大見世の楼主による寄り合い風景

 さて、4月になって見世の遊女全員の衣替えが行われる。

いままでの寒い時期は半纏(はんてん)とか褞袍(どてら)とかのように生地の間に綿が入った、綿入れを着ていた。

冬の間は楼の外と変わらない開きっぱなしの格子の前に座るのは寒いからな。


 しかし、桜も散って暖かくなるとそれでは暑すぎるので、裏地がある袷(あわせ)に着替えるのだ。

俺は最初にうちの看板である藤乃のところへ行くことにした。


「よう藤乃、衣替えの袷をお前さんと禿の3人分持ってきたぜ」


 藤乃はそれを聞いてため息をつく。


「あい、となるといつも通り45両でやんすな」


 俺はハハと笑って言葉を返す。


「ああ、それだが、一人分10両のあわせて30両でいいぜ」


 藤乃は驚いたようだ。


「ほんまですの?」


「ああ、本当だ」


「それは助かりますわ」


 太夫などは基本吉原の外には出られない。

なので衣装や布団などの街中での実売価格なども知らないため、楼主は呉服屋などと結託をして、10両くらいのものを15両するといって売りつけ、楼主は手数料として5両をせしめたりした。

そしていくら太夫であっても、全額は支払えないことが多く、結局見世からの借金が積み重なるわけだ。


 現代の金額に替えるなら要するに100万円の着物を、楼主は150万円と騙して売りつけて、50万を自分の懐に入れて、さらに借金させたわけだ。

これは太夫が金をためて自由の身になられたら困るからと言われてるが、単純に自分が贅沢したいだけのことが多く、懐に入れた金でいいもんを食ったり、高い服を買ったりしていたわけだ。


 これは現在の風俗のオーナーでも大して変わらないな。

店の売上が悪いからと従業員に給料は払わずに、自分は運転手付きの高い車を乗り回したりな。


 俺は遊女と同じ飯を食えればいいからメシ代が馬鹿みたいに高くなることはないので、太夫や格子太夫からもらう金が減ってもそんな問題はない。

見世の運営資金は遊女の稼ぎから出てるからな。


 そもそも遊廓の遊女の取り分は客からもらった金額の1割で、残りの9割が見世の取り分だ。

もちろん遊女の衣食住・家賃・水道代・燃料代・見習いの禿などの芸事の楽器代、教養の書籍代、紙や筆などの筆記用具代、それらの師匠を呼ぶ代金などは全て見世が持ってるので、現代の風俗嬢は取り分は半々だと単純な比較はできない。

風俗嬢は家賃や光熱費、食費、通信費などは全部自分で払うし、小さい頃から教育を受けるわけではないからな。


 単純に比較はできないが、全寮制の小学校から芸術系高校までの生活教育費を一切面倒をみる代わりに、その後10年で住み込みで働いてそれまでかかった金を全部返済させるようなものと考えてもらえばそう間違ってないと思う。


 そしてその後遊女たちに衣替えの衣装を全部配り終わったら、4月に入ったということで吉原の大見世の寄り合いがあるんで、俺はそれに参加するため出かけていた。

庄司甚右衛門は小田原の後北条家の家臣だと言われているが、その他の楼主も元吉原からやってる見世は武士出身者が多かった、吉原遊郭創設に参加した楼主は武士といっても、輜重関係や勘定、外交などの才能に秀でた官僚的な武士で、現在のような文治政治の時代を先取りする集団でもあったようだ。


 そういった出自ゆえに、読み書き算盤帳簿は勿論できて、遊芸や芸術にも造詣が深い人物が大見世の楼主になれたわけだ。


 そこで働く遊女に対する教育も楼主が行い、楼主と遊女は、師弟でもあり、同じ芸事を愛好する仲間であり、一つ屋根に住む家族のようなものでもあったらしい。

最初期の旧吉原には太夫、格子と見習いである端しかいなかった、端は今で言う新造で大見世しかなかったということだな。

この時の客も基本は武士だけだったようで大名や旗本、重臣をはじめとする武士階級が多かった。


 徳川家康は、豊臣秀吉が設置した遊廓の利点を見抜いて、吉原遊廓を設置した。

大阪夏の陣のすぐ後にはもう吉原はできていて、江戸に流入する大阪浪人の取り締まりを厳しくする一方で、東北や西国の外様の大名らを遊廓に誘導して幕府に対する戦意をそいだ。


 参勤交代の道中や江戸滞在中に妻妾携行を禁じたのも、吉原遊廓へ赴かせ酒と女に溺れさせ、再び戦乱を起こさせぬように仕向け、叛意があればそれをもとにお取り潰しをさせるためだった。


 このように、初期の吉原遊廓の存在が、諸大名の散財と戦意を削ぎ、叛意を知るのが目的としたものであった時代も有ったが今はもう違う。


 三代将軍家光の代までに外様大名などの徳川幕府の脅威となる存在などの経済状況が悪化することで、徳川家康のもくろみはほぼ達成させられた。

そうして遊廓の存在の主眼が幕府の手から離れていくのが今の時代だ。

しかし、困ったことに吉原初期の伝統と栄光は形骸化しつつ大見世には残っているわけだ。  

 

 今現在の吉原には大見世は七軒しか無い。

そのなかで、正式な太夫を抱えている見世が俺の店を含め三軒。

格子太夫がいる店が四軒。

太夫と格子太夫を含めても30人以下しかいないので、世間一般では格子太夫を含めて”太夫さん”と呼ぶが正式に太夫格を認められているのは現在は3人だけだ。

元吉原には70人近くの太夫格が居た時代もあるがその時も正式な太夫は18人で、18軒の揚屋が有って、大見世も同じだけ有ったが、湯屋に客を取られたりもしたんで、元吉原が全焼した時に店を畳んだり、店の格を落としたりしたものも多かった。ようだ


「邪魔するぜ」


 寄り合い所にはもう他の見世の楼主はきていた。


「おう、あがんな」


 西田屋が俺に声をかけ、寄り合いが始まった。

まず西田屋の庄司甚之丞が今日の議題をあげる。


「今日の議題だが、揚げ代の値上げについてだ」


 俺は唖然とした。

湯女から散茶になった中見世の勢いをこいつらはわかってないのか?


「おいおい、今の状況から値上げするのか?」


 西田屋の庄司甚之丞は言葉を続ける。


「明暦の大火で、材木商や大工は大儲けしてるからな。

 こちらも値上げしたところで問題在るまい。

 具体的には太夫は1両1分、格子太夫が1両、格子が3分だ」


 俺は思わず反論する。


「いやいや、それはいくらなんでも高くしすぎだと思うが」


 すると他の大見世の楼主が俺に言ってきた。


「これは、移転で金がかかった分仕方ないのだよ。

 その分儲けている連中から取るべきではないかね」


 あー、もうホントこいつら時勢が見えてねえな。

俺が昼見世を格子の中に遊女を入れないでしめて、予約のみにしてるのも大名なんかの昼の客が減って、暇になってきてるからだぞ。


 材木問屋や大工が去年の大火のお陰でボロ儲けしてるのは知ってるが、一度値上げしたら値段は簡単に下げられないんだってこともわかってるのかね。


「じゃあせめて、遊女の睡眠や栄養状態を改善してくれ。

 あと、客を振ったり廻したりはやめたほうがいいぜ」


 俺の言葉をせせらわらう、他の大見世の楼主。


「何を言っている、遊女も客も絞れるだけ絞るのは当然だし、

 振るのは太夫や格子に認められた特権だろう」


「だからそういうのはもう流行らねえって」


 ダメだなこいつら、明暦の大火で物価が上がってて大工や材木商人が儲けてるのは確かだが、食糧不足を解消するために参勤交代が中止され、もとは江戸に居た武士が地元に帰されてるから、それだけ江戸にいる武士はいま少なくなってる、売上が減ったから値上げしようってんだろうけど、逆効果だぞ。


「では、値上げに賛成する見世は挙手を」


 そして俺以外の全員が挙手した。

大多数の賛成で値上げすることに決まったわけだ。

実際、太夫の揚げ代は値上がりし続けて最終的には銀90匁(銀50匁が金1両なのでほぼ2両近い金額)にまで値上がりするがそこで太夫は消滅したんだ。


「値上げでさらに客足が遠のいても知らんぞ……」


 さらに西田屋の庄司甚之丞が俺にいった。


「ああ、それから三河屋。

 おめえさんの所で先月からだしてる引手茶屋の見世細見な。

 あれは平等に大見世店が全部のるようにしようじゃねえか」


 周りの楼主連中もいう。


「そうだそうだ」


 俺はひとつ息をつくと答えた。


「ああ、まあそりゃかまわねえが、

 案内文や遊女の紹介はそれぞれの店で書いてくれよな。

 あと絵師も自分で探してくれ。

 俺のところの絵師は俺の所で手がいっぱいだ」


 庄司甚之丞はうなずいて俺にいった。


「まあ、それはいいだろう、それぞれの店の紹介などは

 自分たちでやるとして冊子の取りまとめは

 三河屋、お前に任せるぜ」


 おいおい、最後は俺に丸投げか、まあいいけどな。


「了解だ。

 細見は今までは引手茶屋においておいて

 基本的には持ち出しは禁止にしてたが

 こうなると色々の経費もかかるし

 客が持ち帰れるように多めにすって

 多少は儲けが出るように

 いくらか金を取ることにするぜ」


 庄司甚之丞はうなずいて俺にいった。


「まあ、それは構わんぜ。

 その金は客が払うんだろう?」


「ああ、そうだな」


 あんまり俺がかってをやりすぎても、周りは気に食わないだろう。

今のところ、たいして儲けは上がってないから、そこまでせっつかれても居ないがな。

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