#04

 見上げると雲ひとつない。

 風も穏やかで、気温も汗ばむほど暑くない。


(営業日和だな)


 ふとそんなことを思ってしまい、自分の中にまだサラリーマンとしての感覚が染みついているのを感じる。


 午前中にあらかた掃除や洗濯を済ませてしまった。

 残った家事は料理だけだなと食材の買い出しに出かけたが、途中、公園を見つけると何となく立ち寄ってしまった。


(公園があるのは知ってたけど、意外と大きかったんだな)


 通勤途中に視界には入っていたが、その内側まで足を伸ばしてみると思いのほか広い。

 ジョギングコースにドッグランスペースも用意されている。

 しかし、平日の昼だからか利用者は誰もいなかった。

 人が少ないからか余計に広く感じられた。


 芝生を囲むように等間隔に置かれたベンチに腰掛ける。

 隣のベンチにはキャンバスに向かい絵筆をとる老人がいた。

 少し離れたところにはベビーカーに乳児を乗せた女性。


 静かだった。

 遠くの噴水で楽しげに遊ぶ幼児の声よりもどこからか聞こえる草木のなびく音の方が大きい。

 気持ちが落ち着く。


 まるで世界が自分の不可解な言動を許してくれているような気になる。

 会社を辞めて良かったかもしれない。


 思えば前の会社は自分に合っていなかった気がする。

 居心地は悪くもなかったが、強い達成感を感じることもなかった。


(しばらく仕事を休んだら、何か違うことに……)


 そんな考えはいとも簡単に頭から離れた。

 隣の老人の描いている絵が目に飛び込んできたからだった。


 空の絵だった。


 青い青い空に青い絵具が、少しずつゆっくりと塗り重ねられていく。

 薄くなったり濃くなったりしながら、その絵は少しずつ空に近づいていった。

 

 どれくらいの時間それを見ていただろうか。

 いつしかそこにあった空は空の絵に戻っていた。

 筆を取っていた白髪頭の老人がベンチに座り、水筒の中身をコップに注いでいた。


 コップの中身はコーヒーのようだった。

 いい香りだ。

 思い出したように肺に溜まった空気を押し出すと、透は足元に目を落として自分が公園にいることを確かめた。


 不思議な感覚だった。

 ただ、自分がその絵に惹かれたのは間違いない。


 もう一度、確認するように絵に目を向けると、老人と目が合った。

 老人は眉の端を下げて微笑んでいた。


 自分はずいぶんと長い時間絵を見ていたのろう。

 ずけずけと視線を向けて申し訳ない気持ちがこみあげてきた。


 老人の目は暖かいものだったが、透は軽く会釈をすると直ぐに立ち上がり逃げるようにその場を立ち去った。

 公園の入り口へと移動しながら、もう一度あの絵を目に収めておけばよかったと口惜しい思いが溢れてきたのだった。



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