二章 修学旅行の沖縄戦

十話 痛む摩訶不思議な傷跡

「なぁんか、何もなく一週間終わったなぁ……。

 なんか物足りん」


 あっけなく過ぎた一週間。


 健二が寝た国語以外の科目は、実のところすべてガイダンスになってしまった。

 つまり、授業をしなかったということだ。


 理由は単純。

 五月に入って、いきなりの教育方針の変更が全国的に起こってしまったからだ。

 異例の事態に生徒の保護者はおろか、全国の教師陣ですら首をかしげてしまうこととなったのだから。


 一番の要因といえば、やはり幽霊の存在証明だろう。

 あらゆる教科書の至る所に、幽霊の話が出てくる。

『オカルト』として取り上げるではなく、立派な学習指導要領として。

 訳の分からない数式やら、幽霊の主成分やら。


 今日も例外なく、六時間すべてを寝きった健二。

 最初から頭がすっからかんな彼にとっては、ある意味有利に事が進んだかもしれない。学習面では。


 ただ実際、この話題で持ちきりになっているのは教師陣のみである。

 たいていの生徒は、放課後の遊びやら小テストの追試やらの話題で頭がいっぱいだ。

 とくに二年生は、明日から始まる研修旅行の話題でいつも以上に盛り上がっていた。


 唯一、いつもハイテンションな男だけは違うようだが。


「こんなこと、あるもんかなぁ……」


 一通りのガイダンスが終わり、帰りのホームルーム前にある暇タイム。

 つい一週間前までは誰彼構わずエブリワンに笑顔を振りまいていた大西だったが、ここ最近妙に真剣な顔つきになることが多くなった。

 理由は未だ謎に包まれている。


「どうしたその顔? 調子狂うなぁ」

「いやいや、幽霊を勉強するってわけわかんねぇよ」

「お前のすぐそばに、常日頃幽霊とバトってる同い年の幼馴染がいるけど?」

「まぁ、そうだけどよ……」


 配られた保護者用書類を筒状に丸め、もじもじしている。

 らしくない。大西らしくない。

 誰がどう見ても、今の彼は明らかにおかしさった。


「なんだよ、なんか変だぞお前」

「変、か。変なのは、政治だと思うけどなぁ」

「恨むなら、霊を恨め、ホトトギス」

「変な川柳を作るなよ、お前こそ変だぞ?」

「ハハハハハ」


 …………。


 場の空気が、謎で埋め尽くされ濁る。

 二人とも、口を開けられない。

 何の話でつなげればいいのか、どうすれば盛り上がるのか。

 幼稚園時代から続く、家族の次に長い付き合いのはずなのに、まるでお互いが初対面のように黙りこくっている。


「そんじゃ、ホームルームやるぞ」


 担任の吉本が我が物顔でズカズカと教室に入ってきて、ホームルームが始まった。

 微妙な空気を壊した、ある意味の助け舟といえよう。

 願ったそばから吉本が入ってきたことに、二人は謎の安堵をおぼえる。


「それじゃあな。ちょっと考え過ぎたわ」

「いつもの能天気キャラ、頑張れよ」

「おれって、そう見られてたんだ……」


 健二のいつもどおりの辛辣な発言に対し、いつも以上にがっかりしながら大西は自分の席に帰っていく。

 いつもとは何かが違う大西。

 その正体こたえは、彼の背後に隠されていた。


「ん、あれなんだ?」


 話している時では全く気付けなかった存在。

 大西の頭上に、黒い影がどしりと乗っかって動かないのだった。


 目を凝らして覗いてみると、どこの誰かもわからない、謎の幼女であった。


 延長線上の黒板が見えるくらい、その幼女は半透明だ。

 しかも小さいポンチョを着ていて、背格好はだいたい四、五歳くらいだろう。


 前からは見れなかったので確認していないが、おそらく彼女はおかっぱだ。

 横もツーブロック見たく、綺麗に刈りあげられている。


 戦時中疎開させられた子供みたいなスタイルを、健二に連想させイメージを植え付けた。


「だれだ、あの子……」


 健二がぼそっと呟くと、少女は健二が見ていることを察知したのか、風に流されるように存在を消した。

 彼女の半透明であり、かつ意図的に消えされるという特徴。


 そしてひっついた先の大西が、まるで大西本人ではない様な振る舞いをした。

 そう。例えば、彼にはない病みっぷりを健二に見せたとか。


 これらの大西へ及んだ影響からして、おそらく彼女もまた『幽霊』の類であることは間違いない。


 悪霊や怨霊かは別として。


 学校ではめったに、というより全く見ることができなかった幽霊を目撃してしまった。

 それも突然。


「何か、変なことが起こりそうだなぁ」


 健二の中で、謎の直感が働く。

 考えただけでも不吉なことを。

 研修旅行の事故を連想したのだ。


 ただでさえ浮かれているこの状況に加えて、災いの前兆らしきものの登場。


「んんっ?!……くっ?!?!」


 健二は動作を停止した。

 背筋では、鳥肌が走るように立ち上がり、同時にへそと背中には、焼け溶けて崩れる激痛が走る。


 口と鼻は封鎖され、痛みによる絶叫を出させまいと固く閉ざされ。


 目玉は飛び出そうなほどひん剥き、不規則に素早い運動を起こしている。

 尻の穴に手を突っ込まれたように顎を、全身をガタガタいわせて痙攣している。


 見ているこっちが、怯えるほど、彼の今の状況は恐怖そのものだ。


 喘いでしまうほど、痛いはずなのに。

 呼吸すら許されない事態になるまで、体の自由が奪われていく。

 強い金縛りと痙攣が彼の中でせめぎあい、溺れたように心がパニック。


「——それじゃ明日から校外学習だから、よく寝とけよ。終わり」

「ぶわっ!!!」


 ホームルーム終了の合図とともに、健二は自由を取り戻した。

 鍵を開けたドアのように、束縛していた圧は解き放たれる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 なんやかんや、慌ただしいホームルームが終わった。


「今日はもう、帰ろう」


 心霊現象と悪寒は、悪夢を見て体験した健二はトラウマを植え付けられる様な気分に。


「それか、保健室によるのもいいな。先生に聞いてみよう」


 一週間前の調査依頼にしても、聞かなければならないことが健二にはある。

 学校で幽霊と健二に一番詳しいのは、おそらく保健の先生だろう。


「あの人ならきっと分かることがあるだろうし、とりあえず行こう」


 健二は教室から走り去り、一目散に保健室へと向かった。

 健二の横を過ぎていく生徒の全員が、健二一人に焦点を当てる。

 クラスで浮く異常な行動への戸惑いや恐怖に煽られる。

 廊下を走っていくら姿が、あまりにも滑稽だったためか見る人全員が健二を見てクスクスと笑っていた。


 保健室には、二分もしないで着いてしまった。


 ドアには、看板が一つ下がっている。

 そこにはテカテカの黒く優しい丸字で『先生はただいま、留守にしています』と、主張するように書かれている。


「んん?もしや……」


 健二の中で、何かが閃いたのだろう。

 ドアの看板をガン無視して、ドアに手をかけスライドしようとした。


 案の定ドアはつっかえることなく一定速度を保って開いた。


「やっぱり……」


 ドアに鍵をかけていなく、かつ看板を下げていたこと。

 そしてもうひとつ。

 資料や名簿で散らかった鋼色の机の奥に、何食わぬ顔で作業している先生がいた。

 白衣姿で。


「おいおい、ここは留守だぞ?」

「何言ってるんですか?先生いるじゃないですか」

「あのねぇ、看板見た?」

「見ました。留守って書いてあります」

「そう、ここは留守。じゃあな」


 保健室のドアはガラリと勢いよく閉まろうとした。

 が、それを食い止めるように健二は力の限り閉まるのを抑えた。


「じゃあなじゃなくて、なんで居留守使うんですか?」

「こられたら困るから」

「えぇ……」

「まぁいいか、お前関連だったし。来いよ」


 特別な入場許可をいただいた健二は、落ち着いた足取りで先生の方へ向かう。

 ただ疑問なのは、ドアに鍵をかけなかった理由だ。

 居留守を使っているのなら留守に見せかけるはずだ。

 普通かけておくものだと思う。


「今日ここに来たのは、二つ理由があります」

「手形の件?」

「はい。それと、幽霊を見たんです」

「霊感持ってるお前なら当たり前だろ?」

「いや、それが学校で」

「学校で?幽霊を……」


 先生は怪訝な顔をして首を傾げる。

 この反応を示したということは、本当に『今までにない現象』という予測が当たったということだ。


「んじゃ、早いとこ一個目からいくな?

 一週間前の夢の件。つまり手形のこと。今のうちに教えとくわ」

「はい、お願いします」

「あれはね……」


 先生は話を一旦切り、パソコンのチカチカする画面を健二に見せつける。

 強い光になれてないのか、少しだけよろめき目を隠すようなポーズをとる。


「先生」

「なんだ青二才」

「毎日こんな明るい画面で見てるんですね」

「気持ちが沈んでるから、その分画面を明るくしたんだ」


 何を言っているのか理解不能だ。

 目と肌が疲れているように見えるのは、おそらくこの明るすぎる画面の仕業だろう。

 加えてカーテンを締めきり、太陽光線を五割は遮っている。

 まるで、映画館にでも来ているような。


 沈んだ心を元に戻したいのなら、まずカーテンを開けるのが先ではないのかと、疑問になる。


「ほら、画面見ろ画面」

「は、はい!」


 健二の小さい頭は、大きい先生の手に鷲掴みされ、画面に顔面を向けさせられる。

 首の強制方向転換をしたら、ヒヤヒヤしかねないバキッという音が鳴った。

 健二は先生の顔を見るが、特に気にしていないらしい。

 そのあたり、おそらく大丈夫なのだろう。

 腐っても彼女は保健の先生だ。


「これは……」


 画面に映っていたのは、同症状の人間の腹だった。

 赤黒く染まった手形が、健二の時と同様にベッタリと付着している。


「いてぇっ!!」


 健二の腹に、雷が落ちたような猛烈な痛みが走った。

 夢と同じ、腹を槍で突き刺すような。

 規則性に従って、というより手形を連想させるなにかに遭遇すると、痛みのスイッチが入るのかもしれない。


「痛むのか?なら水のめ」


 渡された水を小刻みに震える手で受け取り、紙コップを口に当てる。

 口腔を無理に開け、いっぱいに汲まれた水をひたすらに流し込む。


「どうだ?落ち着いたか少しは」


 バイブレーションを起こしていた全身は、みるみるうちに振れ幅が縮まりついにはピタリと止まった。

 先生は出てきたネットの検索結果を、落ち着いた健二に見せる。


「お前と同じ症状の人。良かったな、仲間がいて」


 ケロッと良くなった健二はいつも通りの調子を取り戻し、生意気な口調で矢継ぎ早に言葉を返していく。


「仲間がいてって、何も良くないですよ!」

「まぁそう慌てるな。とりあえず私の見解を教えておく。

 これは、『霊夢』だ」

「れ、れいむ?」

「そ、霊夢。要は神のお告げってこと」

「かみの、おつげ……」


 とても噛み砕かれた説明だが、健二には何のことやらさっぱりな様子。

 口をポカンと開けたまま、ただその場に突っ立っているだけ。

 頭には、何も言葉が浮かんでこないようだ。

 幽霊を信じたところで、神を信じるかどうかは人それぞれだし。


「まぁあれだ。私にこの件は正直よくわからん。

 こんなふうに、私なりのテキトーな解釈してるだけだから。これが当たるか否かは知らん。

 大人の意見として流しとけ。

 はい、終わりっ!」


 手をパチンと鳴らし、うやむやな状態で手形の話題は一区切りされてしまった。

 話の早さと、彼にしては多すぎた情報の数々。


 組織の人間とはいえ、健二もまた一人の高校生だ。

 見当もつかない答えと先生のサジを投げるような終わり方には、少なからず怒りが湧いている。

 ただ今は、そんな微塵程度の怒りより話を切られた困惑の方が勝っている。


「んで、もう一件ってのは?」

「流しちゃうんですね……」

「仕方ないだろ?私にもわかんねぇんだから」

「じゃあ別件言います」

「はいよろ」

「実はですね……」


 自分の置かれた立場を飲み込めないまま、健二は大西へ磁石のようにピッタリとくっついていたおかっぱ幼女の幽霊についても、淡々と先生に告げ始めた。

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