十二話 旅行1日目、序章

 翌日。

 眠い自分をなんとか奮い立たせ、健二は学校へと出向いた。

 もちろん、今日も朝飯の全てを洋介にとられ栄養不足のまま。


 さすがに玲奈は、注意されたパーティーモードをさらけ出すことは無かった。

 ここ最近、なぜか玲奈は朝起こしに来ることはあっても、前よりかは静に起こすようになった。


 近所に何か言われたのだろうか。

 されど、うるさいものはうるさい。


 目がまわりふらつく体を引きずる。

 タコとよく似た歩行方法と速度で、よろめき歩く。

 すれ違う人から、ゲテモノや不審者を見るような視線を向けられ二十分歩き続けた。


 気がつけば、学校の前に聳え立つ無駄にでかい門が目と鼻の先にある。


「ついたぁ。けど眠い、眠すぎる……」


 バタリ。

 風で倒れた棒のように伏し、白目を向け眠りこくった。

 周りの視線も、寝落ちする場所にも気遣うことなく。


 あとすこしだった。

 集合場所は、目と鼻の先だったのだ。


 なぜそこで諦めてしまったのだ。

 もうあと一息、力を振り絞るだけで良かっただけなのに。


「……こいつ、何してんだ?」


 道端に退けられた落とし物のように、健二はたくさんの人間にスルーされていた。

 しかしそんな中でも、たった一人の人間だけは、健二の存在に気づいていた。


 健二にとって、見知らぬ茶髪の少女だった。

 腕にはどこかの組織を表す腕章が嵌められているが、検討もつかない。


「うちの学校の制服じゃん。しかもコイツ、見たことある!

 てことは同年代か……」


 朝から頭の回転が早いことこの上ない。

 見事な推理力によって、健二の身元を的確に当ててしまった。


「まぁここで倒れてるけど。きっと起きそうにもないし、バスに乗っけるか……」


 なんと優しい少女だろうか。

 たとえ自分の学校の人間であっても、ゴミのように寝転がっている人間を見たとしても拾いあげようなんてしない。

 むしろ同族であることを憤り、ゴミを蹴るだろう。


 なのに、茶髪少女だけは違った。

 それはまるで天使が、こんなどうしようもなく救いようもない男に手を差し伸べているようだ。


「ほら、行くわよ」


 茶髪は健二の腕を力強く握りしめ、ちかくに止めてあった袖山高校が貸し切ったバスへねじ込んだ。


「やっと来たか小僧。俺がどれほど待ったか分かっとるんか!」


 バスは吉本の怒鳴り声で揺れた。

 皆の膀胱から少しだけ出かかるほど、吉本は耳障りに、感情的にいつも通りキレ始めた。


 が、馬の耳に念仏とはこれを指すのだろう。


 矛先を向けられているはずの健二は、こう怒られてもなお起きない。

 自分が悪いという自覚は、寝ている彼に存在しないようだ。


 どうせ、起きていても存在しないが。


「知らないだろうな。お前が来るまでに俺がこのバスの中で何回出欠確認したか。十回だぞ? 十回! する必要ないだろ? テストで十回も見直しするか? いや、お前はそれ以前にテストをまともに受けないよなぁ。そういうおまえのこういう所が……」


 健二と吉本によって予定はは歯止めを利かせることなく押し続ける。

 が、それも構わず吉本はいつも通りの長々しく実に生産性の無い説教を始めた。


「はぁ、もういいや。怒り疲れた。終始寝っぱなしだし。

 それじゃあ出発するぞ」


 担任の吉本は、生徒で埋め尽くされたバスの座席を確認し出発させた。

 いつも通りの適当具合だが、幸運にも欠席はゼロだ。


「んじゃ、羽田まで色々我慢しろよ」


 吉本の一言を最後に、バスの中はいかにも古そうなエンジン音が耳をぬけ、運転手のかけているラジオがスタート。

 ただ、誰もそんなことに耳を傾けることは無い。


 今から始まる旅行に胸を踊らせ、大抵の生徒はひたすらに自分語りし続けている。


 道中、煩わしい事故にも渋滞にも巻き込まれることなく順調に、むしろ大幅な遅れを全て取り返すほど早く羽田空港に到着してしまった。


 向かう先は、何のゆえか沖縄県だった。

 健二や他の生徒にとっては、あまりいい話ではない。


 五ヵ年にわたる修学旅行。

 その全てが国内で済んでしまったからだ。

 中学三年間は、小学校の頃の校外学習並みの低レベルプランをたてられて。


 海外に行きたかった。

 そして海のそばで女の子を誘いたかった。


 が、虚しくもそれは戯言として泡になり終わってしまいそうだ。

 健二を気に入る女子も、健二が気を持っている女子も、この学校には居ないのだから。


 袖山高校二年の全員が、それを度々愚痴っては注意されを永久に繰り返す。

 毎年毎年、袖山高校のどこの学年でも生徒先生間で常に飛び交う、通称『修学旅行問題』だ。


 だが、行けないものはしょうがない。


 割り切った考えで落ち着いたのは約二名。


 心のバランスが異常に不安定で、修学旅行うんぬん以前の問題の大西ともう一人。

 世の中に対して冷めきった無感情ガール、彩未だ。


 そういえば大西の近況と言えば、昨日よりもさらに悪化していた。

 彼の目はやけに赤く腫れぼったい。

 顔もいくらか老けたように見える。


 ただ頭の上には、常に幼女が鏡餅のように乗っかっている。


 呪縛を解かれた今も尚、大西の頭をメインポジションにしている。

 大西の刺々しい髪の毛というのは、乗りたくなるほど気持ちのいいものなのだろうか。

 触っただけで血の一滴でも出そうなのに。


「飛行機はAJ-400便な。集団でしっかり着いてこい。もうそろ乗るからなぁ!!」


 吉本のどこに行っても変わらない、その圧をかけるような声と態度はやはり空港の空気すらも張り詰めさせる。


 唯一、反骨心故の態度なのかオブジェとして存在しているのか、健二が立ったまま動かない。

 目を瞑っていることから、恐らくは立ち寝のスキルを行使している。


「なぁ、内田」


 端から服従する気のない健二に気づき、吉本はスピーカー並の声量を維持して続ける。


「内田。お前もう起きろや。いつまで寝るつもりだよ。ナマケモノが……」

「ん、んんん……あっちいけよ、クソジジイ」

「ったく、寝ぼけたこと言ってないで――」

「はよ……きえろや。吉本……」

「なっ?! い、いまこいつなんつった?!」


 教室で見るよりはほんの少し穏やかだった吉本は、急速に血相を変えた。

 大きい顔はたくさんの血が通う。

 が、浮かび上がる表情だけは戸惑いを帯びていた。


 ――なぜ俺が、生徒の分際にこんなことを言われなければならないのか。


 とうとう吐きだされた健二のヘド。

 無意識にも寝言として。


 あまりに唐突で、かつドストレートな暴言は、いとも容易く吉本の堪忍袋を撃ち抜いた。


 戸惑いは全て、怒りへと変換され真骨頂に到達。


 吉本は大きく息を吸い込むと、教室で怒鳴るようにして健人の耳元めがけ鬼をも唸らせる形相で怒鳴り散らした。


「いい加減にっ、起きろや!!!!」

「……。んー、うるさいなぁ……」


 反応なし(?)

 どう足掻いても、彼にとっては無効らしい。

 罵声を寝言で返す度、吉本の怒りのツボは深く深く、棘を持って掘り進められる。

 もうもはや、健二の寝言は掘るレベルを通り越し、怒りのツボの底を突き破りそうな煽り具合を持っていた。


「この野郎……後で覚えてやがれ!」


 吉本は、引率兼先生という立場を放り出し、いかり肩を釣り上げてとっととゲートへ向かってしまった。


 一方の健二だが、やはりピクリとも動かない。

 吉本が手を出しそうな程怒っているにも関わらず、死んだように眠りまくって起きそうにないのには理由がある。


 単刀直入に言えば寝不足が原因だ。


 ただ、何がきっかけで寝不足にさせたのかはわからい。

 今日という日を、ほんの少しでもワクワクしていたからか、あるいは身の毛をよだせ悲惨になるかも分からない未来を寝て待っているのか。


 二人は真っ向から食い違う凸凹な師弟関係だが、唯一所構わず自分を貫く点でいえば、二人とも似たもの同士というわけか。


 眠ったままの健二は、吉本につられてゲートをくぐった。

 が、そばにいる手荷物検査をするスタッフの目が健二一点に止まった。

 それもそのはず。

 誰かが健二を操るっているかのように、健二の動きがあまりにも不自然だったのだから。


「んん? なんだあれ……」


 怪訝な顔をするスタッフだが、異常を知らせない金属探知機を過信し、健二を手荷物と一緒に通過させる。



 ※ ※ ※ ※



「どうだ? 作戦は覚えていて、かつ万端だろうな?」


 袖山高校二年は、無事全員が搭乗した。

 生徒と教員だけでエコノミークラスを制圧してしまっている。

 若干や貸切状態だ。


 それと時と場を同じくして飛行機の個室では、彩未がなにかをコソコソ話している様子が伺える。

 耳には、例のイヤフォンがささっている。


 用を足す気のさらさらない彩未は、いじれるほどの長さも柔らかさもない、セットされたボブカットを弄りながら上司と話している。


「はい。うまく行きそうです」

「そうか。ただ油断は禁物だ。相手は平均Aランクレベルの霊の集団だ。

 気を引き締め、喜村との連携を大切にしろよ」

「彼女は使えない捨て駒です。

 囮にしているあいだに潰しにかかれば速いはずです。それに――」

「悪いけど、君も十分捨て駒になりうる」


 渋い声の上司とはうって変わり、今度は若々しい割には落ち着きのある男の声が割って入ってきた。


「これは、無藤さん」

「こんにちは、無藤です」


 呼ばれた時に必ずオウム返しをする。

 それが電話の向こうで喋る若い男、無藤新樹むとうあらき特有の癖らしい。

 彼もまた彩未と同じ、霊を討伐する集団の一人だ。


「君たちは、僕からすれば大切な部下だ。

 しかしながら、この世界は競走も上下の関係も厳しい。

 だから当然、君たちは獲物の餌として投げ出されるかもしれない。

 それは同時に、僕に至っても言える話でね」


 淡々とした声で一人語りした男は、上司がいるにも関わらず間接的な団体の侮辱を平然とやり除けた。

 犠牲は下っ端が起こす。

 彼は冷たい声で持論を展開した。


「そんなこと、あるはずないと思います」

「そうかな?」

「はい。あなたはバスターでも突出した強さを持ち合わせています」

「褒めないでよ」

「すみません」


 プログラムされた褒め言葉を読みあげ、上司を励まそうとする。

 無藤の方も、褒めるという部下の行動を安易に受け取り、マイク越しにふふっと不細工に笑う。


 ロリコンなのだろうか。何となく気色が悪い。


「それじゃあ、喜村と頑張ってね。応援してるよ」

「はい。わかりました」


 プツリ。

 特殊な電話の回線は、バスター本部、つまりは彩未や武藤の所属する組織側から一方的に切断された。

 閉ざされたドアには、誰一人ノックをしてこない。


「………………はぁ」


 彩未は喉まで来て出かかっていた言葉を体へ押し戻し、そのかわり溜めに溜めたため息を深くつく。

 スライド式の鍵に手をかけ、個室のドアも一緒に開いてみると。


「そこにいたのね。アンドロイドさん」


 ドアの向こうには、茶髪の少女が腕を組んで仁王立ちし、彩未を待ち伏せしていた。

 同性には厳しいのだろうか。彩未の前で放つ邪気かブレずにはっきり伝わってくる。


「いたんですね。喜村さん」


 一方の彩未も引けを取らない。

 スイッチを入れ起動したように、彼女は無に走った。


「ロボットだからてっきりストレスなんて感じないと思ってたわ」

「私はロボットではありません」

「そうかしら? 私にはあなたのどこをどう見ても機械仕掛けのバスターだんたいの犬にしか見えないけど?」

「冗談も程々にしてください」


 鉢合わせた二人の会話というのは、お互いを煽り嘲るところから始まる。

 お互いが憎らしいのだろうか。

 喜村は、舐め始めたばかりの飴を犬歯で真っ二つに割る。

 分割された二つの飴は、いちごの風味をさらに沸き立たせ左右に垂れる頬にひとつずつ収まった。


「で、ボスからなんて?」

「作戦通りにやれと」

「それだけ?」

「あと、捨て駒になるかもしれないと」

「……それって、どういうこと?」

「そのままの意味です」


 嫌悪満載の顔面のまま、喜村の頭で疑問が湧いた。


 そして何を言っているのだこいつは。とでも言わんばかりの顔をする。

 訳の分からない発言に、喜村は余計に腹を立てた。


「上司が、バスターが私たちを捨て駒にすることなんて、ないと思うけど? 違うかしら」

「違います」


 オブラートに包まれることのない彩未の一言ですら、喜村の脳みそでは理解が追いつかない。


「それでは、お互い死なないように」

「えぇ、そうね」

「言葉と態度には、気をつけてください」


 パートナーとは思えないほどの速さで、業務連絡をする程度の間柄である彼女らの会話は、決められた言葉の書かれた台本のように、それは無機質だった。


 すれ違いざまにも、犬猿の仲だからか言葉を全く交わさない二人。


 余裕、いや無感情を貫く彩未。


 物理的に近き存在なはずの二人。

 だが、実際には傍から見ると遠き存在のようにも感じる。

 双方のもつ、真っ向から正反対な性格は、心理的に彼女らの縮まることのない距離の大きい障害としてそびえ立っているのだろう。

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