十六話 因果応報、人類皆兄弟、遠慮容赦 下下

 僕を操っていたアンジェリカのギターは壊れ、これで自由になれたはずだ。

 ソフィアさんに斬りかかる、という弾が抜かれていないロシアンルーレットをしなくて済む。


「死ねえええええ!」


 完全武装の督戦隊に追われる兵士のような気分は、これで終わりだ!

 僕は解放されたテンションのまま、全力全開でアンジェリカに、


「にゃあ」


 アンジェリカが一声鳴けば、聖剣をソフィアさんに向けて、振り抜いていた。


「嘘ぉ!?」


「勘違いしているようだが……音は関係ないぞ」


 今度は弾き返さず、ソフィアさんは軽やかに避けて、ついでとばかりに僕を投げ飛ばす。

 斬れるとは最初から思ってなかったけど、ここまで完璧にいなされ続けるってどうなんだろう。

 投げられた僕は何とか受け身を取り、すぐに立ち上がる。

 痛いのは痛いけど、死にはしない。


「えーと……じゃあ、僕はどうやって操られているんですか?」


 投げられた場所は左手側にはソフィアさん、右手側にはアンジェリカ。

 その両方に意識を振り向け警戒はしているけど、アンジェリカの視線と意識は完全にソフィアさんに向かっている。


「少しは自分で考えてみろ」


「魔眼で他人を操っている、とか」


「外れだ。 なあ、アンジェリカ・ゴッドスピード」


「……お前、嫌いだにゃあ」


 憎たらしげな笑みも飄々とした態度も捨てて、ソフィアさんを見るアンジェリカの瞳には爛々とした光が宿る。

 下段に構えている、というよりはだらんと両腕を下げて無形の構えを見せるソフィアさんに対し、アンジェリカは僅かに腰を落とした。

 踵を上げ、いつでも動き出せるアンジェリカは、まさに野生の獣が今にも飛びかかろうとしているかのようだ。


「あちきは見下す側だにゃ。 お前があちきを見下していいはずないのにゃあ」


「見下してはいないさ。 貴様には強さがある。 そのくせ小器用な小細工ばかり、と思っているだけだ」


 なにこのおっかない空間。

 今のうちに逃げ出しちゃっても構わないですかね?

 さすがに本気で逃げはしないけど、そんな気持ちになるのは仕方ないと思う。


「答え合わせをしてやる、リョウジ」


 その言葉と共に、殺意の圧力が来た。

 白刃を突き付けられているような、凶暴な獣の顎に頭を突っ込んでいる気分は、僕の背に冷たい汗を流させる。


「うあ……」


 動けば死、そんな気配に足が止まり、肩に力がこもった。

 逃げようにも背を向けた瞬間、ソフィアさんに間違いなく斬られる。

 前にも後ろにも進めない、まるで身体中を鎖で縛られたかのように動けず、呼吸一つすら満足に出来ない。

 極端なまでに緊張した身体、


「来い」


 そこでいきなり圧力が消えると、身体がつんのめる。

 違う、恐怖と緊張から解放された身体が、反射的に元を断とうと動いているんだ。

 アンジェリカも同じように、ソフィアさんへと飛びかかっているのが見えたけど、僕にはどうしようもない。


「力が入り過ぎだ」


 そう言ったソフィアさんは、あっさりと聖剣を受け流し、アンジェリカに向き直った。

 構えという構えはなく、無形の位を取るソフィアさんの表情に緊張の色はない。

 弛緩とすら見える姿は、まさに自然体そのもの。

 対するアンジェリカはソフィアさんに動かされ自分の間を作れず、その表情には焦りが色濃く出ていた。

 切り落とされた耳からは、いつの間にかだくだくと血が流れ、顔中を赤く染めていた。


「終わりだ、アンジェリカ・ゴッドスピード」


 間合いはアンジェリカの足で一歩、逃げるにも自分を立て直すにも近すぎる。

 言葉を返す事もなく、アンジェリカは前に出るしかない。

 端から見れば、アンジェリカは確かに速い。

 しかし、ソフィアさんの動きを見た後なら、それもどこか遅く感じる。

 もし百メートル走をすればアンジェリカどころか、ソフィアさんは僕にも勝てないだろう。

 だけど無駄を削ぎ落としきった動きは、単純な身体能力の優劣を問題にしない。

 淀みのない力が、まるで目に見えるようだった。

 水鳥の羽が地に落ちるより柔らかく、しなやかな柳が揺れるが如く、そのくせ大樹のようにしっかりと佇む。

 人がただ立っているだけという事で、こんなにも極みを感じさせるものか。

 重心の揺れも体幹のブレもあるが、その全てが無理なくコントロールされ、だらりと両手を下げ、構えという構えを取らない無形の位を生む。

 アンジェリカは右手を振りかぶっていて、すでに攻撃のモーションに入っている。

 瞬き一つの時間があれば、大岩をも砕く拳が放たれるはずだ。

 だが、それも全ては無意味になるだろう。


「ぶっ!」


 耳から流れる血を溜めていたのか、アンジェリカの口から勢いよく吐き出される。

 ソフィアさんの顔に当たるが、小揺るぎもしない。

 それどころか力を篭めたせいで、アンジェリカの体幹がブレてしまっており、その拳の速度は確実に遅れる。


「これで億が一もない」


 僕は胸中で呟いた。

 小細工に淫し、アンジェリカ・ゴッドスピードは自らの敗北を決定してしまったのだ。


「にゃは」


「なんだって!?」


 そう思ったのもつかの間、アンジェリカの姿が変わった。

 振りかぶった人の拳が、巨大な猫の前脚へと変化する。

 いきなりの間合いの変化は突然、目の前に槍が現れたようなものだ。


「食らうにゃあ!」


 ついでとばかりに、尻から生える尻尾が九本に増える。

 増えたというよりも、これがアンジェリカの本性か。

 この期に及んでまだ切り札を隠していたなんて!


「はっ」


 だが、ソフィアさんは笑いすら浮かべていた。

 そうと気付いた時には、チィルダの切っ先は地に着き、アンジェリカの右腕を肩から斬り捨てている。

 ずるりと落ちる腕、そして残ったアンジェリカの左腕。

 いつの間にか巨大猫の前脚へと変化していたアンジェリカの左腕は、クレーターを作るほどに全力で地を叩く。

 その力は激しい土煙を上げさせ、ソフィアさんの目から自らの姿を隠した。


「にゃっはっはっは!」


 それだけではない。 力任せに地を叩き、アンジェリカは自分の身を宙に浮かせたのだ。

 三階建ての建物より、なお高く飛び上がったアンジェリカは、怒りに満ちた、しかし勝ち誇った笑いを上げる。


「あちきは生き残ったにゃあ! にゃははははは、この間抜けめ! いつか必ず復讐してやるにゃあ! あちきは執念深いのだにゃあ!」


「くそっ!」


 今から追えば間に合うだろうか、と焦る僕の耳朶に凛と鳴る鈴の音が聞こえた。


「輪廻剣チィルダが主、ソフィア・ネート」


 纏わりつく土煙すら上下に断ち切る一閃は、ただ鞘に刀を納めるための一振りだ。

 涼やかな立ち姿に、僕のような焦りはまったく垣間見えなかった。


「魔王軍四天王『炎の』アンジェリカ・ゴッドスピード、討ち取ったり」


 りぃんと鳴る鍔鳴りと共に、チィルダが鞘に納められる。


「に、にゃああああああああ……!?」


 宙を舞うアンジェリカは鈴の音と共に脳天から股にかけて、その身を二つに分かたれた。


「終わりだと言っただろう?」


 その姿を見て届かない、と僕は改めて思う。

 そして、それ以上に届きたい、と改めて強く思った。

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