遊女の一日 格子太夫の桜の場合

 私は三河屋の格子太夫の桜。

今年26の三河屋の現役遊女の中では一番の年上の遊女でありんす。

遊女の朝はとても早く昨晩床を同じにした商家の旦那が起きたのが暁七ツの寅の刻(おおよそ朝4時)

若い衆が妓楼にやってきて、灯りをともし部屋に声がかけられます。


 昨晩来た商家の大店の旦那の顔を洗わせ、房楊枝で歯を磨かせ、水を入れたうがい茶碗でうがいをさせて、服を着替えさせて帰支度をさせると、そのうちに明け六つの卯の刻(おおよそ朝6時)になりゴーン、ゴーンと浅草寺の時の鐘が吉原にも鳴り響くのです。


 そうすると夜が明けて吉原唯一の出入り口である大門の木戸が開きます。


 私は旦那と一緒に階段を降りて、吉原の仲通りを共に歩きながら大門まで見送ります。

途中で旦那が茶屋を示しながら言いました。


「うむ、太夫、いっぱい茶と粥でもどうかね」


 私はうなずきます。


「はい、ありがとうござんす」

 

 私は客の旦那と茶屋により一杯だけ茶をいただき、梅粥をすすって軽く腹をこなします。

大門前では茶を挽いたらしい遊女が物陰から、自分の客が、ほかの遊女と「浮気」をしていないか見ている様子が見えますね、ああこわいこわい。


 そして日本堤の土手には客を乗せる駕籠かきがたくさん集まってきています。

しばらく、茶と粥を楽しんだあと、旦那が立ち上がったので私も立ち上がります。


「これで旦那はんとお別れなんて、ほんに名残り惜しゅうありんす」


「おう、また来月きてお前さんを指名させてもらうぜ」


「まい、来月が今から待ち遠しいでありんすえ」


「おう、安心して待っていろ」


「まっこと、ありがたいことでやんす」


 年を取った私に律儀に通ってくれるのはありがたい。

やはり若いものには人気で勝てませんからね。


 こうして客を送り出したあと、私は自分の部屋に戻り、二度寝の床につきます。

太夫であろうと格子太夫であろうと、見習いの新造であろうと、客とともに寝ている場合は夜中であろうとお客が目を覚ましたら一緒に目を覚まさねばならないですからね。

馴染みの客であれそれは変わりません。

なのでこれからやっとゆっくり寝れるのです。


 さて、ゆっくり寝ましょう、睡眠不足はからだに悪いですからね。

・・・


 今の私は夜見世を主にしているので大体の起床時間は昼八ツの羊の刻(おおよそ14時)です。

他の遊女より遅いのは大門に見送りに行って寝るのが遅い分ですね。


 まず起きたら楼の中にある内湯で入浴します。

太夫格である私は、私付きの禿や新造も一緒に入浴します。


「お風呂、お風呂」


 禿が嬉しそうに内湯に入っていきます。


 湯殿からかけ湯をして、たらいに湯をすくうと、液体のシャボンで肌をあらう。

湯で流し垢と石鹸を落としたらお湯に入ります。


「ほう、やはり気持ちが良いでありんすな」


「ほんまでやんすな」


 風呂をあがると禿が冷たい水を私に差し出し、私の服の着付けを手伝う。

それから、自室に戻り、禿が持ってくる朝食の膳をいただく。


「はあ、今日もまたこんにゃくでありんすか」


 今日の献立はワカメと豆腐の味噌汁、こんにゃくの酢味噌和え、麦と玄米のご飯、ひじきの煮物、たけのこの煮物、それに納豆。

米は少なめになってるのは岩を小さくするためと聞いているけど……。


「ではいただきんす」


 まずはたけのこの煮物。


「ん、美味でやんすな」


 次にこんにゃくの酢味噌和え。


「ん、これもなかなかでやんすな」


 なんだかんだで毎日ちょっとずつ献立が違う心遣いはありがたいですね。


 食事を取り終わったら髪を結い、化粧を施し、仕事の準備をする。

そこへ坊っちゃんがやってきました、手には着物を持っていますね。


「おう、桜、今日は四月一日だからは衣替えだ。

 おめえさんと禿の分を持ってきたぞ」


 ああ、今日から冬の座敷着である綿入れから袷(あわせ)に替わるのですね。

綿入れの中にはなまえの通り綿が入っていて温かいが、そろそろそれでは暑くなるので、綿は入っていないが裏地がある袷に着替えるのです、もっと暑くなったら裏地もない単(ひとえ)に着替えます。


「では3人分で45両でやんすか?」


 私達が身につける着物は高い、だから衣替えの出費は結構辛いのです。


「ああ、今回から一人分10両でいいぞ。

 親父は手数料で5両取ってたみたいだが、

 俺はそういうやり方は好かんのでな」


「へえ、まことありがたいことでやんす」


 一人分で5両、お付きの禿二人でさらに5両ずつ、あわせて15両安くなるのは大分助かります。


「で、桜、岩の方も含めて体調はどんな感じだ」


「あい、おかげさまで岩は小さくなってやんすね」


「おう、そいつは良かったぜ」


「あい、ゆっくり眠れるようになったのもありんすが、

 ずっととれなかった疲れっぽい感じとか

 熱っぽい感じ、頭の重い感じも最近はしないでやんすよ」


 岩ができてから特にひどくなっていたのですが、白粉が変わって食事を変えて睡眠をとるようになってからそういった調子の悪さはかなり軽くなりました。


「うむ、よい食事とちゃんとした睡眠はやっぱり大事だな」


「ほんま、わっちもそうおもいんすえ」


 本当にありがたいことですね。

他の見世であれば体調が悪かろうが昼夜関わりなく働かされていたでしょうからね。


 さて、夜見世が始まる前にまずは見世で飼い始めたウサギをモフりに行きます。

膝の上にウサギを乗せるとおとなしくなるウサギを好きなだけモフります。


「ん、とてもよい手触りです」


 禿は無邪気にウサギと一緒に飛び跳ねてます。


「ウサギがぴょんぴょんすると、自分もぴょんぴょんしたくなるよね」


「うん」


 いやいや若いというのは羨ましいですね。

私には禿やウサギと一緒にぴょんぴょん飛び跳ねられる気がしません。


 さて合間を見て禿や新造に仕事に必要な芸事、知識、技術を教え込みます。


「ん、いいんじゃないかい、大分上達したね」


「ありがとうござんす、桜さま」


 三味線や琴などの楽器の演奏は私達にとってはとても大事ですからね。

厳しく教え込んだかいがありました。


 申の刻(午後4時くらい)を過ぎたら夕食をとる。

この時間は軽く梅干しの入った茶漬けだけ。


「頂きます」


 そうして、夕食が終わったら酉の刻(暮れ六つ)(おおよそ午後6時)

日が暮れると妓楼に行灯や提灯の灯りがともされ、吉原の道も人が増えて活気づくのです。

三味線による清掻と呼ばれるお囃子が弾き鳴らされ、これが合図となり夜見世が始まる。


 私は格子の後ろの張り見世の一番最前列の真ん中に座る。

年をとっても格子太夫の意地はあるからね。


 すっと私に火がついたキセルを差し出すのは、公演が終わった歌舞伎役者らしい伊達男。


「俺と今夜、どうだ?」


 私はその煙管を吸わせてもらう、これは了解の仕草だ。


「じゃあ、先に揚屋へ行ってるぜ」


 私は格子を出ると禿や新造を従えて揚屋へ向かい、やがて揚屋についた私は下駄を脱ぎ2階の座敷へ向かいます。


「三河屋揚屋、三河戒斗抱え、桜、はいりんすえ」


 すっと障子を開け座敷に入ると卓の下座に座っている殿が見えました。


「おお、やっと来たか、待っていたぞ」


 太鼓持ちが鼓を打ち鳴らしたり三味線や琴をかき鳴らし、卓上には鯛の刺し身も並べられもかなり豪勢なものですね。

さすが売れっ子歌舞伎役者です。


 私は卓の上座に座って彼の様子を見ます、客は下座に座り、酒や台の物を前に宴席になるのです。

太夫と違い私たち格子太夫は客の方が遊女に勧める他酒を断るというようなことはしません。


「おお、太夫もいっぱいどうかね?」


「では、ありがたくいただきやんす」


 私は盃に注がれた酒を飲み干します。


「うむ、いい飲みっぷりだな」


 今度はこちらが酌をします。


「うむ、では、ありがたくいただこう」


 客の方もなかなかいい飲みっぷりです。

一刻(おおよそ2時間)ほどの時が過ぎてある程度酒も回ったところでまず客が寝所へ移動します。

そして私は廊下で待って居るやり手に聞きました。


「で、今回はいかほどでありんすか?」


「あんたの取り分が2両(約20万円)ってところさね」


 この客が初めて遊ぶ私に見世をつうじて払った金額は20両(約200万円)といったところでしょうか、なかなか剛毅な方ですね。 

客のあそこに茎袋を付けさせて、床でくんずほぐれつした後、疲れ果ててしまった私たちは共に仲良く寝たのです。

明日の朝はまた見送りが在るし、客と一緒の間は仮眠しかできませんが、とりあえず今日は軽く寝ましょう。

おやすみなさい。

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