#05
気づいたのは買い物を済ませて自宅のマンションまで戻ってきたときだった。
鞄にもズボンのポケットにも自宅の鍵が無い。
買い物袋を持ったまま同じ道を引き返して行くが、どこにも見つからない。
目立つようにキーホルダーを付けているので落ちていれば気が付くはずなのだが。
1時間程探したが見つかりそうもないので透は交番へ向かった。
交番はスーパーとは違う方向だ。
拾得物として届いていることは期待していなかったが、警察官の口から「届いてないねぇ」と聞かされると深いため息がでた。
「鍵とかは割と拾った人が届けてくれる事があるから。届け出だけ出しといてくれますか」
「はい」
遺失届出書には職業について記載する欄は設けられていなかった。
その事に安堵している自分に透は苛立ちを覚えた。
足元の買い物袋に目を落とす。
生ものはもう傷んでしまってだめかもしれない。
透の口からはもう一度溜息が出た。
交番を出ると、透はスマートフォンで瑞希の番号に電話をかけた。
瑞希には合鍵を1本渡してある。
10回ほどコール音が鳴り、留守番電話へと切り替わった。
鍵を落とした旨を録音しようと思ったが、今がまだ15時前だと気づいた。
平日のこの時間に私服スーパーへ買い物に出かけているのはおかしい。
透は咄嗟に通話を切った。
「……実家に帰るしかないか」
透のマンションから自宅までは片道90分程度だった。
大学卒業後、就職して最初の1年間は実家から会社へ通っていたものだ。
どうしても今日自宅へ帰らないといけない理由はない。
透は駅へ向かいながら実家へ電話をかけた。
実家へ着いたころには辺りは暗くなりかけてきた。
「おかえり。今日帰ってくるってもうちょっと前にわからなかったの?何にも準備してないわよ」
玄関先では母の小言で迎えられた。
そういえば「今から帰る」としか言わなかった。
鍵を探し回って疲れていたとはいえ、少々配慮が足りなかったかもしれないと透は反省した。
「ごめん。自宅の鍵を落としちゃったみたいでさ。マンションに入れなくなったんだ」
「あらそうなの」
母は、大した問題ではないかの様な反応だった。
息子の立場でも良く驚かされるくらい母は昔から大らかだった。
あるいはこの母ならば会社を辞職したことについても同じように「あらそうなの」と受け止めてくれる気がしていた。
「はい」
「何?買い物してきたの?玉ねぎとカレールーと鶏肉……この鶏肉ちょっと色が悪いわねぇ」
「たぶんもう腐ってると思う」
もったいないけどこれはもうダメそうねぇなどと呟きながら母は台所へ引っ込んでいった。
家の中を見渡す。
それほど離れていないため頻繁に帰ってきてはいたが、今日はなんだか違う家の様に感じる。
「あら。そういえば、どうして私服なの?今日は会社はお休み?」
一息つく間もなく聞かれてしまった。
どう答えたものかと考えたが、どうせいずれは知れることだ。
隠しても無駄だと悟る。
「辞めたんだ」
「え?」
「会社。昨日で辞めた。辞表出してきた」
……。
途切れた会話の間に耐え切れず、母の顔を視界の隅に入れて伺う。
母の表情はさして変わらなかった。
良かった。
やはり母ならば、家族ならば受け止めてくれそうだ。
透はホッと胸をなでおろしたが、同時に母は言ったのだった。
「大変。お父さんに知らせなくっちゃ」
いつもよりも早口で少しトーンの高い声だった。
それが母が大変慌てたときの様子だと透は良くわかっていた。
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