#13
公園のベンチに腰掛けるとひんやりと冷たい温度がズボン越しに伝わってきた。
前かがみに手中のスマートフォンを触る。
『ありがとう。
ちょっと仕事が忙しくて寝不足だったんだ。
休日でぐっすり寝たから大丈夫』
やっと打ち終わった聡太朗への返信メールを送信する。
自分は嘘をつくのが苦手なんて真面目な人間ではない。
それでもこの3行の文章を作成するだけで頭が重くなった。
自分に正直になれないことが辛かった。
続けて母へメールを打つ。
電話をかけようかとも思ったが、今は誰とも話をしたくない気分だった。
そんなときだからか、急に声をかけられた透は思わずムッとした顔をしてしまったかもしれない。
「お散歩ですか?」
聞き覚えのない声に顔を上げる。
声の主は白髪頭の老人だった。
透はその顔よりも、老人の手にしている布に包まれた四角いものに目が行った。
「あ……、いや。……ええ」
思わずどちらともとれる応えを返してしまったが、老人は「そうですか」と上機嫌だった。
慣れた手つきでイーゼルを組み立てると、纏った布を広げてキャンバスを優しい手つきで取り出した。
その四角の中には鮮やかな青い空が広がっていた。
「失礼。急に話しかけてしまって。確か先日もこちらにいらっしゃって、この絵を見ていたでしょう?」
老人は遥かに年下であろう自分にも丁寧な言葉遣いで、それがとても紳士的に感じられた。
それに目の前の絵に対する興味も加わり、透は自分が心を開いているのを感じた。
「はい。すみません、あのときはジロジロと見てしまって」
「いいえ。こちらも急に声をかけてしまったから、お互い様でしょう」
優しく笑うと老人はパレットに青い絵の具をいくつか出していく。
「素晴らしい絵ですね」
「ありがとうございます。空の青さが好きでしてね。家内には不評ですが、私もこれは気に入っているんですよ」
老人はそういうと首を持ち上げて空を仰いだ。
「この絵は今日みたいに快晴の日に描くようにしています」
そういう老人の顔は晴れ渡ってた。
透はその横顔に嫉妬した。八つ当たりだとわかっていながらも言ってしまう。
「けれど、その絵には雲や鳥も描かれていますね」
「ええ」
「無い方が、僕は好きかもしれない」
自分でも少しドキッとするような冷たい声だと思った。
老人は、それでも笑顔を崩さずに優しくこちらを見返す。
「実を言うと、私もそうです。けれどね……」
絵を一瞥すると老人は寂しそうに笑った。
「実際は違う」
そう言うと、老人は青い絵の具をキャンバスに被せ始めた。
透は老人の言葉の真意がくみ取れずにいたが、その青い絵を見つめていた。
やはり自分には空以外何も無い方が魅力的に感じる。
老人の手から筆を奪って白い雲を青で塗りつぶしたいという衝動に駆られ、そんな感情に気持ち悪さを感じて頭を振った。
いつの間にかメールが届いていたことに気づいた。
瑞希からだった。
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