十三話 「ただの人間」 下下上
「あなた、起きてください」
甘く柔らかな声が、僕の耳をくすぐる。
サラサラとした触感の絹のシーツは暖かいけど、もっと温度が欲しくて僕はもっと暖かい所を目指した。
「きゃっ! もうっ、リョウジはいつまでも甘えん坊ですわね」
胸元に顔を寄せると、彼女は優しく僕の頭を抱き締めてくれる。
目を開かなくても、彼女がどんな表情をしているかわかった。
何度口付けを交わしても飽きの来ない唇は微笑みを形作って、細められた目には僕を優しく見つめてくれているんだ。
彼女の豊かな胸は……触った事がないから、わかりません。
や、柔らかいんですよね、おっぱいって!?
いや、よく考えたらドレス越しだけど、ルーを抱きしめたじゃないか。
思い出すんだ、彼女の全てを。
僕の幸せ将来設計には――彼女のおっぱいが必要だ。
来い、勇者の力よ!
「カカカカカカカカ」
「……化け物め」
将来の僕の周りには必要のない声が聞こえた。
ソフィアさんは尊敬してるけど、いつまでも一緒にいると、真面目に斬られかねないし、そろそろいいです。
「いやいや、すげえよ、お前ら」
意識が強制的に幸せな妄想から、現実に引き戻される。
首を確かに落としたはずの魔王の身体が、すっくと立ち上がった。
その手には自分の首を抱え、しっかりとした足取りで。
「冗談だろ……」
勇者の力を発動した代償に僕の身体は熱く熱を持ち、小刻みだけど強く震えている。
魔王の前で寝ている事に耐えきれず、必死に立とうとするけど、それだけの事が出来ない。
ソフィアさんも言うまでもなく満身創痍で、チィルダを思いっきり蹴ったせいで足の甲も折り、立とうにも物理的に不可能だ。
「こっちが言いたいぜ、冗談だろ?ってな。 だけど」
斬られたはずの魔王の首は、笑顔を作る。
「慢心ってやつがよくわかった」
頭を持ち上げ、王冠を自ら被るように胴体にそっと置く。
「てめえらクソども……いや、人間の技ってやつが、よくわかった」
傷口は最初から無かったようにしか見えない。
あれだけ苦労して落とした首が、ぴたりとくっついている。
「お前らを俺様は尊敬してやる。 いやもう、なんつーか……」
言葉の途中で首を傾げた魔王は、胸の前で手を打った。
「なんかおかしいと思ったら、ちっとばかしズレてやがるな」
自らの首を、魔王は勢いよく引き抜く。
人形の首のように最初から取れるものではなく、肉と骨を無理矢理に引きちぎる音を立てながら。
「おっし、これで完璧だ」
微調整が上手く行ったのか、魔王は満足げな表情で首をくっつけた。
その凄まじい光景に、兵隊さん達も黙りこむしかない。
「……ソフィアさん、動けます?」
「……無理だ」
「ですよね……」
どうする、と脳が回転し始めるけど、万が一どころか奇跡が百回起きても魔王を倒せない。
二人とも限界なんてものを、とっくに超えてしまっている。
「だから、つまり何を言いたいのかと言うとだな……お前らは俺様の敵に相応しい」
魔王の目には真剣さが浮かんでいた。
倒れ臥す僕達を、真剣に倒そうとしている。
「ここまで、か……」
「ああ、感謝してやるよ、お前らには。 これで俺様はもっと強くなれる」
それは力の出力が増える、という事ではなく、力の使い方を覚えるという事だ。
莫大な力、まともな方法では攻撃を通さない防御力、首を落としても回復する不死身の魔王が、慢心を捨てて技まで覚えた日には一体、どうしたらいいんだ。
「面白かったぜ、お前ら」
魔王の拳に黒い渦が生まれる。
カスタート・フォン・ニール・フティンクは軍人ではあるが、あまり死にたいと思った事はない。
そして、部下を死なせたいと思った事は、もっとない。
「弓隊、放て」
声を張る必要はなく、張ってもいけない。
魔王の索敵方法は、これまでの観察によると人間と大差はなさそうだ。
その辺りに転がっていた連中を必死にかき集めたが、すぐに動ける兵士の数は百も超えない。
「魔術選択は炎で待機」
「あ、なんだこりゃ?」
魔王にぱらぱらと矢が降り注ぐが、まともに当たったものはほとんどなく、ダメージになった様子もない。
そして、まだ周りにいた兵士まで矢に巻き込むが、それも仕方ない事だ。
ただ全員が勇者と女剣士に当てない事だけに細心の注意を払う。
「おいおい、くだらねー邪魔すんなよ! まずはてめえらから……いや、この二人からか」
カスタートは舌打ちしたくなる衝動を抑え、次の命令を下す。
魔王が暴れ牛のように走りまわるだけなら、もっと対処があるものを。
「炎、放て」
虎の子の魔術師三人が杖を構え、炎弾を放つ。
「……あ?」
弓矢が当たる当たらない、というのは素人が考えるよりも遥かに難易度が高く、兵士達の腕、天候、風向き、更に魔王クラスなら無意識に発散する魔力だけで風が生まれ、まともに当たる物ではない。
だが魔術はどうか。
魔術はコントロールがしやすく、それどころか熟練の術者なら放った後に曲げる事すら出来る。
つまり、一人ならともかく三人全てが、同時に地面を撃つ事は常識ではありえない。
常識でありえないなら、それは狙い通り。
「なんだこりゃあ!?」
地面に当たった子供の頭ほどの炎弾は、魔王だけを包み込むように、魔王が両手を広げた程度の範囲だけを激しく燃え上げさせた。
弓矢を一点に当てるのは難しいが、その程度の範囲に矢を集めるくらいは出来る連中だ。
そして、矢には油と術式が組み込まれ、火が付けば炎の結界が生み出される。
当ててしまえば弾かれる可能性があり、逆に当てないように放つ自分の兵士達の腕に、カスタートは満足を覚えた。
そして、カスタートはそれまで隠れていた建物から身を乗り出し、この小男のどこからこんな声が出るのか、と思うくらいの大声を発する。
「勇敢なる戦士諸君、魔王を討ち取るのだ!」
ガチャガチャと鉄の擦れる音を響かせながら、全身に鎧を纏った五十の兵士達が槍を突き出しながら、まだ燃え盛る魔王の元に突撃を開始する。
「馬鹿か、てめえら」
炎の結界の内側から黒い拳が放たれ、結界を破壊し、そのついでとばかりに一人の兵士の土手っ腹を鎧ごと貫く。
しかし、誰も怯まない。
「やぁやぁ、我こそは誉高きかのシュトラウス家が騎士ハッサンなるぞ! いざ尋常に勝負なり!」
「……はあ」
退屈そうに名乗りを上げた騎士を、魔王は見やる。
「何の……」
槍を構えた騎士は威勢よく突っ込み、
「何の冗談だ、これはぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
魔王の拳は騎士の断末魔すら許さない。
ただ無慈悲なまでに強烈な一撃が、騎士の首から上を吹き飛ばした。
「やぁやぁ、我こそは」
「うるせえ!」
魔王の拳が放たれる。
「やぁやぁ、我こそは」
「俺様が!」
「やぁやぁ、我こそは」
「せっかくてめえらクソみたいな人間どもに!」
「やぁやぁ、我こそは」
「感動ってやつを覚えてんのによォォォォォ!?」
「やぁやぁ、我こそは」
「ふざけてんのか、てめえらは!」
一人、また一人と騎士達が死んで行く。
『女剣士が雌オークに連れて行かれました。 こちらに敵対する意志はないようです』
「ひ、ひぃぃぃぃぃ、我が精鋭達が!?」
『誘導してやれ』
一瞬で部下が全滅してしまった惨めな無能指揮官のふりをしながら、カスタートは通信魔術を返した。
「いや」
事実無能か、と思い返す。
ただ時間稼ぎのためだけに突っ込ませた兵士達を思えば、どうしようもなく無能でしかない。
「俺様のいい気分を邪魔したんだ……覚悟は出来てんだろうな」
「い、いやだぁ!? 死にたくない! か、勘弁してくれ……金ならいくらでも払う! な?」
こんな時に自分のみすぼらしい、どれだけ立派な衣服を着てもどうしようもない風体は役に立つ。
どうせなら尿まで漏らしてやろうか、と思ったが、さすがに出なかった。
「お前、俺様を失望させ……おい、やりやがったな」
「気付くのがおせえよ」
振り返る魔王の背後には、すでに勇者と女剣士の姿は無い。
「人間って奴らは……くそっ、まだまだ俺様は甘いな」
「そりゃてめえなんざ、まだまだ小童みてえなもんだ」
中指をおっ立ててやれば、魔王はにやりと笑う。
「てめえら、尊敬を持って殺してやんよ」
魔王は拳を振り上げ、
「そいつはありがとうよ。 逃がせ!」
その一瞬で構成を編む。
「なっ!?」
まだ辺りに潜んでいた魔術師達の魔力を束ね、ライトに女剣士の力量を試すために使った手と同じように、自分を転移させる。
カスタート・フォン・ニール・フティンク。
姓も無かった平民カスタートは、ニール・フティンクとなり騎士位であるフォンを与えられた。
ニールは偉大を、フティンクは魔術師を意味する称号だ。
大魔術師カスタートは、空間を渡る。
そこには残り全ての魔術師が集まっていた。
「さて、皆。 義務を果たすぞ」
天下五剣『魔術杖』彩雲剣をカスタートは抜く。
大魔術師カスタート、最後の大魔術が始まろうとしていた。
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