#16

 重い頭をなんとか持ち上げて透はベッドから起き上がった。

 身体から水分が全て無くなったような渇きを覚える。

 喉と目元はヒリヒリして痛かった。


 徐々に覚醒してくると、思い出すのは瑞希の表情だった。

 昨日、彼女が訪ねてきた時点では別れようなどとは考えていなかったのに。

 あのときはあれこそが最良の手段だと思えた。

 いや、そうしたいと、ただ思ったのだった。


 スマートフォンの待ち受け画面を見ると母からの着信が数件入っていた。

 そういえば結局、連絡を返していなかった。

 折り返そうとして、しかし面倒になり、スマートフォンの画面をオフにした。

 真っ暗な画面を見ていると何もかもどうでもよく思えてきた。

 透は目を閉じて、思考を止めた。




 チャイムの音で目を覚ました。

 先ほど起きたときと比べてずいぶんと頭は整然としていた。

 そのせいもあってか昨日の事がすぐさま思い返されて、気分が悪かった。


 もう一度チャイムが鳴る。

 透は起き上がると頭を掻きながら玄関口へ向かった。

 扉の覗き穴から外を見ると、そこに立っていたのはスーツ姿の聡太朗だった。


 少し驚いたが、すぐに扉を開ける。


「……よう。どうした?」


 カラカラの喉から出たかすれた声で迎える。


「悪いな、急に押しかけて。入っても良いか?」

「ああ」


 靴を脱いで部屋に上がった聡太朗は瑞希の特等席へ座った。

 昨日の記憶が一段と思い返された。


「何か飲むか?」


 そう声をかけたが、聡太朗からは返事は返ってこず、代わりに彼は質問で応えた。


「仕事はどうした?」


 驚いて息を飲んだ。


「どうって……、お前こそどうしたんだよ、仕事」

「今日はもう終わった。今何時だと思ってるんだ。

 俺が言ってるのはそういう事じゃない。お前、仕事を辞めたらしいな」


 なんで知っているのだろうと思ったが、すぐに見当がついた。


「母さんから聞いたのか?」

「ああ。電話に出ないけど何か知らないかって俺のところに連絡してきた。仕事を辞めたこともその時に聞いた」

「そうか」


 知られたくないとは思っていたが、いざ知られてしまうと肩の力が抜けた。

 今なら聡太朗と一緒に自分のことを笑うことも、しかることもできる気がした。


「俺たちに話さないのは良いが、恋人にも言ってないんだってな」

「恋人じゃない。もう別れた」


 俺の物言いに、聡太朗は申し訳なさそうに目を伏せた。

 失恋が原因で俺が仕事を辞めたという可能性に思い至ったのだろう。

 お人良しな彼らしい反応だと思った。


「……とにかく、お前はもっと誰かと話をした方が良い。

 仕事のことだって誰とも話さないからひとりで暴走している様にしか見えないぞ」

「そうかもしれない」

「自分で自分の内側ばかりに目が行き過ぎているんだ」


 彼のその言葉は透にはしっくりくるものがあったが、それ以上に大きい自分への嫌悪感を前にはどうでもいいことに感じられた。


「そうかもしれない」

「……お前はどうなりたいんだ?何がしたい?」


 透は応えなかった。

 答えをが口に出すのが恐ろしかった。

 それに、応えることができたとしても時間は巻き戻らない。


「帰ってくれないか」


 掠れる声でただ一言、透はそう応えた。


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