十七話 戦うな、マゾーガ 上

「さて」


 刀を納めたソフィアさんは言った。

 顔色は真っ青で、膝はガクガクと震えている。

 よく見れば腹からだくだくと血が流れ、足元に水溜まりのように溜まっていた。


「これは死ぬかもしれん」


「ル、ルー!? 助けて、ルー!」


 ぱたりと倒れたソフィアさんを前に、僕は取り乱す事しか出来なかった。











「ふむ」


 目を覚ませば、見知らぬ場所だった。

 私の人生ではよくある事だ。

 死にかけて、誰かに助けられてを繰り返している。

 ありがたい話だが死にかけた不運を嘆けばいいのか、助けられた幸運を喜べばいいのか迷う所だ。

 身を横たえていたベッドから身体を起こし、寝間着をはだけてみれば自分の胸で腹が見えない。


「……むう」


 仕方なく下腹に手を当ててみれば、僅かに残る傷跡の感触がある。

 正確な所は後で姿見でも借りてみなければわからないが、かなり大きな跡が残っていそうだ。

 女の身としては嘆く所かもしれないが、あまり気にはならない。

 武芸者なんて物をやっていれば、傷の一つや二つは出来るものだ。

 着道楽をするには困るかもしれないが、着道楽のために剣を捨てる気もない。

 まぁどうでもよかろ、という結論を出し、私は立ち上がった。

 くらっとふらつく身体は、血が足りていないのか、寝過ぎたせいか。

 反射的に壁に手をつくと、石の感触。

 辺りに目をやれば、それなりに整ってはいるが、どことなく困窮の香りがする部屋だった。


「それより……」


 無手でいるのが、僅かに心細い。

 チィルダがいなければ、と心に浮かんでしまうのは私の弱さのせいか。

 依存しているのかもしれない。

 しかし、チィルダがより馴染むようになったが、振るうのはあくまで私自身であり、私の力以上にはならないのだし、別に構わないだろう。

 また折れた時が怖いが、その時は……さすがにもう一度、あれはしたくないな。

 普通に子供を産むより痛いのではなかろうか。

 腹の奥から突き破るあの感覚は、さすがに耐え難い。


「まぁそうなってから、改めて考えるか」


 そう結論を出すと、私は髪をかきあげた。

 その時である。


「なんだこれは……」


 頭のてっぺんに、二つの感触があった。

 ふにょんとした触り心地に、髪とは違うもふもふとした触感を感じる。

 ふにふにと触ってみれば、腰骨の奥にぴりぴりとした疼きを感じ、しっかりと私と繋がっている事がわかった。

 しかし、これが何なのかがわからない。


「入るぞ」


「ああ」


 ノックと共に声、扉が開かれるとマゾーガが入ってきた。


「起きたのか、ゾフィア」


「お陰様でな」


 それ以上の言葉はなく、マゾーガはベッド横にあった花瓶の花を交換する。

 まったく気付かなかったが、黄色い名も知らない花が咲いていた。


「ありがとう、マゾーガ」


「……いい」


 戦斧の代わりに花を持つマゾーガの手つきは、私には真似の出来ぬ繊細な物であり、その優しげな手つきを見れば、マゾーガが心根の清い乙女なのだと、改めて理解出来た。

 どのくらい寝ていただの、誰が傷を治してくれたかだの、ここはどこだだの、聞くべき事は色々とある。

 だが私の口から飛び出した言葉は、まったく違う問いかけだった。


「戦えるのか?」


 マゾーガは答えない。


「魔王軍と戦えば、オークの仲間と戦う事になる。 それにお前の兄とも」


「わがらない」


 私の言葉を断ち切るように、マゾーガは口を開いた。

 何度も何度も考え、それでも結論は出なかったのだろう。

 マゾーガが苦痛の色を浮かべているのを、私は初めて見た。


「ゾフィアは……どうじて躊躇いもなく人を斬れる」


「私が私であるからだ」


 剣を振るから私なのか、私だから剣を振るのかはわからないが、剣を振る以上、向かってきた相手は全て斬り、強者に挑まなければならない。

 それはすでに割り切った。

 誰かを斬るのに、もはや痛みを感じる事はない。


「兄者を止めなきゃ……いけない」


 血を吐くような、独白だった。

 私に向けた言葉ではなく、自分に語りかける言葉だ。


「兄者はきっど、全てを滅ぼすつもりだ。 ぞうなれば、皆死ぬ」


「なら」


「駄目だ。 ゾフィアが兄者を斬れば、おでば、ゾフィアを恨む」


 ぞれは、嫌だ。

 マゾーガの重い情念が、部屋を埋める。

 元より足りない我が心は、彼女にかける優しい言葉を生み出さない。


「兄者は、ずごい人なんだ」


 力なくベッドに腰かけたマゾーガの横に、私も腰を下ろした。


「土に灰を混ぜて、肥料を作り出したのは兄者だ。 そのお陰で、おでの部族で、餓死する者は減った」


「そうか」


「でも、ある日、人間が攻めてきて、畑を焼かれて皆、死んだ」


 マゾーガが、泣いていた。

 そんな友に胸を貸してやる事しか出来ない自分を、不甲斐なく思った。


「復讐なんだ……!」


「そうか」


「おでも、人間が憎い……! でも戦ったら、また誰かが泣く……。 それは、嫌だ」


 でも、


「おでが兄者と戦ったら、兄者は独りになってじまう!」


「そうか」


 争い、騙し、裏切り、どこまで行ってもどうしようもないこの世界で、マゾーガはどうしようもなく甘い。

 だが、だからこそ友でありたいと思える。


「戦うな、マゾーガ」


「ゾフィア……」


「私が全てを背負ってやる」


 私の背には恨みつらみが、山のように乗っている。

 ならばもう二つ乗った所で、問題はない。

 ペネペローペとマゾーガの恨みを、私は背負おう。


「ぞれじゃ、駄目なんだ……」


 マゾーガの嗚咽を聞きながら、私は決めたのだった。

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