#06



(これが家族会議というやつか)


 リビングの空気は重かったが、渦中の透は気の抜けた顔で宙を仰いでいた。




 近くの友人宅で将棋を打っていたという父を母は電話で呼び戻した。

 本当に近い家だったんだなと思うほど、父は直ぐに帰ってきた。

 5分と経っていなかったに違いない。


 「ただいま」と声をかけた透に「うん」とうなづき返すのみで父は言葉を発しなかった。

 リビングのソファに腰掛けるやいなや、「とりあえずお茶入れるわね」と母は台所へ向かった。

 慌てることなく日本茶の準備をする母の手つきに思ったほど驚かれているわけではないのかもしれないと安堵したが、「これ、お茶菓子ね」とどら焼きを箱ごとドンと机に置いた姿には思わずギョッとした。


 母はお茶をすするとやっと聞けるとばかりにこちらへ向き直った。


「それで、どうして辞めちゃったの?」


 それを聞くくらいなら父を待つ必要はなかったのではないかと思えたが、これが父と母の関係性なのだろうと納得した。


「どうして、と言われると……うん……何というか」


 聞かれるとわかっていても答えを整理してはいなかった。

 しかし、ここで「なんとなく」というほど透は両親の気持ちがわからないことはない。

 そんなことを言えばただただ不安にさせるだけだろう。


 父は怒りや苛立ちを表に出すことはなく、目をつぶってこちらの答えを待ってくれている。

 どんなときも、まずはきちんと相手の思いを知ろうとする。

 透は父のそういった一面を尊敬していた。


「上手く説明できないんだけど、あのままあの会社で働いていくことが不安になったというか……」

「ひどい会社なの?」


 黙っている父に対して、母からは前のめりに質問が続いた。

 これも行動は違えど、相手の思いを知ろうとする気持ちからの行動なのだ。

 透は母のそういうところをよく分かっているつもりだし、だから父と母は上手くいっているのだろうと考えていた。


 二人とも自分のことを気づかってくれてきた。

 今もそうだ。

 だからこそ、このよく分からない自分の気持ちを説明するための言葉選びは慎重にならざるを得なかった。


「いや、何かがひどいってわけじゃないけど。……別の事を始めてみようかなと」

「別にやりたい仕事があるの?」

「あ……うん。……いや、具体的には決めてない」


 要領を得ない答えに一番苛立っていたのは透自身だったかもしれない。

 父は落ち着いた仕草で口を開いた。


「もう、前の会社には戻れないのか?」

「あ、そうだね。それは……辞表も受理されているし、無理だと思う」

「次の仕事を見つけるまではどれくらいかかるかわからないだろう?貯金はあるのか?」

「今まであんまり使う時間もなかったから。半年は問題ないくらいには……」


 答えやすい問いかけを選んでくれているのだろう。

 難しい顔をしているが、父の優しさが垣間見えた。


「山口さんには、このことは相談してあるのか?」

「……いや。してない」

「そうか」


 山口は瑞希みずきの苗字だ。

 「交際相手だろう。なぜ前もって相談しなかったんだ」とは父は言わない。

 そう言っても透が答えられないばかりか、気持ちを圧迫するだけだと気が付いているからだろう。

 もしかすると自分の気持ちを自分よりも理解しているのではとさえ透は思った。


「山口さんには早めに伝えなさい。きちんと頭を整理して、納得させてあげられなくても伝えようという努力をしなさい。父さんたちにはそのついでで良い。同じことを説明してくれ」

「……はい」


 そういうと父はお茶をすすった。

 母も「よいしょ」と立ち上がる。


「ちょっと早いけどご飯にしましょうか。カレーじゃないけど良い?」

「あ、うん。……ありがとう」


 両親の気づかいがありがたかった。

 そして自分の行動が情けなく感じられた。

 母の煎れてくれたお茶を飲むと、ズキンと心が痛んだ。

 

 後悔していた。


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