二十五話 恋焦がれるように 下下

 振り抜いた。

 手には綿を斬ったほどの手応えもなく、最初からそうであったとしか思えないほどに、聖剣を半ばから断ち斬っていた。

 断面は私の顔がうつり、自分のやった事ながら鳥肌が立つ。


「あはっ」


 思わず、らしくない笑いが漏れ出てしまう。

 今の心持ちを言葉にするなら、それは濃淡のない白一色だ。

 今の一刀は、剣の頂に登ったと確信を持って言える。

 そして、まぐれではないという手応えもある。

 私の胸に沸き上がるのは、歓喜一つ。

 私はここに来た。 ここが私の到達点で、剣の終着点だ。

 神の作った『絶対不壊』の聖剣だろうと、私は斬れる。

 ここより先はない場所に、私は至ったのだ。 

 勇者を斬った、なら次は魔王だ。

 魔王を斬れば、あとは誰を斬ろうか。

 神とて私は斬れるはずだ。

 私は全てを斬れるだろう。

 どこまでも行ける、という事ではなく、ここで終わりなのだ。


「ああ……」


 そうであるはずだ。

 私は何も得られない人間だと、自分を思っている。

 地を耕し、誰かを愛し、子を育む尊い生き方は、私などでは出来やしない。

 全てを斬り、血の河を作り、歩いた後には何も残さない生き方しか出来ない。

 山賊どものようにどこまでも刹那的で、どうしようもなく無様な生き方だ。

 誰かの想いを斬り捨て生きてきた。

 何よりそうであるべきだと、望んで生きてきた人でなしだ。 

 なのに、


「報われた」


 そう思ってしまうのは、何故なのだろうか。

 一瞬の歓喜が過ぎれば、私の中の感傷が蠢き出す。

 私が戦った相手を想い、想いを預けてくれた人を想い、その全てを斬り捨てた事を想う。

 そこに、後悔はないはずだった。

 後悔していいはずがない。

 強烈なまでの恥という感情が、私の奥底から沸きだし、


「アカツキ!」


 その全てを塗り潰すほどの強烈な恥を、私は得た。


「負けていませんわ!」


 この場に残る心もなく、次の動きに移るための残心もせず、振り抜いた姿勢のままで動きを止めていた私に、ルーテシアの言葉を受けたリョウジが動く。

 相手を負かしたわけでもなく、意識を内に向けるなど今日、剣を握った少年でもしないだろう。

 己の愚かさに嫌気が差しながらも、身体は勝手に動こうとし、しかし歓喜と感傷に取り憑かれて動けない。


「アアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 まだリョウジの眼は、最初から負けていなかった。

 前を向き、私を見据え、ただ戦おうとするリョウジの姿は戦う者の姿で、勝ったつもりになり、油断と慢心に溺れた私とは大違いだ。

 ルーテシアの言葉がなくとも、遠からずリョウジは動いただろう。

 そして、私は動かなかったはずだ。

 反射的に顔面に突き込んだ刃を、リョウジは頬の皮一枚で避けた。


「ああ」


 私の口から漏れた溜め息は、歓喜でもなく、感傷でもなく。

 手にしたはずの頂は、私自身の手で汚して転がり落ちてしまった。

 半分になった聖剣の刃が、私の肩から腰へと抜けていく。

 筋肉が堅く収縮し、血はまだ出ない。

 しかし、耐えようにも耐えきれるものではない深手だと、見ずともわかる。


「なんたる未熟か」
















「勝った……?」


 手応えは、あった。

 人を斬ったのは、二人目だ。

 一人目は斬ったというには無様が過ぎて、勝ったという実感はなかった。

 二人目、ソフィアさんを斬った。


「お嬢様!?」


 クリスさんが呆然と立ち竦む僕の横を走っていく。

 何故、という言葉しかない。

 どれだけ乱暴に扱おうと、魔王の攻撃を受けようと壊れなかった聖剣。

 絶対に壊れないはずの聖剣を斬った一振りは、僕が一生をかけても届く気のしないような一振りで、僕とソフィアさんの差だったはずなのに。

 ソフィアさんが下がる。

 一歩、二歩、三歩。

 よろよろとした動きに、いつもの精彩はない。

 膝から力が抜け、崩れ落ちるのを拒否するように地面に刀を突き刺し、その身を預けた。


「お、お嬢様、大丈夫ですか!?」


「馬鹿め、大丈夫なはずがあるか」


 そんな言葉を返しながらも、ソフィアさんは倒れる事を拒み、僕を見つめる。

 視線はどこか透き通っていて、どこか嫌な感覚が背筋に走った。


「届いたと、思ったよ」


 言葉の意味はよくわからない。

 僕に語りかけているのか、それとも自分に語りかけているのか。

 だけど、あの一撃は、確かにどこかに届いていたと、僕は思った。


「胸を張れ」


 ソフィアさんの足元に血溜まりが出来ていく。

 袈裟がけの傷、僕が斬った傷から流れ出る血で、血だまりが出来ていく。


「私の負けだ、リョウジ」


「違います」


 僕は反射的に言葉を返していた。

 僕がソフィアさんに勝ったなんて、そんなの冗談にだってなりやしない。


「僕が卑怯な事をしたから!」


 聖剣すら斬り捨てる一振りは、僕では届かない高みにあった。

 本当なら僕はあそこで降参するべきだったんだ。

 あれを見て、勝てると思えるはずがない。

 今、こうやって僕が立っているのが、何かの間違いだったとしか思えない。

 喚き散らしそうになる僕に、ソフィアさんはゆるゆると首を横に振る。 


「私の負け、だ」


 はっきりとした言葉は、僕の意思を求めてない。

 自分が負けたのだと、ソフィアさんは言った。


「立ち合いに余分な物を持ち込んだ」


「でも、僕はソフィアさんに勝っていません」


「いいや、私の負けだ」


「僕は、勝ってないんです」


 苦さしかない。

 こんなものが勝ったと言えるはずがないんだ。

 僕の言葉を聞くと、ソフィアさんは苦笑いを浮かべる。


「お前は本当に……まぁいい」


 ソフィアさんは腰から鞘を抜いて刀を収めると、


「貸してやる。 そんな折れた剣では格好がつくまい」


 膝は笑い、ふらつきながらもその刀を持つ手だけは揺るがない。


「次に私と戦うまで、負けるな」


 僕は勝っていない。

 だけど、ソフィアさんが自分の負けだというのなら、彼女が負けるなと言うのなら、


「はい」


 僕はそれまで勝ち続けるしかない。

 僕の卑怯で汚した勝負、いつか必ず訪れる再戦を更に敗北で汚せるはずがない。


「次は、私が勝つ」


 相手が魔王だろうと、僕は負けるわけにはいかない。

 その誓いと、


「はい」


「行け、リョウジ」


 受け取った刀は驚くほど重く、


「はい!」


 立ち続けるソフィアさんに視線は向けず、僕は前に出る。

 僕の背中を、どさりと何かが落ちる音が打った。


「ルー、あとは頼んだよ」


「で、でもアカツキ一人で魔王の所に行かせるわけには!」


「大丈夫」


 腰のベルトに鞘をくくる。

 きちんとした付け方はわからないけど、とにかく固定出来ていればいい。


「僕は負けない」

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