三話 夜は事もなし
どうにも捨てられないものが、私には二つだけある。
一つは剣。 私も木石ではない以上、浮いた話の十や二十はあり、剣を捨てて一緒に所帯を持ってくれと言われた事はあるが、どうにも捨て切れなかった。
一時はそう思ってしまう事はあったが、三日もすれば身体がうずく。
もう一つは着道楽である。
旅をするのに邪魔ではあるが、みすぼらしい姿のままいるのは耐え難い。
世の武芸者達は何故か襤褸でむさ苦しく、そういう連中と一緒にされるのは虫唾が走る。
今とて私はすぱっと乗馬服を脱ぎ捨てた。
「お、お、お嬢様! このような所でいけません!」
「どこで脱げというのだ」
すでに日は落ち、辺りを照らすのは焚き火の炎だけ。
暗い森の中で一体、誰が見るのか。
森の中でぽかりと空いた空間で、私達は野宿の準備をしていた。
とはいえ、焚き火と毛皮のマントを敷いて、それにくるまる程度だが。
風こそ冷たいが、死ぬほどではない。
脱ぎ捨てた下帯を爺がせっせと拾っている間に、荷物から下帯と胸に巻くためのサラシを取り出す。
「まったく……なんで胸にこんな重い物をつけねばいけないのだ」
だが着道楽をするには、女の身は好都合だ。
むしろ、他に女らしい趣味のない私に父や母は喜んで服を買い与えてくれた。
大した手入れもせず、さらさらとした金の髪は、結い上げ方にこだわるのに不足はなく、腰のくびれと尻の線はなかなかの物だと自負している。
この身体で着飾るのはなかなか楽しい。
こちらの言葉で言う所のナルシスト、というやつだろう。
だが、前の生での『私』の価値観から考えれば、私が美しいというのは客観的な事実。
今の生で決定的に美醜の相違を感じた事はない以上、そこまで間違ってはいまい。
ならば存分に我が美を誇るのみ。
「あれ、ところでどうして、こんな時間にお着替えを?」
下帯とサラシを巻いた所で、爺が顔を上げた。
十四年間、私のそばにいたせいか、爺はいまさら私の肌を見た所で反応しない。
長く伸ばした金の髪を、後ろで一本にまとめながら私は爺に問うた。
「爺、この桃色の羽織と、青色の着流しはどっちが夜に映えると思う?」
「そうですね、桃色でしょうか?……って僕の荷物、服ばっかりじゃないですか!?」
だから大した重さではなかったはずなのだが、それでも爺には重かったらしい。
「ああ、確かに夜には桜だな」
「サクラ……? いえ、そうじゃなくて、あ、というかまたそんな奇矯な服装を!」
私は清楚な感じの白いシャツを着て、街で特注で作ってもらった紺染めの袴を履いた。
そして、桜の花が散ったような色の羽織を肩にかける。
今の生では確かに奇矯だが、前の生で工夫し続けた剣は、前の世での風俗から生まれた剣である以上、袴で動くのが一番、扱いやすい。
「しかし、なんでまたこんな時間にお着替えを?」
「人生はいつ死ぬかわからない。 ならば常に最高の私を見せるべきだ」
死病を友にしていた私は毎朝、もう一度起きられるという確信はなかった。
無残な死は仕方ないが、無様な生には耐えられない。
「はあ」
生返事をしながらも焚き火にかざした肉を焼く爺の手は、炎に照らされてその白い肌が輝いている。
「ところでどなたに見せるんですか?」
爺は剣を握った事はほとんどない。
だがしかし、剣を握った事がないにしても、この危機感の無さはいただけない。
飼われた犬でも、もう少しマシだろう。
「客人にだよ」
「客人、ですか?」
とうの昔に辺りは客人の意志に覆い隠されていた。
最初から隠すつもりのない、むしろ見つけて欲しいとでも言うつもりなのか、強烈なまでに闘争の空気が森の奥から発せられ、その空気に当てられた鳥や動物達はすでに逃げ出している。
「歓待の準備は整ったよ。 そろそろ出てきてはどうだ?」
私の呟くようにして紡いだ言葉が聞こえたのかはわからない。
しかし、一点に送りこんだ気は百の言葉よりわかりやすいはずだ。
互いの技を存分にぶつけ合おう。 喜びに満ちた私の言葉にならない言葉は、どこか散漫に広がっていた客人の気を貫いた。
「ようこそ」
暗い、光の届かぬ森の影から、ぬうっと巨体が現れた。
巨体はどこもかしこも太く、がっしりとしており、腕の太さといったら私の腰並みだ。
そのくせ枯れ枝を踏みつける事も、草をかき分ける音も私の耳には届かず、ただ立っているだけで深い修練を感じさせてくれる。
彼の広く散漫だった気は、ただ一点に収束し、心地よい闘気を私に叩き付け始めた。
「お、お、お嬢様ァ!? オークじゃないですか、あれ! 魔王の尖兵で人類の天敵種のオークですよ!」
「そりゃ見ればわかる」
緑色の肌、豚のような鼻、唇から飛び出す長い牙。 その全てが異形だ。
人の身を遥かに超えた力は、客人の持つ、爺の背丈を超える戦斧を容易に振り回すだろう。
「おでど、戦え」
だが欲望の前には種の壁などは関係ない。
武芸者という存在は、強者がいれば戦わずにはいられないのだ。
ひどく聞き取りにくい、くぐもった声で彼はそれだけを言った。
「お嬢様!? 逃げてください、ここは僕がお守りします!」
「冗談が過ぎるぞ、爺」
爺は飯と茶と私の身の回りの世話をしていればいい。
私の身を守る事など求めていないし、口うるさい所を除けば大体は満足だ
それに、
「こんなにも私を求めてくれる相手を無碍には出来んさ」
よくよく見れば、戦斧には戦ってついたと思われる細かい傷が無数に刻まれ、客人の身もまだ血の流れる生々しい傷口が開いていた。
しかし、憐憫や同情を求めているわけではなく、緑の目に宿るのはただ戦意あるのみ。
「だ、だったらせめて武器を!? あ、あれ? お嬢様、武器はどこに入ってるんですか!?」
「持ってない」
「えええええええええええええええ!?」
「だから私の服を地面に落とすな」
荷物を漁り、ぽいぽいと地面に私の服を投げ捨てる爺をひとにらみして、大人しくさせる。
どうもこちらの、直線で両刃の剣は性に合わない。
気に入らない得物に命を預けるくらいなら、無手の方がマシだ。
「お前、おでを、馬鹿にしているのか!」
潮合いも、駆け引きもなく闘争は始まった。
客人は戦斧を振り上げると、地を震わせながら、一直線に走り寄ってくる。
土煙を上げ、技もない突進だが、速度と重さと怒りの乗った一撃は、私の身体を粉々にするのは充分だし、下手な小技を使われるより、よほど効果的だ。
だが、その程度。
「弁解はしない」
侮辱と受け取られたのであれば、行動で晴らすのみ。
私は薪にしようと集めていた、手頃な枝を右手に持った。
すでに客人はあと半歩で間合い。
「お嬢様!?」
爺の悲鳴、私の頭をかち割ろうと無造作に振り下ろされた戦斧。
「だが私も舐められるのは嫌いだ」
落ちてくる戦斧の側面を、枝で叩く。
無論、枝程度でこの戦斧が止まるはずはないが、指一本分ずれた。
それだけの隙間が生まれて、抜けられない武芸者はいない。
身体を滑り込ませ、この身をくるりと回し、回る力で左の袖口に仕込んでいたナイフを取り出すと、客人の目の前に突き出した。
「さすがに短刀の一本くらいは持っているさ」
「おでの、負け……?」
客人は信じられないといった様子で首を傾げていて、その身から闘志は抜け落ちていた。
「私の勝ちではないが、客人の負けだな」
これが実際、詐術であったならば客人は死んでいた。
私の技が勝ったわけではないから、私の勝ちではないが。
「さて」
闘争の空気は去った。
「どうだね、一緒に夕餉でも」
「……おでは、オークだど」
客人の戸惑ったような声は、闇に溶けていった。
「それがなんだ?」
「お前ら、人間とは敵だ」
「今は私の敵ではないだろう?」
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