藩医、一般人が相手の町医者が居た。
朝廷医、官医、藩医はお偉いさんの命にかかわるので当然それなりに知識と技術が要求された。
そういった地位の医者になれれば報酬もたかいが医療で明らかに失敗すれば責任を取らされる場合もあった、医者の失敗で落とした命は命で償うってやつだな。
そして俺のところへの面接で町医者を名乗る人間が結構来るんだが正直言えば、俺よりも知識で劣る自称医者も結構多い、まあ現代の家庭の医学とか救急救命の知識と言うのは案外侮れなくは在るんだが、何しろこの時代の医者は免許制じゃないので、医者を名乗れば誰でも医者になれた。
医者は学者や手習い所の師匠と同じく非人扱い武士でないにもかかわらず名字帯刀が許され駕籠にも乗れたしな、ただし、藪の評判が経てば誰も呼ばなくなり結局医者を廃業するしかなかったりするが。
まあ、町医者でも真面目なやつは腕のいい医者の下に師事して薬箱などを待つ弟子として一緒に行動し師匠のやっていることを目で盗み、やがて師匠が認れば弟子が師匠の前で患者を代診をして経験を積んでいって、さらに師匠が独立を許せば個人で独立開業するが、それには10年から20年ほどかかった、まあ漢文が読めればちょっと聞きかじっただけで医者を名乗るやつも居たけどな。
腕の未熟な弟子を開業させてその弟子にヤブ医者と言う評判がつけば、当然師匠の教育の評判にも関わるから、師匠はそう簡単には独立は許さなかった。
このあたりは商人の丁稚の暖簾分けと同じようなもんだ。
育てた師匠には弟子の行動の責任が課せられていると見られているのだ。
そして医学書はオランダ経由の西洋の医学書を除けば、中国の漢文で記されているもので儒学者が片手間に医者をやっていることも有った、儒学者だけでは収入が少なく、しかも江戸時代の医学書の大半は儒学書と同じく漢文で書かれているからな。
また、町医者でも評判が良ければ官医や藩医へ取り立てられることもあるぜ。
しかしまあ、はっきり言えば医者と言う職業の人間は全体的にはそんなに信頼されていなかったともいえるな。
とは言え江戸時代初期においての医療の科学的な水準は中国や西洋に比べ、人体解剖が禁止されていた分、解剖学の分野では劣るのは間違いないが、他の分野ではさほど大差はなかったりもする、風邪を引いたら葛根湯や朝鮮人参を飲ませておけばいい程度に考えてるやつもたくさんいた。
この頃は洋の東西関係なく死亡率のたかい伝染病の前には医者も坊主、神官も無力だったしな。
「で、あんたは町医者なわけだな」
「ええ、そうです」
「じゃあ患者が風邪(フウジャ)だと言ってきてる時はどう対処する?」
「まず、患者の顔色を見てから今までかかった病気の既往症や現在の症状を細かく患者から聞きます。
そして脈を取り、額に触れて脈拍の速さと熱の有無を確認しますし、熱があれば口を開かせて舌の色や喉の奥の腫れを確認します。
また呼吸音や心音を聞いた上で必要と思われる薬を調合します」
俺は素晴らしいと頷いた。
「ああ、そいつは素晴らしいな。
熱がある時は頭に濡らした布を乗せてやったり、首筋や脇の下に冷たい布を当ててやったりしたほうがいいぞ。
あんたは採用だ、建物が完成したら来てほしい」
「ええ、分かりました。
お給金の方はちゃんと出るのですよね」
俺は頷いた。
「ああ、心配するな。
患者が金を払えなくても公儀からも金は出る。
だからあんたにはちゃんと金を払うよ」
俺は名前を確認した。
「あんたの名前は向井元升(むかいげんしょう)で間違いないかな?」
男は頷いた。
「はい、そうです」
「これからよろしく頼むぜ」
「ええ、こちらこそ」
どうやらまともな医者が拾えそうで何よりだ。
これから男女別々に看護をする人間も育てないといけないしなかなか大変だな。
しかし後で聞いた話だと、向井元升は其れまで幕府から命じられていた仕事がやっと片付いて家族みんなで京へ向かおうとしていたらしいが、吉原の歌劇や万国食堂に夢中になった奥さんや弟子の奥さんなどの女連中が吉原から離れたがらず、また水戸の若様や綱吉公などのすすめもあってここに来たらしい。
うむ、水戸の若様の推薦だったのか。
もし、断ってたら大変なところだったな。
そして俺個人は向井元升と言う人物はちょっと覚えていなかったんだが、水戸の若様などに藤乃経由で聞いたところだと、九州の大名や幕府のお偉いさんのなかなどではかなり有名かつ有能な医者であり薬草学の権威でもあるらしい。
これはすごい人物が来たもんだな、正直助かるぜ。
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