#11


「俺、会社辞めたんだ」


 ああも思い悩んでいたはずなのに、その言葉はいとも簡単に口から出ていった。

 そして直ぐに「しまった」と思った。

 その後の言葉は自分の中にはない。

 少なくとも透自身まだ見つけられていない。

 そして、口から出ていった言葉がUターンして戻ってくることはないのだ。


「……え?」


 冷蔵庫を覗きこんでいた瑞希がこちらに振り向いた。


「会社、辞めたって……。

 え?どういうこと?」

「あ。その……」


 当然の疑問だ。

 付き合って3年近い。

 両親とも面識を持ち、もうそろそろ結婚かという状況だ。

 それでなくとも、これまで就いてきた職を手放すということはそれ相応の理由があるに違いない。

 どういうことなのか?


 しかし。

 透はその答えを持っていなかった。


 今になって、透は会社をあらためて辞めたことを後悔していた。

 会社を辞めるという考えが浮かんだ時点で予想できたであろうに。

 家族の反応からも予想できたであろうに。

 透はこの状況で自分の選択を悔やみに悔やんでいた。


「ねぇ?辞めたって……いつ?

 私なんにも聞いてなかったけど」


 過去を悔やむことしかできない今の透には冷静に自分の心理を探る余裕などは残されていなかった。


「……」


 何も応えることが出来ず、透は瑞希から目をそらす。


「違う仕事に就くってこと?」

「……別の、何かには。まだ決めてないけど」

「なんで事前に教えてくれなかったの?」

「……どこかで言おうと思ってた」


 胸の内が後悔で満たされ、透はそんな曖昧な応え方しかできないでいた。


「……なんで辞めたの?」

「……わからない」


 それは透の本心だった。

 しかしその言葉に瑞希は唇を噛んで身を強張らせた。


「なにそれ!

 わからないけど辞めたって、そんなわけないじゃない!

 私にも言えない理由があるならそう言ってよ!」


 手を強く握りしめて瑞希は激昂した。


「違う。そうじゃなくて。本当に自分でも理由がよくわからないんだ」


 隠し事があるわけではない。

 しかし、自分を理解できていない透の言葉で瑞希が透を理解できるわけもない。


「なによ、それ。

 話せないなら話せないでいいけど、でも……なんで相談もしてくれなかったのよ」


 瑞希は俯いてしまいその表情を窺うことはできない。

 透は言葉を探したが思いつく言葉全てが相応しくないように感じられ、そして絞り出すように、


「ごめん」


 と呟いた。


 自分の口にした言葉の薄っぺらさに透はかつてないほどに嫌悪感を感じた。


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