#10
悩みに悩んだ恋人へのメールは
『家の鍵落とした。
とりあえず実家に帰ってるんだけど、
どこかのタイミングで合鍵を受け取りたい。
いつごろ都合つくかな?』
という簡潔なものとなった。
電話を選ばなかったのは無意識に会話を避けているからだろうか。
そんなことを考えながら透は部屋の片づけを続けていた。
小学校の卒業文集。
昔好きだったバンドのCDアルバム。
初めて付き合った彼女からもらった手紙。
ひとつひとつ。
思い出とともにゴミ袋へ流し込んでいく。
自分から自分の一部を引きはがして、捨て去って、自分が自分じゃないものになってしまえばいいのに。
今の自分をとにかく違う自分に変えたい。
変えてしまいたい。
手にしたゴミ袋が一杯になったところで、透は深く息を吐いた。
最後まで絞り出すように息を吐き切ったが、体の中には良くないものが残っているかの様だった。
メールの着信音が鳴る。
瑞希からだった。
『え!昨日落としたの?
大変だったね。
うちに来てくれても良かったのに。
今日の予定はキャンセルかな?
夕方で良ければ私も空いてるから鍵持っていくね!』
そういえば週末は予定があると瑞希の誘いを断っていたなと透は思いだした。
明日以降で良いと返信しようとして思いとどまった。
今日は日曜日だ。
明日からはまた会社だろうから今日のうちにと瑞希は気を利かせたのだろう。
「……」
少し悩んだが、透は夕方に瑞希の家まで鍵を取りに行くと返信した。
いつまでも逃げていても今の状況は変わらない。
透はとにかく今の自分でいることが不安でたまらなくなっていた。
住宅街はまだぼんやりと明るい。
約束の時間には少し早かったが透は瑞希のマンションのチャイムを鳴らした。
ほどなくして扉が開く。
「いらっしゃい。大変だったね」
明るい色のワンピースを着た瑞希が笑顔で迎えてくれた。
「いや……。急にごめんな」
部屋に上がると、ローテーブルの上にはバッグが置いてあった。
やはり昼間に予定を入れていたのを早めに切り上げてくれたのだろう。
瑞希は自分が困ったときにはいつも嫌な顔一つせず助けてくれる。
「警察には届けたの?」
「うん。すぐに。
でも連絡も来ないしやっぱり新しい鍵に交換した方が良いかもしれない」
「そっかぁ。
でも実家に帰ったらお母さん喜んでたんじゃない?
前にお会いしたときもっと頻繁に帰ってきてほしそうだったもん」
透の母と瑞希は相性が良いらしく初対面のときからすぐに打ち解けて仲良く話していた。
「もうちょっとゆっくりできればいいんだけどね」
「……そうだね」
実は鍵を落としたのは木曜日で実家には3泊したんだ、などとは言えず、透は言葉を濁した。
「はい。鍵。
どうする?ご飯とか食べていく?」
「ありがとう。でも、どうしようかな……」
「あ、しまった。冷蔵庫からっぽだったかも。
あー……うん……やっぱり。これは、どのみち大したもの作れないや」
冷蔵庫を覗き「あははは」と笑う瑞希を見ていると心が緩んだ。
瑞希はどんなときも明るくて優しい。
自分はそれを知っていたはずなのに、どうしてこんなに尻込みしていたんだろう。
(もっと早くに……そう、会社を辞める前に瑞希を頼れば良かった)
瑞希の後ろ姿を見ながら透は申し訳なさそうに笑った。
透は数日ぶりに心が晴れていくのを感じていた。
――だから。
「明日休みだったら今から買い物行って~って感じでもいいんだけどねぇ」
瑞希のその何気ない一言に、あれだけつっかえていた言葉はすんなりと透の口から出ていった。
「俺、会社辞めたんだ」
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