十三話 「ただの人間」 下下下

 城塞の中に更に城塞がある、と行った風情の大儀式用の間の床には、意味がわからない者には獣がのたうち回りながら餌を貪っているように見える魔術刻印が刻まれ、その場には所狭しと百と二の魔術師の姿があった。

 一つだけある入り口のど真ん中を歩けば、小隊がカスタートに道を譲る。

 士気は、まだ高そうに見えた。

 だが、それがいつまで続くやら、という悲観は見せない。

 思い思いの姿勢で魔力を練り始めている魔術師達の顔に悲壮感はなく、真剣さのみがある。

 カスタートは中央に向かって、ゆっくりと歩く。


『魔王軍が異常なまでの速度で突っ込んできます!』


『各指揮官の判断で適当に防げ』


 魔王の優雅さの欠片もない、強引な大魔力がうねる。

 強烈な大魔術は魔術師なら、誰でもつい反応してしまうほどだが、術式自体はありふれている。

 まだ一日以上の距離があったはずの魔王軍が、あっという間に距離を詰めてこられたのは肉体を強化する魔術だ。

 それなりの魔力で行使出来る魔術だが、だからと言って百万もの兵を強化する魔力量はさすがとしか言いようがない。

 だが魔王が今になって魔王軍を呼び寄せるという事は、こちらを見失っている証拠でもある、とカスタートは思った。

 まだ幼い魔王は小細工には慣れていないのか、あと百やそこらなら小賢しい手で翻弄出来る。

 しかし、翻弄は出来ても打倒するのは不可能だ。

 軍隊は規格外の存在を求めてはおらず、勇者や女剣士が軍隊にいても邪魔になる。

 だが、魔王のような規格外では雑兵では前に立つ事すら出来ず、存在そのものが違う種を打倒するには、彼らのような規格外を使わなければならない。

 それは一人の軍人として、不愉快以外の何物でもないが、そうするしかないのなら迷わずそうする。

 辺りに立ち上って行く一人一人の魔力を、歩きながら彩雲剣に吸わせて行く。

 剣、と名前が付けられていながらも、その造形はどこにでも落ちていそうな木の枝にしか見えない。

 しかし、際限なく魔力を取り込む性質は、魔術師の杖としては最適だ。

 ばたり、ばたりとカスタートが通り過ぎた後にいた魔術師達が倒れていく。

 限界まで魔力を奪い取られた事による虚脱状態だ。

 一人一人の性質の違う魔力を束ねながら、カスタートはゆっくりと歩いていく。


『西壁を魔王に破壊されました! オーク部隊が雪崩こんできます!』


『城壁から後退させ、市街地でのゲリラ戦に切り換えろ』


 魔術師としてのカスタートは、自分でも自覚があるくらいには優秀だ。

 大魔術を構成しながら指揮を取れる処理能力は、他の同期や先達を差し置いて城塞都市を任されるほど。

 しかし、魔力量自体は人並みか、それ以下であり結局の所は規格外の存在にはなれない。

 そして、規格外の連中が倒れ臥す場まで辿り着いた。

 子供ばかりだと、カスタートは思った。


「三等兵見習いが勇者様だったとはね……」


「ヘテロポダ軍曹……ご、ごめんなさい、僕は」


 彼らに何かを言うべきか、と考えたカスタートだったが、筋骨隆々の女兵士が魔術を効率化させる陣の上に寝かされた勇者と会話をしているのを見て、やめた。

 まだ二十にもなっていない子供達に戦え、と言うのが嫌で嫌で堪らない。

 それに知り合いが話した方がまだマシなはずだ。


「あんたには軍の義務以上に大切な物があったんだろう? なら、必ずそれを守りきらなきゃいけない。 ……返事はどうした、三等兵見習い!」


「イエスマム!」


「声が小さい!」


「イェスマァァァァァァァァァム!」


「よし、いい返事だ、リョウジ」


 彼女の顔は不味いが、いい笑顔を浮かべていた。


「あとは任せたよ」


「軍曹!」


 剣と剣がぶつかり合い、悲鳴が消えて行く戦場の音楽が、勇者達の耳にも入っているはずだ。

 だが、これ以上、愁嘆場を演じさせる余裕はない。


「これより皆さんを安全な所まで、逃がします」


 事務的に、書類を処理して行くように告げた。

 応急処置だけは受けた女剣士は暗い瞳をしていて、異常な発熱をして立てもしないらしい勇者の側には、貴族の娘が付き添っている。

 執事が二人、一人は修羅場慣れしていそうだが、もう一人はごつい雌オークの影に隠れるようにして立っていた。


「感謝、する」


 女剣士が痛みを堪えるように、身体の痛みではなく、もっと別な何かの痛みを堪えて言う。


「そいつはどうも」


 カスタートは鼻で笑った。

 感謝されようがされまいが、必要ならやるし、感謝する気もないなら、返答するのも面倒だから言わないで欲しい。

 心の底からそう思う男であり、そんな男がまともな人付き合いが出来るはずがない。

 カスタートが最前線である城塞都市に送られるのは、ある意味では必然だった。

 だが最前線では人付き合いより、仕事が出来るかどうかだ。

 そして、仕事の出来る男は近付いてくる戦闘の気配をしっかりと捉えていた。


「総員構えろ!」


 頭のリソースは六割、魔術の構成に使われているが、それでも気を抜いていたつもりはなく、部下達も戦闘中に気を抜くような鍛え方をした覚えはない。

 しかし、それ以上に敵は優秀だった、という話だろう。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 八人。

 まず八人がはね飛ばされた。

 ゴーレムやサイクロプスが勢いよく突っ込んできたような、派手な突撃をしてみせたのは一人のオークだ。

 分厚い胸鎧と籠手のみを纏うその姿は、まさに絵に描いたような見事なオークの若武者ぶりで、敵でなければ万金を積んででも雇い入れる。

 肥満体にすら見える膨れ上がったその体躯はその実、脂肪のひとかけらもない。

 そうでなければ身の丈の三倍もありそうな巨大な戦斧を、小枝のように軽々と振り回せるはずがないではないか。

 しかも、それだけの力がありながら、驕る事なく警戒網を抜けてくる頭もある。

 厄介な敵だった。


「兄者!」


「ええっ、あれがマゾーガのお兄さん!?」


「時間を稼げ!」


 雌オークと執事の言葉をかき消すように、カスタートは命令を下した。

 守っていた兵士は一撃で吹き飛び、残ったのは消耗した魔術師だけだ。

 そんな彼らに策の一つも与えられない自分を、カスタートは自嘲した。


「マゾーガ……白馬の騎士か。 くだらない」


 オークとしては流暢な喋りが、零れた。

 しかし、喋りながらでも彼が戦斧を一振りするたびに、部下が死ぬ。


「いつまで愚かな夢を見ているのだ、妹よ!」


「兄者……! おでは!」


「夢見る乙女と語るに及ばず。 シャルロットよ、目を覚ますのだ!」


「おでは、その名前を捨てた!」


「ならば甘き夢の中で死ぬがよい!」


 速度を上げたオークは、勢いよく転がる巨石だ。

 全てを踏みにじる突進の前に、誰もが砕かれるだけ。


「兄者ァァァァァ!」


「マゾーガ、駄目だ!」


 二人の間に何があったかはわからないが、決定的に時間が足りない。

 あとほんの三呼吸もすれば術が完成するだろうが、二呼吸でオークがカスタートの身体を粉々に砕くが、わかっていながらも佳境に入った魔術は、彼にその身を投げ出す事を許してはくれず。

 その時、年嵩の執事と目が合った。


「アカツキ様、お嬢様をよろしくお願いします」


「セバス、どこに行きますの!?」


 一呼吸、これで稼げた。

 魔術を効率化させる陣から飛び出す執事の姿を見て、それだけを考えた。


「くそっ……覚えておけ、シャルロット! お前の甘い幻想はこの『幸運』のペネペローペが打ち砕いてくれる!」


 ペネペローペという名のオークが振るった戦斧が、カスタートの腰を断ち切る。


「行け」


 だが、間に合った。

 彩雲剣に力を籠めれば、ぽきりと折れ、その身に蓄えた魔力を開放する。

 発動した魔術は勇者達の姿をかき消し、転移させた。


『総員、撤退しろ』


 薄れゆく意識の中、最後の命令をカスタートは下す。

 少しでも部下が生き残ればいいと、カスタートは祈った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る