西田屋関係の遊女の待遇の改善を進めよう
俺が吉原の惣名主になってそっちの仕事をやりつつも、当然三河屋と預かってる西田屋と河岸見世、美人楼や万国食堂、もふもふ茶屋に吉原歌劇団の運営も行わないといけない。
俺はそろそろ各店の細かい実務を番頭などに委ねようと思っているが、とりあえずは惣名主職の秘書として俺の書類仕事の補佐ができる奴を3人募集し始めた。
主に文章業務を処理するやつ。
主に情報業務を処理するやつ。
主にスケジュール管理や接遇業務の処理をするやつだ。
条件は基本容姿、性別、身分、年齢不問、番頭新造や書類仕事の経験者優遇で素性や経歴がはっきりしていることだ。
業務内容は俺の身辺雑事、来客の接遇、日時管理、連絡文の管理、合議会場の準備、文書作成など。
特に文章業務担当は書類を処理する能力に優れることと、情報業務は情報の取捨選択などの情報処理能力や判断能力に優れること、接遇業務はスケジュール管理能力に優れることとこれだけは容姿も重視する、そして全体として機密が保てることが大事だな。
水戸の若様の付き人も見かけはあんなんだが多分いろいろな処理能力に優れてるんだろうなあ。
じゃなきゃあの若様の付き人なんて務まると思えねえ。
水戸の若様もただの食いしん坊じゃねえからな。
「しかしまあ、やることが多すぎて困ったな……まあ、優先度をつけてやっていくしかねえんだが」
いつの間にか暦の月も移り変わって5月になっていた。
5月の五・六日は端午の節句で衣替えでもあり、この日から夏衣装の単(ひとえ)になる。
廓内に花菖蒲や五月人形をかざり、風呂には菖蒲の葉を入れて菖蒲風呂にする。
俺がこの時代で未来の記憶を思い出したのは今年の三月三日の雛祭りよりあとだったせいもあって、その日には三河屋に雛人形を飾ることもなかったが来年はちゃんと祝ってやりたいものだ。
三月三日の雛祭りで遊女屋がそういった行事をちゃんと祝ってやらないのは遊女を所詮消耗品と思っていたからだろう。
しかし、端午の節句は客が男だけに、遊郭でもきちんと祝ったのだ。
そして、この日から裏地のある袷(あわせ)の着物を裏地がなく通気性の良い単(ひとえ)に替え、完全に夏の格好になる。
ちなみにこの行事が庶民に広まったのも江戸時代からで鎌倉期から戦国期までは武家が菖蒲は尚武や勝負に通ずると男子が祝うようになったが、本来端午の節句は五節句の一つで、奈良時代から伝わる風習だったりする。
端午の端は端(はし)で始まりという意味で、この頃は八十八夜でもあり、霜が降りる事が殆どなくなって春から夏に移る一年の始めであり季節の節目の日とされてきた。
江戸時代だと江戸での積雪が一間(1メートル八十センチ)を超えたり、3月4月に霜が降りたり雪が降ったりすることもまだあったってことさ。
今年は去年と冬と同じく雨雪が殆ど降らなかったがな。
まあそれで、奈良時代や平安時代では田植えの時期である5月になると、稲の神様に豊穣を祈願するため早乙女と呼ばれる若い娘達が小屋や神社に籠って菖蒲と蓬を軒に挿すことで、厄祓いをねがったのがどんどん変わっていったのさ。
暖かくなってきたことでニホンミツバチの分蜂も丸太式では成功しているので、俺は権兵衛親分に火おこし筒を作ってもらいつつも、紀州藩の藩主さんに贈呈するものも作ってもらっている。
西田屋に関して、まずは二代目の妻であり初代の娘でもある先代内儀と、更にその娘でもあり現在の内儀になる三代目の妻には俺が見世を預かることになったことを伝え、今後一切の経営や運営の関与を禁じた。
内儀やその娘は遊女の差配の権利を持っているのでこれからもそのつもりでいられては困るからな。
衣食住に関しては一定を保障すること、俺の持つ見世を身内価格で使用してよいこと、それが不満であれば勘定奉行に身柄を預かってもらうと告げた。
「いやいや、そちらさまに逆らうつもりなんてありませんよ」
「ええ、ええ、そうですとも」
内心はともかく二人は俺に逆らうつもりはなく、顔を隠しつつ劇場に観劇に出かけたり、美人楼に行ったりしてそれなりに気楽に過ごしているようだ。
「最悪は非人頭に押し付ける事も考えたが面倒がなくて何よりだ」
西田屋で実質的に実務を廻していたやり手と番頭は解雇した。
残念だが人間一度金に目がくらんで性根が腐ると、そう簡単に直らないらしくこいつらには俺のやりたい事を理解できなかったらしい。
実務の運営自体の細かいところは最終的には西田屋の三代目にまかすとしても全体的な改善は俺自身が行う。
そして俺が西田屋の遊女たちに最初にやったことは睡眠と食事の確保だ。
「今日からこの見世を預かることになった三河屋の戒斗だ。
早速だが今日の見世はすべて休みにする。
各自俺の用意した食事をしっかり食べてゆっくり寝るように」
と言うものだった、なんせ遊女の殆どが目が死んでたり疲れ果てているように見えたからな。
三河屋で俺や遊女が食っているものと同じものを食わせて一日たっぷり寝かせてやった。
「ほんまありがたいですわ」
「こう言っちゃなんですが先代が死んでよかったですわ」
翌日、西田屋の衣替えを行うために総角(あげまき)に禿の分も含めて新しい単を持っていってやった。
「お前さんが総角だな。
これが今年の新しい単だ、禿の分と合わせて30両(おおよそ300万円)だぜ」
総角は驚いたような表情をしていた。
「たったの30両でいいんですの?
前まで60両(おおよそ600万円)取られてたんですが」
先代西田屋め、いくらなんでもぼったくり過ぎじゃねえのか?
そりゃ見世も傾くだろうよ。
「いや、一着10両の合わせて30両でいい。
俺は先代西田屋とは違うからな」
総角は涙ぐんでいった。
「ほんにありがたいこってすわぁ」
泣くほど嬉しいかってまあ300万円相当の額の支払いが減れば泣くほどに嬉しくもなるか。
そして西田屋の遊女にも三河屋と同じ食事を出し、昼見世の馴染みの客がいる人間は昼見世のみ、そうでないやつは夜見世のみで良いことにした
更に客を取って金を貰っての振りと廻しの禁止。
茎袋の使用と生理休暇と危険日休暇の徹底。
鉛や水銀から植物性の白粉の変更。
主人や内儀が入れる小さい内湯しかなかった西田屋への内湯と蒸し風呂の増設。
石鹸での手洗いの励行や歯ブラシでの歯磨き。
格子への姿図の提示と名入れ絵型などの販売のキャッシュバック。
汲み取り式からバイオトイレへの改良など三河屋でやったことは全部に西田屋の遊女にも適用した。
「いいか、これからは客から金をもぎ取ることではなく
客に戻ってきてもらうことを大事にしろ。
そのためには笑顔と誠実さが大事だ。
客を振るというのは金をだまし取ることじゃない。
乱暴な客などを無理して相手にしなくても良いということだ。
今までのやり方じゃ未来がないってことはなんとなくわかってるだろう。
だから、俺は見世のやり方を根本的に変える。
だからお前たちもやることを全部変えてこれからは頑張ってくれ」
遊女を代表して総角が答えた。
「あい、わっちらもこれから心を入れ替えて働いていきやす」
西田屋の評判は現在かなり落ちているが、実質的な運営者が俺に変わり遊女たちの体調や精神状態、実際のサービスが三河屋と同じようになれば汚名を返上もできるだろう。
そうでないと俺も遊女も辛い物があるからな。
玉屋のところも改革が進んでるなら大見世のうち3つが良くなってるはずだから、吉原の空気も変わってくるんじゃなかろうか。
まあボッタクリをやめない見世も残るんだろうが、全体が徐々に良くなっていけばいいんじゃねえかな。
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