十二話 人生イロモノ 下下

「まさに絶景か」


 城壁の上から見る景色は、凄まじい物だった。

 地面は薄く靄がかかったように白く見え、地平の彼方まで見渡せる。


「す、凄いですね!」


 飛んでいる鳥を眼下に収め、雲海に手を伸ばせば今にも届きそうなくらいだ。

 珍しく年相応に興奮で顔を赤くする爺を、今はからかう気にもなれない。


「凄い、としか言いようがない……が」


 遥か遠くには魔王領が見えて、草木の生えた緑の大地から、唐突に線で区切られているかのように赤茶けた荒野がどこまでも広がっている。

 そして、見た事もないような大軍。

 私の語彙では形容し難い、下手な街よりも遥かに巨大な魔物の群れは、まるで大地を雨雲が覆い隠しそうとしているかのようだ。

 荒野が緑を侵食していく、そんな不吉な印象を私は受けた。


「すまない、士官殿。 ああ、ええと……」


「トワリ・ザールソーヴァー少尉であります」


「すまない、トワリ少尉。 あれは何万の魔物がいるのだろうか?」


 城壁に登りたいと言ったら案内役、というかお目付役に付けられた若い少尉に尋ねてみる。

 貴族には下手にごねさせるより、現実を見せてさっさと帰らせようという事なのだろう。


「現在、百二十万匹程度だと思われます。 あと二日ほどで到着すると思われます」


「百二十万……」


 城壁都市の兵が五十万というだけでも、想像が出来ないくらいの数だというのに、その倍以上と言われても非常に困る。

 近くで見れば理解出来るのかもしれないが、さすがに近付いたら死ぬだろう。


「ルーテシア嬢を拾って逃げるとしようか、爺」


「は、はい、そうしましょう!」


「なるべくお早めに。 奴らの侵攻速度は妙に早いのであります」


「ありがとう、少尉」


 感謝の言葉と共に笑顔の一つでも送ってやると、少尉は照れたのか顔を背けた。

 にやにやと笑いたくなるような気持ちで、背を向け壁面をなにやら操作する少尉を見ていると、寺の鐘が連続で打ち鳴らされているような金属音が下から上へと近付いてくる。


「しばらくお待ちください」


「ああ、少尉のような立派な軍人に案内していただき、私は幸運だな」


「あ、ありがとうございます」


 若い男をからかうあだっぽい姐さん方の気持ちがわかる日が来るとは、前の生では想像もしていなかった。

 もう一言二言、何か言おうとした所でポン、と軽い音として壁面が開く。


「何度見ても大した物だな、これは」


「数代前の勇者様が考案した物ですからね」


 水の力と魔術を併用した『エレベーター』なる物は、この城塞都市でしか運用されていない。

 大量の水を城壁に通し、人の入れる箱を上下に動かすこの技術は、莫大な金を必要とする。

 しかし、まともに城壁に登ろうとするだけで一苦労な城塞都市では、それだけの金を出す意義があるのだろう。


「それではどうかご無事で」


「次に会えたら、食事にでも行こうではないか」


「は、はっ!?」


 扉が閉まる寸前、少尉に声をかけると面白いくらいにうろたえる。

 彼が生き残れればいいな、と思った。




「待たせたな、マゾーガ」


「いや、いい」


 城壁から降りると、マゾーガの手には数々の食べ物が握られていた。

 たっぷりとクリームの乗ったガレットや、蜜のかかった団子など甘い物ばかりだ。


「甘い物が好きだったのか」


「……少しだけ」


「ふむ、平和な時なら城壁の上で宴会でも開くのも悪くないな」


 酒やつまみ、甘い物を取りながら、あの絶景を見るというのは想像するだけで心が躍る。


「絶対に、嫌だ」


 団子をかじりながら、マゾーガは肺腑から絞り出すように言った。


「最初はどうなるかと思ったけど、大丈夫だよ」


「爺もこういうくらいだ。 風除けの魔術もかかっているくらいで、落ちたりはしないし、柵もしっかりしている」


「絶対に、嫌だ」


「そんなに嫌なのか……」


 心底嫌そうな顔をしながら、マゾーガは爺の顔ほども大きなガレットを、一口で胃に収めた。


「美味いか?」


 気のせいかもしれないが、僅かにマゾーガが嬉しそうな雰囲気を出している。


「……そうでもない」


「別に取らんぞ。 そのうち爺に作らせようと考えているだけで。 ……マゾーガはいらないのか?」


「……………いる」


 何故か苦渋を滲ませながら、マゾーガは言った。

 高い所が苦手でも、甘味が好きでも恥じる事はあるまいに。


「爺、私はまんじゅうが怖い」


「あとは濃いお茶でも用意しておきますか?」


「うむ」


「いたぁぁぁぁぁぁぁ!」


 聞き覚えのあるやかましい声が、辺りに響き渡る。


「……何をしてるんだ、お前は」


 何故、逃げたはずのリョウジがルーテシア嬢の手を引いているのだ。

 しかも、ルーテシア嬢はドレスではなく灰色の軍服姿で、髪を下ろしている。


「ア、アカツキ、どうして誘拐犯の所に!?」


「リョウジ、お前まさか……ルーテシア嬢とよろしくやらかしたのか」


 私の言葉に一瞬、考え込んだ二人は同時に繋いだ手を見た。


「ちがっ、違います!?」


「え、ええっ、まだですのよ!」


「まだ!?」


「まだ!?」


 面倒くさい奴らだな、こいつらは。

 どう見ても、お互いに惹かれあっているようにしか見えないのだから、さっさとくっ付けばいいものを。


「……そろそろ話を進めていいか?」


「そ、そうでした! 実はルーが」


「ルー……何時の間に愛称で呼ぶように」


「そ、それは……じゃなくて実はルーが狙われているみたいなんです!」


「ふむ」


 それは奇妙な事だ。

 私やリョウジを狙う理由ならはっきりしているが、ルーテシア嬢を狙う理由はよくわからない。

 実家のしがらみだろうか。


「まぁいい、とにかく今は城塞都市から離れるぞ」


「それは待ってもらおう」


 リョウジよりも唐突に、その男は現れた。

 薄い色をした赤毛、要所のみ纏った皮鎧、抜き放たれた魔剣はすでに臨界状態らしく、刀身が強く黄色の光を発している。

 天下五剣の三、彩雲剣。


「ライト・フォン・エーゲノルフか」


「カスタート様の温情を踏みにじりし、ルーテシア・リヴィングストン。 貴様は万死に値する」


 もはや忠犬というより、狂犬か。

 その眼光は鋭く、冷静な殺意と怒りを乗せてルーテシア嬢を睨みつけている。


「ふん」


 しかし、私を見ないとは随分と舐められたものよ。

 カスタート殿に話を通せば、恐らくは丸く収まるはずだ。

 地下牢に無駄飯食らいを押し込め、更にそれが大貴族の令嬢とくればいてもらうだけで迷惑極まりない。

 道理をわきまえているであろうカスタート殿なら、何とかなりそうな気がする。

 しかし、私を無視するこの男が気にいらん。


「魔剣チィルダが主、ソフィア・ネート」


 しゃらん、と鈴が鳴る。

 チィルダを抜いた私を胡乱げな表情で、ライトはちらりと見た。


「義によって、助太刀いたす」


「何故、邪魔をする」


 心底、不思議だと言わんばかりの言葉に、私は笑みをもって答える。


「私を無視して、この先に行けると思うな、ライト・フォン・エーゲノルフ」


 ここから先は三途の渡し。

 渡し賃はその首だ。

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