十三話 「ただの人間」 上
立ち合いの機微はライト・フォン・エーゲノルフに支配されていた。
「これはなかなかどうして……!」
突然消えて、突然斬りかかられる分には、防げるから問題はない。
殺意を隠そうとしないこの男は、必ずその先にいるのだから。
しかし、
「リョウジ!」
「う、うわぁ!?」
「ちっ」
ライトが彩雲剣を振りかぶり、ルーテシア嬢を押し倒すようにしたリョウジの頭の上ギリギリを、私の剣が通って行く。
背後に振り返るようにして、大きく振ったチィルダは虚空を斬っただけで終わった。
「なんて面倒な!」
「それはこちらの台詞だ」
空間を渡るのは一呼吸に一回か二回ほど、か。
それだけ自由に場所を移せるなら、先の先を取っても必ず後の先を取られてしまう。
今も背後から送り込まれて来た斬撃を、身を前に出す事によって避けた。
後ろで纏めていた髪が斬られた感触が、言いようのない怒りを生み出す。
「髪は女の命だというのに、なんて男だ」
「カスタート様の命令が俺の命だ!」
「まさか男色か」
「貴様ァァァァァァ!?」
軽く挑発しただけのつもりが、一瞬にして爆発し、ライトの動きは荒々しさを増した。
これなら何とかなるかもしれない、とバカ胴を晒すほど剣を振り上げたライトに、
「本当に面倒な……!」
まんまと引き吊りこまれそうになった我が身を、傷口が開くほどに制動をかけて反転。
地に倒れ込んだままのリョウジとルーテシア嬢の無防備な背に、その剣を振り下ろそうとしたライトがいた。
あちこちで投げまくり、ほとんど回収出来なかったせいで最後の一本になってしまった短刀を投げつけるが、ライトはあっさりと打ち払う。
「怒ったフリか」
「カスタート様を侮辱した報いは受けさせる」
怒りはあるようだが、それに我を忘れるほどではないか。
鋼と鋼のぶつかり合う音と手にかかる重い感覚を、ここに来て初めて得る。
防がせるだけの事に何太刀振るったのやら。
「しかし、貴様は厄介だ」
「それはこっちの台詞だろうに」
息一つ切らさず、ライトは後ろに下がった。
追えばルーテシア嬢達から離れ過ぎる微妙な距離感で、それだけで私の追撃は防がれる。
「我が奥義にて葬ろう」
ライトの剣気の高まりは、こちらの間を読む事はしない乱雑で独りよがりな物だ。
だが本来であれば、自殺行為と言ってもいい乱れた剣ではあるが、彩雲剣の空間渡りがその乱雑さを有効な手札へと変える。
互いに読み合えば、ライトの手札を読まれる事もあるだろうが、一方的に無理矢理押し込んでしまえばそんな事もない。
「行くぞ、秘剣―――」
音はなかった。
まばたき一つせず、集中していたはずの私が一体、いつそうなったのかさっぱりわからない。
悪質な魔術でも受けた、と言ってもらった方がいっそすっきりするだろう。
軽装の皮鎧は、使い古したずた袋のようなマントへと変わり、軍服はなく素肌が露出していた。
「カッ」
大口を開けるとギザギザとした鮫によく似た歯並びがよく見え、彩雲剣が咥えられている。
ほっそりとした体躯はまだ少年と呼ぶべき様子だが、カモシカのように引き締まった足首には真っ赤な血液がぶちまけられ、そわそわと落ち着きのない足元からくちゃくちゃと音が聞こえていた。。
ひょっとして、あれがライト・フォン・エーゲノルフ……なのか。
「カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ」
ぱきん、といっそ軽い音が口元から起こると、彩雲剣がごりごりと噛み砕かれ、その人物は再び口を開く。
「クソ不味いな」
そこにいたのはライト・フォン・エーゲノルフではなく、もっと違う何かだ。
薄い桃色にも似た赤毛はもっとくっきりとした燃えるような赤へと、瞳には忠義も怒りもなく、ただ愉悦のみが宿る。
不味い不味いと言いながら、ぱりぱりと鉄を食らうその表情ははっきりとした笑顔、そして何よりも違うのは空気だ。
「貴様……何者だ」
死は怖くない。
しかし、目の前の『何か』が怖くてたまらない。
今すぐ背を向けて逃げ出したい、と思う気持ちをねじ伏せ、声が震えていないかと考える余裕もなく問うた。
満ちる空気はどろりと、魔力なのか剣気なのか、それとも違う何かなのかすらわからない。
「何者、だぁ?」
口を開けば更に得体の知れない何かが湧き上がり、辺りにいた兵達がバタバタと倒れていく。
空を飛んでいた鳥達ははばたく事をやめて地に墜ち、飼われていた獣達は吠える事をやめた。
自らの心の臓を止める事が出来たのなら、きっと奴らは喜んでそうするだろう。
「俺様を知らないとか、正気か?」
口を開くたび蹂躙される乙女の苦痛にも似た空気が、辺りを汚し尽くしていく。
だが、馬鹿面を晒す『何か』を斬ろうにも、チィルダを取り落とさないので精一杯だ。
「知らん物は知らん。 それとも貴様は森羅万象の全てを知っているのか」
私の意識はもうやめろ、と叫ぶ。
しかし、歯が恐怖で鳴らないように気をつけながら、口だけはすらすらと動いてしまう。
「おお、確かに俺様もそう言われちゃあ困るな。 ならお前達、クソどもにもわかりやすく教えてやる」
白魚のような、という形容は間違っても相応しくない汚れきった指。
しかし、そうとしか言いようのない、土と泥にまみれた上からでも感じられる、いっそ高貴なとでも付けたくなる指先は己の胸を指した。
「俺様は魔王」
口端を吊り上げ、にっと笑う。
「暇だから来てやったぜ、クソども」
その笑顔は退屈していた子供が、暇潰しを見つけた笑顔によく似ていた。
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