十一話 災いをもたらす謎幼女。

「そう、幽霊が。大西の上に、おかっぱのガキンチョねぇ……」


 話を聞き終わった先生の顔は、冷静さを保った一方で僅かに驚きが含まれていた。

 同じ話を二回されても、信じ難いものは信じ難いのか。


「そうか、そんなことがねぇ。大西の頭にでっかい女の子……」

「はい、そうなんです」

「この学校も、とうとういわく付き物件に成り下がったか……」

「そ、そこまででは――」

「そうかねぇ」


 左手で顎をいじる。

 先生がなにか考えるとき、必ずこの体制をとる。

 思い当たる節があるのか、はたまた自己解釈と考察に走ろうとしているのか。


「私にはよーわからん。だから、直接本人に聞けばいいんじゃない?」

「……はい? 今なんと?」


 突拍子もない発言に、健二は戸惑う。


 敵であるはずの存在に話しかけるという行動自体、経験がないのだから。

 彼からすれば、敵と話すなんて非常識な行動のそれだ。

 そもそも霊との会話が成立するのかどうかすら、彼の経験では定かではない。


「そーやって驚いてっけど関係ねぇよ。霊感あるんだろ? 話ぐらい出来るようになれよ、霊能者」

「そ、そんなぁ。第一アレは大西の頭の上に乗っていたんですよ?」

「でも蒸発したんだろ?

 どっか消えたってことだ」

「けど――」

「大丈夫、後ろにいるから」

「えっ……?」


 ホラー映画の展開でありがちな肝を冷やす言葉に、健二は敏感な反応を見せた。


 首がもぎ取れそうなほど彼の頭は素早く、不安定にグルリと回転。

 反動で体も遅れて回る。


「あっ……あっ、あっ…………」


 健二は呆気にとられる、空いた口を塞ぎ忘れた間抜け面を晒した。


 目をやった保健室の入口。


 そこには親指を加えたポンチョ姿の幼女が場の風景に溶け込むように立っている。

 健二の目一点に、連続して並ぶ水晶のような黒い双眼の焦点が合う。

 外界を反射することのない、半透明の目で。


 間違いない。

 この子こそ、大西の頭をハイジャックした本人だ。


「ほら健二よ。早く喋れ。ほらほらっ!」

「えっ? えっえぇ?!」


 相撲の押し出しの原理で先生は健二をドアへドアへと追い込む。

 困惑と無理強いで、グイグイと。

 幼女との距離はもう、目と鼻の先を越して鼻の前にまで迫る。


 健二以上に、幼女は縮こまっていた。

 うるうるとした瞳と涙袋は、溜まりに溜まった大粒の涙をこぼしそうだった。

 年相応の、小さすぎるダムだ。


 極度の人見知りなのだろうか。

 人見知りで言えば、健二も負けてはいないが。


 なるほど。


 シャイ同士の会話では、たとえ両者の目が合って会話せざるを得ない状況にされたとしても、閉ざされた心と口は頑丈な南京錠でもかけられたように開かれないのか。


「なにボケっとしてる。はよ喋れ」

「は、はいっ!!」


 背中を叩かれ、やらないとスイッチが起動。

 コミュ障なりの努力と勇気、そして緊張ゆえのこわばった顔を携え、健二は幼女に恐る恐る話しかけた。


「あ、あのさ。きみは、どこから、ききき、来たの?」

「…………は? 何言ってんだお前」


 吃音持ちでもない健二の口から吹き出た声は、何回にも渡ってつっかえた。

 本当に人が喋ったのかあやふやに見え突っ込まれるほど、声からは覇気や感情を汲み取れない。

 セリフをまんま、棒読みしたような喋りだ。


 音となることなく、消失するように出された息だけの声だったが、なんとか幼女にもちゃんと届いたのだろう。


 口を尖らせ、こいつもまた呼吸のついでに出るような声で何かを発する。

 口ごもってる上、口元が尖ってるのでなおのことなんと言っているか見当もつかない。


 人見知り、恐るべし。


「これ、マジでどうすんだろう……」


 健二は頭を抱え、お茶を濁してしまったこの微妙な空気をどうしようか考えている。

 もちろん、彼ではどう時間を割いても答えは出てこない。

 そんなへっぽこへ、先生はひとつアドバイスを与えることにした。


「お前なぁ忘れたのか?」

「えっ?」

「ガキと喋る時は、体低くして目線合わせて喋るのが当たり前だろ? そんなんも出来ねぇのか。ホンマカスやな」

「そ、そこまでボロクソ言わなくても……」

「出来ねぇお前が悪い。以上」

「以上って、そんな投げやりな」


 本心を思わず吐露したが、先生はそれに気づいていないらしい。


「はぁ。テキトーだなぁ」


 言われたことを意識して再挑戦。

 健二は腰をかがめ、自分の目線を幼女の双眼に合わせた。

 やはり幼女はオドオドしている。

 されど、さっきよりは微かに落ち着いている。


「きみは、どこから来たんだい?」


 コミュ障とシャイボーイのレッテルを無駄にこじらせている健二だったが、なぜだか彼の口からはスラスラと文書が出てきた。


「……こ、ここ」

「こ、こ?」


 幼女はこっくりと頷く。

 人差し指を真下の床に向けて。


 この学校出身なのか、それとも保健室出身なのか。


 いや、両方ありえない話だ。

 背格好からして前者はないし、保健室で生まれるなんて言うのも、エロゲーですら起こりえない展開だ。


「わ、分かりづらい」

「ほんとアホだな、なんとなく予測しろよ」

「えぇ、そんな事言われても」

「振り絞れよ、極限までさ」

「……。わかりました」


 健二は頭を極限……とまでは言わないがいつも以上の回転をする。

 しかし、思い当たる手がかりは一切掴めないでいる。


 それもそのはず。

 幼女の情報量が圧倒的に少なく、学校空間という場に適していないからだ。


 目の前に、どこの誰かもわからない戦争から疎開してきて名前も戸籍もなさそうな喋ることすらままならない子供が現れたら、どう考えるだろうか。


 おそらく考えることを放棄するだろう。


 ただでさえ常人以上に仕事をサボる脳みそだ。

 勘も当たらないし、いくら考えたところで答えは導かれない。


「んじゃ、なんでここに来たのかとか聞けよ」

「司令ばっかで……。先生が聞けばいいのに」

「あのねぇ逆に聞くよ? もしズボラでガサツな、ゴミ屋敷を擬人化させたような私が聞いたら、確実にこの子泣くぜ?いいのか?」

「ダメですね、僕が聞きます」

「よしきた、がんばれ」


 硬直した空気というリングに、健二と幼女は押し戻される。

 名前すら聞いてない間柄には、当然ながら深い溝が存在する。

 埋めるにはやはり喋るところからだろう。


「ねぇ、きみ何歳?」

「よんさい……」

「四歳かぁ。なんでここにいるの?」

「ここにしか、いられ、ない、から……」


 幼女は突然すすり泣き始めた。

 袖でなみだを拭うものの底知れぬほど流れる涙の全てを、その小さな腕と袖だけでは受け止めることは出来なかった。


 大粒の涙は顎付近で滝と化し、永久機関でもできたかと思うほど無限に落下するが、床をすり抜けていく。

 存在を否定するかのように。


「地縛霊かもしれない」

「しばく、れい?」

「お前組織の人間なのになんでそんなのも知らないの? ねぇ、お前ホントに霊能者?」

「…………」


 霊能者ではあるが、人の話はろくに聴けないたちだ。

 霊関係に興味があろうと、話や知識には一切耳を傾けることの無い健二だ。

 彼にとって、世の中の常識である地縛霊というワードすら、聞きなれていないようだ。


 霊能者なのに。


「まぁ知らねぇなら説明するわ。地縛霊ってのはその場から離れられない霊のことを言うんだわ」

「その場から、離れられない?」

「そう。何らかの力が働いて動けないのさ」

「例えば?」

「せやなぁ、霊的な意味でだから。んー。

 幽霊自身が持つ、根強く居座る自分の記憶に縛られるからとか。かなぁ。

 あと自分の死を受け入れられないとか」

「んー、難しいっすねぇ」


 難しく、実に専門的な話に頭を悩ますふたり。

 目の前の幼女は、いつのまにやら泣きやんでおり、頭を捻るほど考え込む二人を見て、泣き疲れて茫然と立ち尽くしていた。


 まさか自分の存在に対して疑問を持っているなんて、四歳の頭では回らないだろう。


「とりあえず、これも調べとく。明日になってわかり次第、お前に話すわ」

「あ、はい」

「私も引率だからな。聞きてぇ事あったらここ来い」


 先生は白衣の袖から、四つ折りの小さな古い紙切れを健二に手渡した。

 四つ折りの紙を広げようとつまんだ途端に、脆い紙は扇形に破れた。

 破れた箇所を繋ぐと、421という三つの羅列した数字が浮かび上がった。


「あの、これは?」

「研修先の保健室の番号」

「あれ?でも栞にはたしか――」

「考えるな、いいな?」

「え。わ、わかりました」

「んじゃ、もう今日は帰れ。明日に備えろ」


 突然くだった帰宅命令を使って先生は、健二に答える隙なく保健室から追い出した。


 健二にしても、ただただ先生の剣幕に押されて空気に流されるように保健室に出るしかなく。


「これで、一段落した。それじゃ早速調べるか」


 左手に付けているゴム手袋を外し、瞬間移動のごとく幼女へと詰め寄る。

 先生の放つオーラに、幼女は泣き喚くとかということを忘れ、死んだように直立不動になった。

 いや、もう死んでいるけれど。


 目は確かに怯えているが、先生の気迫と保健室の雰囲気に飲まれている。


「すこぉし、教えて欲しいことがあるんだよなぁ」


 袖から伸びる左手で、幼女の顔をまさぐり始める。

 幼女は自分の立場、そして先生の容姿に驚愕した。

 伸びた左手は、誰がどう見てもただの腕と手ではない。


 遠くの景色を可視できるほど、先生の左腕は作りたてのガラス細工みたく透けていたのだ。


 造形?

 義手?


 いや、その腕は借り物の人工的な物と違って、確かに生き物のようにしっかりと動いている。


「驚いてないで、早速私の言うこと聞いてもらうよ」


 固まっている幼女そっちのけで、先生は続ける。


「変態クソエロ高校生のお友達の脳みそ奪ったのは驚いたよ」


 先程の子供を毛嫌いする態度から明らかに、先生の対応が一変。

 それも、この幼女をさも前々から認知していたような口ぶりである。


「ただ生きてる人間を思うがままに操ったところで、お前が幽霊で、死んでる存在なのは変わらないんだよ。何度も言わせるな、諦めろ」

「えぇ?……」

「死んでいることを受け入れられないから、お前はいつまでたっても成仏できんのだ」


 その声に覇気はなくとも、僅かに感情はこもっていた

 ひどく静かでかつ重い空気の中、耳を用意にすり抜け心を揺さぶる刺々しい言葉は、より一層空気を重くし、幼女を傷つけた。


「出ていけ、とまでは今は言わないでおく。

 けどな、もしこのまま誰とも喋れない苦しみを誰かを乗っ取って迷惑かけるんなら、今すぐお前を抹消する。

 ルールを破ったり作ったりすることぐらい、私には容易にできるんだから」


 スケスケの左手で、コーヒーカップを持って飲む。

 コーヒーカップが一人で動き、先生の口に自分の意思で動くようにも見える。

 ひとつ息を抜くと、再び続ける。


「お前の呪縛をどうにかしてやる」

「ほ、ほんとう?」

「ただしだ」


 幼女にしては珍しいハイテンションな気分を、先生は沈めた。

 幼女の気持ちもわかる。

 長年の呪縛から、やっとこさ解き放たれるのだから。


「よく聞けよ。私が呪縛を解いたら、さっき来た男子生徒を修学旅行中ずっと守れよ、いいな?」

「しゅうがく、りょこう?」

「わかんねぇならしゃあない。私についてきな明日」

「わ、わかった……」


 幼女は始終ビクついたまま、赤べこのようにひたすら頭を縦に振るだけだった。


「抹消だからな? そこのところ、よく理解しておけよ。成仏とは明らかに違うのだから」

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