二十五話 恋焦がれるように 下中

 手も足も出ないとはこの事か。

 チィルダを折られないようにするのが、私の精一杯だった。

 リョウジの一撃を無理に受けたせいで、恐らく両の手首が折れている。

 何とも呆れるほどの剛剣よ、と溜め息混じりに称賛するべきか、どれだけ剣を振り回そうとも肉のつかない女の細腕を嘆くべきかもわかりやしない。

 しかし、さきほどの一撃は見事だった。

 気を殺しきった止水の一撃は返すのがやっと。

 ただ剣を降り下ろす、という変化もへったくれもない一振りだけに、その者の実力がよくわかる。

 今の生であれほどの剣を見たのは、アラストール以来か。

 何とも見事な一剣よ。

 天晴れ、汝こそ天下無双の勇者よ、とでも扇片手に言ってやってもいいくらいだ。

 本当にリョウジは強くなった。

 それが勇者だからか、リョウジだからかはわからないが、豊かな才能は豊かな戦いに磨かれて花開いた。

 弾かれ合った剣と剣。

 聖剣を掲げるかのように、真上に手を上げた状態のリョウジ。

 次の行動はどんな馬鹿でもわかるほどに単純明快だ。

 そのまま降り下ろすだけで十分であり、あの見事な一撃が再び来ると思えば背筋が粟立ち、毛穴が開く。

 私は、といえば受けるために大股を開いた体勢は、控えめに言っても見苦しい。

 受けた衝撃を流し切れず、右手が左の腰に触れそうになるくらいに身体を捻ってしまっている。

 ここからどうやって次を受けろと言うのやら。

 今を将棋で例えるなら、まだ駒一つ動かしていない万全の状態から、王手飛車取りをかけられてしまったようなものだ。

 それ以上に悪い体勢から簡単に挽回の一手を打てるのであれば、世の中から苦労という言葉は無くなるだろう。

 後ろに飛び退こうにも、足裏はべったりと地に着き、重心は前のめりになっている。

 リョウジの剣の方が速いだろうし、あっさり追い付かれるだろう。

 いやはや、詰まされているなあ。


「なのに」


 身体が、動いていた。

 なんと見事な太刀さばきよ、とでも大人ぶって言ってやればいい。

 そうすれば見苦しくなく、それなりには面目が立つ。


 いつの間にか、チィルダを鞘に納めていた。

 いつ、どうやって、と考えても記憶にない。


 十分に戦ったはずで、満足している。

 今から頭を下げれば、憎しみあって戦ったわけでもない事だし、恐らくリョウジは許してくれるだろう。

 賢い生き方をするのなら、それが最良だ。


 餓えと渇きしか感じられず、足指が地を噛む。

 敗北する事は、どうでもいい。

 ただここで引けば、どこにも行けなくなるという確信があるだけだ。


 リョウジの剣は、私の命を奪うだろう。

 やはり死にたくはない。


 折れた手首に力を籠める。

 退くのが、死ぬ事より怖い。


 私が、私を裏切る。

 それとも私が、私を裏切っているのか。

 身体と魂が戦いを望む。

 我が身が鬼となろうと、女になろうと、何一つ変わってはいない。


 私はリョウジを求めた。

 リョウジは底の見えない崖から、迷わず飛び込める人間だ。

 臆病な羊のふりをしながら、リョウジという人間の本質は臆病とはほど遠い。

 そして、崖から這い上がってきたリョウジは一回り大きくなる。

 臆病者はそこに好機があろうと踏み込めない。

 リョウジは臆病ではない。


「ならば、私はどうだ」


 私は崖から飛び下りられるか?


 自問の答えは、すでに出ていた。

 神が作りたもうた『絶対不壊』たる聖剣と数合打ち合ったたけで、すでにチィルダの芯が歪み始めていおり、もう先は長くないだろう。

 私とわかり合いたいと望んだ少女の、あの柔らかな手を引く事は二度とない。 

 だが、それでも握り締めれば、しっかりとした感触を返してくれた。

 言葉はない。

 言葉はなくとも、チィルダも退く事を望んでいないと、わかる。

 それは独り善がりな思い込みではなく、ただそうであるという事実だ。

 地を噛む足指から力を、膝を回し、前に出る力へと変えていく。

 鯉口を切った。

 そして、リョウジが動く。

 迷いなき剣筋は、見事の一言。

 だが、その剣はもはや私の目には入らない。

 音もなく、祈りもなく、ただ空だった。

 私自身が一振りの刀であり、私がチィルダを振ったのか、チィルダが私を動かしたのかすら定かではない一身一刀の境地。


「届く」


 リョウジに、ではない。

 勝ち敗けに、でもなかった。

 その先にある、何かに届いた。































 振り抜いたチィルダの刃が、聖剣を半ば断ち斬っていた。

 私は、私達は神を斬った。

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