遊女の一日 看板太夫の藤乃の場合

 私は三河屋の太夫の藤乃。

今年23の三河屋のお職、つまり指名や売上一番の遊女でありんす。

今の私は昼見世を主にしているので大体の起床時間は朝四ツの巳の刻(おおよそ朝10時)です。


 まず起きたら楼の中にある内湯で入浴します。

太夫である私は一番風呂に入れ、私付きの禿や新造も一緒です。


「わーい一番風呂」


 禿が嬉しそうに内湯に入っていきます。

まあ、お湯がきれいなのは気持ちいいですからね。


 湯殿からかけ湯をして、たらいに湯をすくうと、液体のシャボンで肌をあらう。

湯で流し垢と石鹸を落としたらお湯に入ります。


「ふう、いいお湯でありんすな」


「藤乃様、今日もお昼から新しいお仕事でありんすか」


「まあ、そう聞いてるねぇ」


 今日の昼見世は初指名のお殿様らしい。


「どんなかたなんしょうな」


「まあ、大金持ちのお大尽はんなのは間違いあらへんな」


 風呂をあがると禿がお茶を差し出し、私の服の着付けを手伝う。

それから、自室に戻り、禿が持ってくる朝食の膳をいただく。


「なんや最近は廓の飯も随分良くなってるわ」


 今日の献立はワカメと豆腐の味噌汁、田楽味噌のこんにゃく、麦と玄米のご飯、黍魚子(きびなご)の佃煮、ふきのおひたし、それに納豆。

昔はクッサイ米に塩っ辛い汁物、塩っ辛い漬物だったのにねぇ。

わざわざ自腹で何やかや買わなくても十分だね、これなら。


「ではいただきんす」


 まずは黍魚子の佃煮


「ん、美味しいでやんすな」


 次に味噌汁。


「ん、ちゃんとかつおだしを入れてあるんでやんすか」


 この楼の先の楼主様がなくなり、若旦那になった戒斗坊っちゃんが倒れたときたときはどうなるかと正直思ったもんでしたが、シャボンやら化粧水やらなんやらの商売も始めてなんやら好調のよう。

便所の肥が臭くなくなって、便所に入ったあと香で臭いをごまかさなくても良くなったのも驚きやしたね。


 食事を取り終わったら髪を結い、化粧を施し、揚屋へ向かう行列準備をする。

そこへ坊っちゃんがやってきました。


「藤乃、今日のお前さんの指名相手は、陸奥仙台藩第3代藩主で、

 伊達氏第19代当主の伊達綱宗(だてつなむね)公だ、

 なんせ表高62万0056石5斗4升4合で、諸藩のうちで第3位の大大名だからな。

 よろしく頼むぞ」


「あい、わかりんした」


「ああ、それから客が頼んだくいもんは

 藤乃以外はくってもいいぞ」


「わーい」


「ありがとうございます戒斗様」


「ただし太るほど食うなよ」


「あーい」


 私ら太夫にとっては相手が松平陸奥守であろうと、水戸の徳川光圀公であろうと関係ありませんけどね、ただ地方の方言でもちゃんと聞き取れるようにしないといけないのが大変だったりしますが。


 そして伊達綱宗公より正式に揚屋差紙が私のもとに届きました。

揚屋差紙は身分を証明するものでもあり遊女の指名を行うものでもある証紙です。


 いまごろ揚屋では遣手婆が宴会の席を設けてさぞかしふっかけていることでしょうね。

なにせ、日本で三番目に大きな藩のお殿様ですし。

女芸者である太鼓持ちや男芸者である幇間もここぞとばかりに揚屋に押しかけていることでしょう。


 私は金棒引きを先頭に煙草盆、煙管箱、煙草入れを抱えた禿を三人私の前に従えて、私の名が入った提灯を下げた提灯持ち、私が歩く際に肩を貸す肩貸の肩に右手を乗せ、長柄の和傘をくるりと回しつつ傘を支える傘さしといった男衆を周りに従え、6名の振袖新造を後ろに、最後に番頭新造を従えて大名行列のごとくつらつらと三枚歯の重くて高い黒塗下駄でしゃなりしゃなりと揚屋へ向かいます。


 まあ肩貸しが必要なのは前後の幅と高さが同じくらいの高下駄の安定が悪すぎるからですが、そういう作法になってるので仕方ありませんね。

周りには見物客が私達の道中を見ているのですが、これは見世のお職であり看板であり格子前に出ない私の顔を見られる機会でも在るとともには振袖新造や禿の顔見せの意味もあるのです。


 やがて揚屋についた私は下駄を脱ぎ2階の座敷へ向かいます。


「三河屋揚屋、三河戒斗抱え、藤乃太夫、はいりんすえ」


 すっと障子を開け座敷に入ると卓の下座に座っている殿が見えました。


「おお、やっと来たか」


 芸者が三味線や琴をかき鳴らし、卓上にある台のものなどの食べ物ももかなり豪勢なものです。


 私は卓の上座に座って彼の様子を見ます、客は下座に座り、酒や台の物を前に宴席になるのです。

酒は客の方が遊女に勧めるが、遊女は一言も発せずにこれを断るのが初回の作法です。


「おお、太夫もいっぱいどうかね?」


「………」


「では、新造のお前さんはどうだ?」


「では、ありがたくいただきんす」


 殿は芸者をたくさん呼んで盛り上げようとするが、私と殿の間では堅い雰囲気が続きます。

初会つまり1度目はお互いに本当に顔見せだけで私が酌をすることも私と会話することもありません。

そういった役目は太鼓持ちや新造のすることで私がするのは彼の人となりと懐具合を見ることです。


 彼はパンパンと手をを叩くと言います。


「うむ、酒と台のものをどんどん持ってこさせよ」


 もちろん酒乱だったり乱暴だったりケチったりすれば彼と会うことはもう二度とありません。


「よーし、今回は大盤振る舞いだ、拾った者は持っていって良いぞ」


 彼は懐から取り出した1朱金を畳の上にばらまく、1朱金は250文だから結構な金額。


「わー」


「すごーい」


「きれーい」


 芸者や新造、禿が畳の上の1朱金を拾ってるけど私は当然動かない。


 このほかに私の揚げ代1両分(10万円)、さらに遊女屋での宴会代、花魁のお供一行、遊女屋の主人、男衆や女中、やり手婆などの祝儀、幇間に芸者などの揚げ代に出す祝儀は10両~50両は(100~500万円)がかかるんですがね。


「ふうむ、殿さん、まあ金はあるようでありんすなぁ」


 私は、煙草を一服まわし出ていく、これは客を気に入ったという証なのですよ。

廊下で待って居るやり手に聞く。


「で、今回はいかほどでありんすか?」


「あんたの取り分が4両(約40万円)ってところさね」


「殿が床にばらまいた分は別でやんすよね」


「そりゃ当然さね」


 なるほど、では、見世に払った金額は40両(約400万円)といったところですかね。

申の刻(午後4時くらい)になれば「昼見世」の時間は終わり、武士は幕府に許可を出さねば大名であっても暮れ六つ(午後6時)までに帰宅しなければならないから、今から大急ぎで帰るのだろう。

私も途中で天麩羅入り蕎麦を軽く食べてのんびり置屋の個室へ戻ります。


「さて、私宛に文が届いていますかね」


 置屋へ戻ったら、馴染みの客からの文を受取り、必要ならそれに対しての返信をします。

予約の日にちがかち合わないようになどうまく誘導するのも遊女の腕です。


 合間を見て禿や新造に仕事に必要な芸事、知識、技術を教え込みます。


「ちょっと音がずれてるねぇ、やり直し」


「はい、藤乃さま」


 特に三味線は大事です。


 そして夜四ツの亥の刻(午後10時)にもなれば禿や新造は寝る時間になります。

子の刻(午前0時頃)になれば私もねます。


「さて、おやすみなさい」


 明日も仕事が入ればいいのですが、常に仕事が入るとは限らないのが困ったものではあります。

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