五話 誰かにとってのDEADline・上

 勢いよく突っかけてきた所で足を払ってやれば、転ぶ。

 私の足は骨を砕く力はないが、体重をかければ女の身でも、喉笛くらいは簡単に踏みつぶせ、喉笛を潰せば大抵の生物は動きは止まり、トドメを刺す事は容易い。


「つまらんなあ、お前達は」


 私の足元に折り重なるようにして、ゴブリン達が十ほど倒れている。

 手入れのされていない錆の浮いた剣や槍、何かの毛皮に穴を開けただけの服を着た子供ほどの大きさの魔物だ。

 彼らはあまり賢くなく、一人一人突っ込んできたので、一人一人投げ飛ばしていたら、いつの間にか終わっていた。

 こんなしょぼくれた武器では、身包み剥がして売りさばく事も出来ない。


「お強いですな」


 徒労だった、とふてくされていた私に、年月を重ねた声が届く。

 そちらに目をやれば、幌のついた馬車の荷台から一人の老人が、若い娘に手を引かれ降りて来る所だった。

 それなりに仕立てのいいローブを纏った老人の顔は、深い年輪のような皺が刻まれているが、目尻に笑い皺は一本もない。

 てくてくと歩いていた私達を馬車に同乗させてくれた方ではあるが、それが純粋な善意で行ってくれたとは、申し訳ないが私には信じられなかった。

 鬱屈と怒りの中で生きた人、というのが私の、グレゴリウス氏への印象だ。


「私が強いのではありません」


 ゴブリンは腹を空かせた野犬と同じように、適当に痛めつけて逃がすというわけにはいかない。

 もし、ここで逃がせば別な誰かが襲われるだろう。

 多少のゴブリンに襲われた所で、私とマゾーガなら何とでもなるし、問題ないのだが、弱者の命を奪うのは面倒以外の何物でもない。

 蟻を踏み潰し、勝ちを誇るのは子供ですらやらないだろう。

 害獣駆除は誰かがやらなければいけない、必要な事ではあるが、それが私には億劫で仕方ない。


「まぁ麗しいご婦人を守るという役目があったと思っておくとしよう」


「私は女性、貴方も女性。 同性では成り立たない言葉ではないかとチィルダは考えます」


 粋も風流も欠片もないつれない言葉を、老人の手を引いていた女性がさらりと返してくるが、正直な話そこまでど真ん中に返されると私としても返答に困る。

 腰まで伸びる艶やかな黒髪が麗しいが、その美貌は冷ややか、というより熱くも冷たくもない無表情に固定されていた。

 どこにでもいるような村娘の服装と、浮き世離れした彼女はどこまでもちぐはぐで、私はどう接していいのかわからない。


「こっちも、終わった」


 逃げたゴブリンを追っていたマゾーガが、返り血一つ傷一つない姿で街道脇の森から、のそりと姿を現した。

 真っ赤な血に濡れた戦斧を引っさげたオークというのは正直な話、なかなか女子供に優しくない風体だ。

 夜道で会ったのなら、腰を抜かして悲鳴を上げてしまうだろう、爺とか。

 しかし、グレゴリウス氏はともかく、チィルダも眉をしかめる事もなく、ただただ無表情でこちらを眺めている。

 グレゴリウス氏のような老人は、どんな修羅場をくぐってきたかわからない。

 だからこそ彼が動じないのは理解しきる事は出来ずとも、わからなくもないのだが、私と大して年が変わらないチィルダが一切、動じない理由はなんだろうか。

 チィルダの柔らかな手には豆一つなく、身体の軸もブレていて明らかに素人だ。

 熟練した魔術師なら、必ず持っているはずの杖も、馬車のどこにも見当たらなかった。

 伝説上の魔術師なら杖もなく、魔術を発動出来るらしいが、あくまで伝説だ。

 杖が長ければ長いほど強力な魔術が発動出来るらしく、一般的な魔術師は皆、己の身長よりも長い杖を持っている。

 私の見た所、技がないのならチィルダが爺と殴り合ったら、ギリギリで爺が負ける程度。


「お嬢様ァ! ごっ、ごっ、ごっ」


「ゴブリンか」


「ゴブリンでしたか! いや、ご無事でしたか!?」


 馬車の中から一番遅く、尻に火のついた鳥のような勢いで飛び出してきた爺を見て、これが正常な反応だと私は思った。

 危難にあった人間は、前の生でも今の生でも大ざっぱに分けて三種類だ。

 まず爺のように危難が通り過ぎるまで、膝を抱えて震える者。

 まぁ私の膝に縋りつかなければ、邪魔にはならない。

 次に逃げ出す者。

 これはたまに余計な災難を引っ張ってくるから迷惑だ。

 この二つに当てはまらない二人は一体、何を考えているのか。


「助けてくれた礼に、今日はこの先の村にある我が家に泊まっていかれてはいかがですかな? ソフィア殿」


 爺の声を半分、聞き流していると、グレゴリウス氏がそんな事を言い出した。

 そんな事を欠片も思っていないくせに、と私が思っているのをわかった上で、だ。


「では、世話になりましょう」


 そして、最後に危難があれば、心が浮き立つ私のような者。


 まったく救いようのない話だが、私はこの時、この思惑の見えない二人組に、確かな興味を抱いてしまっていたのだった。

 あの時、ああすれば、と思う事はある。

 だが、かと言って、二度同じ状況にあれば、また同じ道を私は選ぶのだろう。

 結局の所、それが私という存在なわけだが。

 まったく困った性分だ。

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