#09

 康介が気に入っている個人経営の多国籍料理の店。

 透も何度か来たことがあった。

 広すぎない店内は空席もほとんどなく賑わっていたが、やや暗めの照明の効果もあってか喧しすぎず話しやすい雰囲気だった。


 注文を取るウエイトレスに皆が思い思いに注文をする。

 会社とは違い気づかいも要らない居心地のいい空間だった。


 注文して1分と経たずにクラフトビールが出てくる。

 こういうところも小さな店の良いところだななどと透は思う。


「よし!じゃあまずは乾杯しようや!」

「なんのだよ」


 快活な康介の声に、落ち着いた聡太朗の声が続く。

 聡太朗の隣では梨絵がクスクスと笑っている。

 馴染のある光景だった。


「なんのって、再開を祝してだろう!」

「前に会ってから3ヶ月と経ってないけどな」


 大学を卒業後、全員都内の会社へ就職した透たちの天文同好会は頻繁に会っていた。


「まぁもうなんでもいいじゃんか。ほれグラス持てよ」


 結局、康介の勢いに負けて透たちは宙でグラスを打ち鳴らした。

 透は康介よりも活動的な人物を見たことが無かった。

 今回に限らず、4人の飲み会のほとんどは康介が企画したものだ。

 透と梨絵に比べれば聡太朗もそういった企画は得意であったが、それでも毎回康介が幹事を勝って出ていた。


 大学卒業後も康介はそのエネルギーを存分に発揮できる営業職に就いていた。

 透は会社にいた頃、自分が康介と同じ職種に就いていることが信じられなく思っていたものだった。


「やー、久しぶりに会えたんだからやっぱこうでないとな」

「だから全然久しぶりじゃないだろ。康介、お前他に飲み友達はいないのか?」

「そんなことないぞ?実は今日で飲み会続きで5日目なんだわ。そろそろ頻度を抑えないと給料日まで持たん」


 康介と聡太朗の二人はテンポ良く会話を続ける。

 この二人が話しているのを聞きながら酒を飲むのが透は好きだった。


 梨絵も嬉しそうに二人を見ている。

 大学2年の時から梨絵は聡太朗と交際している。

 口数の少ない女性だったが、聡太朗と付き合ってからは表情が豊かになった気がした。

 今も二人仲良く区役所の職員だ。

 もちろん勤務先の区は違うが。

 梨絵の変わらない笑顔に、透は二人の関係が良好であることを悟った。


「営業職つっても給料はそんなにだからなぁ。ボーナスが待ち遠しいよ。公務員は良いよな」

「バカ。公務員て言ったって区役所勤務だ。大した額はもらってないさ」

「ほんとかよ。どうせ貯めこんでんだろ?梨絵との結婚費用とかいってさ」


 康介の言葉に聡太朗は驚いた顔で梨絵を見た。

 梨絵もまた驚いたまま聡太朗を見ていたが、ぶんぶんと首を横に振る。


「……いや、お前のことだからどうせ適当に言ったんだろうな」


 聡太朗がうつむきながら苦笑した。


「今日、適当なタイミングで言おうと思ってたんだが。実は梨絵と籍を入れることにした」

「……そうなの」


 困ったように言う聡太朗に、梨絵も同調するように口を開いた。


「本当か!めでたいな!じゃあ祝い酒だな!」


 無意識的にしても自分が告白を促したことへの後ろめたさなど無いかのように、康介は喜んだ。

 すぐさま「乾杯様にもう一杯頼もう」とウエイターを呼んでいる。


「二人ともおめでとう」


 二人の結婚はそう遠くないとわかっていたが、いざ知らせをもらうと嬉しいものだ。


「ああ。ありがとう」


 聡太朗は柔らかい笑みで応え、梨絵も恥ずかしそうに微笑む。


「そういえば、透。お前も彼女とは長いんだろ?そろそろ結婚とか考えるんじゃないか?」

「あ、いや……」


 聡太朗の言葉に透は思わず笑顔を崩してしまった。

 「山口さんには早めに伝えなさい」という父の言葉が思い出された。


「……もしかして上手くいってなかったか?」


 聡太朗は申し訳なさそうに言った。

 彼は表情の変化に敏感だ。

 内気な梨絵と上手くいっているのもその点が大きいのだろう。


「いや、そんなことはないんだ。まぁ……結婚はまだ先になりそうかな」


 透が曖昧に濁すと隣の康介が肩を組んできた。


「俺はたぶんもーっと先だよ!頼むから透はちょっと待っててくれよ!」


 はははと笑い飛ばす康介だったが、透は彼の優しさを感じた。

 康介は会話の流れを変えたいときに自分のあっけらかんとした性格がことを知っている。

 裏表のない性格だが、裏を作ることもできる。


 両親といい、自分の周りには他人に対して気づかえる人が多すぎる。

 透はそんな風に思い、心の中で「ありがとう」と感謝を述べた。

 今の自分ができる気づかいはそれくらいの様に思えた。




 結局、その日は会社を辞めたことについて自分から友人たちに話すことはできなかった。

 自分は気を許した友人たちに対してさえもこうなのだ。


 透は帰り道、交際相手の顔を思い浮かべた。

 その顔はどうしても悲しそうな表情ばかりで、先ほどまでの友人たちとの楽しい時間は遥か昔のことのように思えた。



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