十八話 地獄極楽天国やっぱり地獄 上

 闘争の気配は、どこにいても感じ取れる。

 今も、私の視線は自然と窓の外に向かってしまった。

 すっかりと光が消えた男爵家から見る夜の風景は、人を引きずりこんでしまいそうな闇と静寂のなかにある。


「どうしましたの、ソフィア?」


「どうやら招かれざる客がやってくるようだ」


 せっかくルーテシアと腹を割って話そうと、寝酒まで用意したというのに。

 私とてたまには斬り合うより、杯を交わしながら語り合う気分の時もある。

 なんという無粋な連中だろうか。


「……ソフィア、頭の耳がぴくぴくしてますわよ」


「おっと」


 猫の耳は正直過ぎていかんな。 


「それはともかく着替えくらいはしておけ」


「……不味いんですの?」


「いや、大丈夫だとは思う」


 軍と軍のぶつかり合う空気はない。

 何度かその場にいた事はあるが、もっと圧迫感があった。

 猫の耳の裏にむず痒い、ちりちりとした感触を感じるが、そこまで強いものではない。


「だが、万が一が合った時、寝間着で飛び出していくつもりなのか?」


「それもそうですわね……」


 露骨にうんざりとした表情を見せるルーテシアは、纏っていたネグリジェをさらりと脱ぎ捨てた。

 手を出す気はないが、その均整の取れた身体にはやはり目を引かれてしまう。


「あまり夜に履くと、あとでむくみそうで嫌ですわ」


 ただでさえ最近、歩く事が多くて足が太くなってきたましたのに……と、ぼやくルーテシアはコルセット一枚のまま、ベッドに片足を乗せ、ガーターと腿の半ばまであるソックスをはいている。

 何とも言えぬ曲線を描く尻の線と、艶かしい脚線美が色気を醸し出す。

 野に咲く花も悪くはないが、花瓶に飾られた大輪の花もまた良き物だ。

 まだ健やかな成長の最中にあり完成していない美しさだが、この先もっと美しさを増すであろう事を考えると、いっそここで我が手で手折ってしまいたくすらある。

 やらんが。


「……前から思っていましたが、そっちの気でもありますの? そんなにじろじろ見られると、さすがに恥ずかしいですわ」


「いや、私は美しい物を愛でるだけだ」


 しかし、前の生の価値観を引きずっているせいか、男より女性の方に美を感じてしまうのは仕方ないだろう。


「また耳がぴこぴこしてますわよ」


「おっと」


 まったく困った耳だ。


「わたくしはアカツキの物ですからね!」


「それはもったいない。 ルーテシアなら国の一つくらいは傾けられるだろうに」


「褒め言葉ですの、それ?」


 これ以上、見ているわけにもいかない。

 私も手早く寝間着を脱ぎ捨てていく。


「男として、そこまでリョウジに魅力があるものか?」


「難しいですわねえ……」


 ルーテシアはそのほっそりとして、形のいい顎に指を当てて小首を傾げた。

 こんな風に、自然と男が好む仕草を、まだ女になりきっていない少女がするのだから、げに恐ろしきは汝、女と言った所か。


「誠実ですわ」


「だが、あのくらいの誠実さなら、掃いて捨てるほどとは言わないが、探せばいるな」


「そうですわね。 でも優しいですわ」


「同じく探せばいるな」


「そうですわね。 二つを兼ね備えた方はなかなかいらっしゃいませんけれど。 もし、ソフィアが男の方だったら優しくはしてくれるでしょうが、誠実さはないでしょうし」


「違いない」


 私の顔に思わず浮かんだ苦笑いを見ると、ルーテシアは仕方ないといった様子で柔らかく笑った。

 その笑みを見て、私は心の底から納得出来る事があった。


「ああ、先ほどの言葉は訂正しよう。 ルーテシア、君は傾国の美女ではないな」


「また喜んでいいのか、微妙ですわね……」


「君は旦那が駄目であればあるほど、尽くす人だな」


 ルーテシアは、呆れた様子で口を開く。


「それこそ褒めてますの?」


「間違っているなら謝罪しよう」


 リョウジも頼りない所があり、そういう部分を好む女性は案外いるものだ。


「それは……きっと間違ってはいないのでしょうけど……」


「ルーテシアがいるから、リョウジはしっかりやっているのだ。 恥じる事はないさ」


「言い方ってものがありますわよね!」


「正直だからな、私は」


「正直過ぎますわよ」


 はあ、とルーテシアは溜め息を一つ。

 僅かに顔を俯かせ、上目遣いでこちらを見上げる様は、普段の大人びた表情からは想像も出来ないくらい幼く見える。


「……わたくしだって、白馬に乗った王子様にも憧れはありますのよ?」


 その落差は好きな者は好きなのだろうが、後腐れのない後家とばかり戯れていた私には眩し過ぎる。

 彼女の心を得たいのであれば、添い遂げる覚悟が必要だ。

 私には無理だな。


「憧れと現実は違うものだなあ」


「ええ、まったく」


 リョウジでは白馬から振り落とされて、慌てて追いかけるのが関の山だろう。

 あいつが決めようとすればするほど、間抜けな事態を引き起こすとしか思えん。

 今も姿が見えないが、どうせロクな事はしておるまい。


「もっといい男がいただろうに」


「仕方ありませんわ」


 呆れを含んだ声が二つ重なる。

 しかし、ルーテシアの顔には、


「好きになってしまったんですもの」


 花で例えるなら、雨に濡れる紫陽花か。

 雨を煩わしいと想うのではなく、濡れる事すらいとおしく、誇らしく思っているような、そんな笑みが浮かんでいた。

 いやはや、まったく……リョウジにはどこまでも勿体ない女性だ。

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