TURN5 死して屍拾う者あり
魔王とて仕事をする。
その事におかしみを感じている自分に気付き、エミリオ・アークライトはまだまだ自分に余力があると思えた。
一週間。
普段であればあっという間に過ぎ去る程度の時間だが、魔王城に忍び込み、魔王を暗殺をするために待ち続けるという意味では、ぞっとするほど長い。
だが気配を消し暗殺をする、という一点では師であるアラストールもエミリオには及ばなかった。
剣聖と名高いアラストールだが、元は傭兵だ。
戦場では勝利を得るためには、どんな手でも使うべきだと弟子に教え続けた。
しかし、俊英揃いのアラストール門下の中でも、エミリオでなければ忍び込むことすら出来なかっただろう。
こんな暗殺者紛いの技は心底、嫌いだ。
戦場で堂々たる一騎討ちをし、敵の首級を上げるような華々しい戦いをしたい。
未来永劫、語り継がれるような戦いが望みだ。
こんな風に剣を振るうのは、エミリオ・アークライトの戦いであっていいはずがないと思う。
だが、
「もらったぞ、魔王」
エミリオは声に出す事なく、口の中で呟いた。
仕事に疲れたのか、魔王は供回りも着けずに独りで廊下を歩いていた。
その無防備で小柄な背中に向けて送り込んだ一撃は、エミリオに必殺を確信させる。
「なにっ!?」
魔王の防御を抜けないかもしれない、という恐れはあった。
だが、
「甘えよ、人間」
渾身の一撃を肩越しに回した手で、人差し指と中指の二本で剣を挟み込み、止められるとは想像もしていない。
身体能力で負けるのはわかっていた。
魔力量で負けるのもわかっていた。
だが、まさか技で負けるとはーーー!
「カカカ、俺様もなかなかのもんだろ?」
「っ!」
一瞬の自失は魔王の声によって破られ、エミリオは反射的に飛びずさる。
力任せに防がれるなら仕方ないが、アラストール門下にその人ありと言われたエミリオの剣を、指二本で止められる者など人間の中にもいはしないはずだ。
「ちょっと遊ぼうぜ、人間」
そう言うと魔王は膝をつけると、左手を床につけた。
開かれた手のひらには闇より暗い魔力が凝縮されている。
「何か似たような漫画あったよな、これ」
暗い魔力は離れた場所にいるエミリオすら引き込もうとする力だ。
「最近よ、色々と武器使ってみるのに凝っててさ」
魔王の声音は、いっそ友人に話しかけているように穏やか。
眼光も柔らかく、剣を持った暗殺者を前にした者の態度ではない。
「どうもペネやんみたいな斧は合わねえんだよな」
魔王が地につけた手を、ゆっくりと引いていけば一本の棒が出来上がっていた。
「地面を超重力で圧縮して、無理矢理固定しただけの代物だが、それなりにゃ硬いぜ」
黒光りする棒から、特別な力は感じない。
だが腰を落とし、しっかと構える魔王の姿は堂に入っているどころではなかった。
ただそれだけでエミリオの脳内から、勝利という言葉は消えた。
「さて人間」
まさにそれは名人の風格。
重心にブレはなく、余分な力はどこにも見えない。
「こちとらストレス溜まってんだ。 ちっとは凌げよ」
「ザリニ=ガ! ザリニ=ガ!」
「お呼びでしょうか」
魔王が呼べば、突如として地から泥が湧き出す。
そして、そこから現れるは魔王軍が誇る四天王が一人、『水の』ザリニ=ガの姿だ。
泥から顔を出したザリニ=ガは、その複眼をぎょろぎょろと不気味に動かし、エミリオに視線を向けた。
「死に損ない(アンデット)ですかな?」
エミリオの口から漏れるのは、アンデットと呼ばれた事への否定の言葉ではなく、血の泡だけだ。
「死に損ないには間違いないが、侵入者だ」
「ひ、ひええええ!? な、なんですと!?」
驚いたザリニ=ガの口から泡がぶくぶくと漏れるが、そんな滑稽な様子にもエミリオの心は動かない。
もはやエミリオの心臓はなく、胸に空いた大穴から血がとめどなく流れ続けるだけだ。
「なかなか面白い奴だったからな、死に損ない(アンデット)にしてやろうと思う」
「お、お戯れが過ぎますぞ! 魔王様を狙った愚か者は八つ裂きにして晒すべきでございます!」
「ならお前も俺様を守れなかった罰で死刑か? 冗談じゃねえよ、四天王の半分がどこぞでのたれ死んでんだぞ。 ただてさえ駒が足りねえんだ、余計な手間増やさすな」
「ぐぬぬ……仕方ありませんな」
大の字に倒れるエミリオに、ザリニ=ガが近付いてくるのも、虚ろな目をした彼には見えない。
エミリオ・アークライトは、死に瀕していた。
「この、血が……魔王の物であればいいのに」
「これからはその血を魔王様のために流すがよい、」
胸に空いた大穴に、ザリニ=ガのハサミが突き込まれる。
エミリオにはもはや痛みを感じる力も残されていない。
しかし、魂を犯される感覚は死に瀕したエミリオをして、声にならぬ絶叫を上げさせるだけの苦痛を与える。
エミリオ・アークライトという存在が穢らわしく冒涜的な魔術により、塗り潰されていく。
魔王への敵意が恍惚へと、怒りは崇拝へと。
もはや、ここにいるのはエミリオ・アークライトという剣士ではない。
「魔王様、こやつめに名前をくれてやってくだされ。そして、魂を縛るのです」
「ふむ」
健康的だった肉体から淀んだ泥沼のような臭いを発し、意思ある瞳はただ虚ろな光を放つのみ。
倒れていたエミリオは、まるで糸に操られる人形のように不自然な動きで立ち上がった。
「負けるとわかりながら、必死に粘った戦いはなかなかのもんだった。 てめえは今から『鋼』のアスモフだ」
魔王が手を掲げると、エミリオだった物の足下の影がらぐねぐねと動く。
エミリオの死体に影がまとわりつき、彼の全てを覆い隠した。
「気分はどうだい? 『鋼の』」
「アアアアア……」
それは慟哭であり、歓喜であり、だが魂が腐乱してしまったエミリオの声でない事は確かだ。
まとわりつく影は足下に戻らず、そのまま『鋼の』アスモフの身体を守る鎧へと変貌する。
禍々しい形状の鎧の隙間からは、怨念の混じった冷気が漏れだしていた。
「そうかい、そりゃ結構」
そんな『鋼の』アスモフを見た魔王は、へらりと笑う。
「そろそろ討って出るぞ、ザリニ=ガ」
「は? しかし、このままでは補給が続きませんが」
「このまま俺様が書類に埋もれてた所で、食い物が湧いて出るのか? もうどれだけ配分をいじろうと、これ以上どうにもなんねえよ」
魔王はアスモフもザリニ=ガにも背を向け歩き出す。
「野蛮な魔物共らしく略奪上等、現地調達でいこうぜ」
「はっ、かしこまりました」
背を向けていても、魔王の楽しげな空気は辺りに伝わる。
「あー……」
しかし、何かを思い出したのか、魔王は頭をがりがりとかいた。
「……ペネやんも勝ちゃついてくるだろうよ」
「魔王様……」
「忘れろ」
何事かを言おうとしたザリニ=ガを制し、魔王は頭を振り、笑った。
「 行くぜ、人間共。 魔王が城に籠ってなきゃいけねえって法律なんてねえもんなあ!」
カカカ、という笑い声が辺りに響く。
ザリニ=ガの耳には、その笑い声がひどく虚しく聞こえた。
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