#15

 別れを告げられたという事実が理解できないといった顔で、瑞希みずきは口を開けて固まっていた。


 透は、しかし、繰り返した。


「別れよう。次の仕事の目途めどは立ってないんだ。瑞希に苦労させたくない」


 こうまで落ち着いた声が出るものかと、自分で思った。

 そして、そこでやっと瑞希が応えた。


「な、なにそれ。

 え……なんで別れるの?私の事好きじゃなくなったってこと?」

「違う。ただ、瑞希を巻き込みたくない」


 滅茶苦茶めちゃくちゃを言っている。

 自分でもわかる。

 何が巻き込みたくない、だ。

 瑞希は既に巻き込まれたのだ。

 自分が巻き込んだのだ


 それでも、瑞希をこれ以上傷つけたくないという気持ちがあるから、自分は別れようとしている。

 それだけは間違いないように感じた。

 その確信だけが自分を動かしている気がした。


「意味わかんないよ!急に会社辞めちゃうし、今度は別れるとか……透が何考えてんのか全然わかんない!」

「……」


 一変して重い空気が部屋に満ちていく。

 瑞希の言う事は、やはりもっともで、透は何も言えなかった。

 ただ、別れなければいけないというだけがあった。


「……また黙るんだね。何でいつもそう勝手なの!」

「ごめん」

「謝るくらいなら最初からこんなことしないで!」


 瑞希が目元に涙を溜めてこちらをキッと睨んだ。

 その表情で透は自分の愚かさを思いやったが、言葉となって瑞希に届くことはなかった。


「……もう何も言う事はないってこと?

 ほんと自分勝手だよね。もう好きにして!」


 瑞希はかばんを掴んで立ち上がると、無言のまま玄関で靴を履き、部屋を出た。

 透は引き留めることもできず、座ってただそれを見ていた。

 彼女の顔を目で追ったが、表情を窺うことはできなかった。

 

 急に広く感じたワンルームで冷蔵庫の音だけがやけに大きく聞こえた。

 彼女と別れた。

 少しずつ実感が湧いてきて、喉元のどもとを締め付けるような悲しみを感じた。

 いや、何もかも自分が悪いのだから悲しむ権利などないのだ、と言い聞かせる。


 自分の部屋なのに居心地の悪さを感じ、透は立ち上がった。

 重く感じる身体を動かし玄関口まで歩み寄ると、カギを内側から閉めた。

 カシャンという音が斬首刃ギロチンの様に自分の首を通り抜けた気がした。


 脱力したように項垂うなだれると足元にはいくつもの水滴が落ちていた。

 それが瑞希の涙だと気づいて、透は声を絞り出す様に泣いた。


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