九話 会議,アットホーム


「はぁ、今日も疲れたなぁ。ほんと、ヤになるわ」


 玄関を開けた健二は非日常からくる疲によってか、つっかえ棒が外れたようにバランスを崩し、下駄箱へと綺麗にダイブした。


 痛そうな鈍い音を立てて。


 かと思うと、さも痛みを感じなかったように爆睡している。


 寝ることに関してだけは、普通人が寝ないような場所、時間、場の空気に流されずにやってのけてしまう。


 その点はある意味、健二にある唯一の尊敬できる点だろう。


 にしても彼の有様は、やはりシュールである。


 ショルダーバッグを背負ったまま、項垂れるようにその身の全体重を下駄箱に預け、さらに重力へと逆らうように寝てしまうこの体制が。


「この子だけ、ホントすごいわ……」


 ドアが開く音がして一分。


 玄関から一切の行動音を発さなかった健二を怪訝に思い、明美がやってきて小声でそう呟いた。


 我が子ながら思うことはあるようだ。

 下駄箱で寝るという、頭が追いつかないような絵面だけはやめて欲しい。


「とりあえずご飯出来たけど。食べる?」

「うん……たべる…………。あと一時間したらね」


 気だるそうな健二は意識が朦朧とする中、自分の意思を明美に伝える。

 どこからともなく湧いて出た、睡魔との戦い。

 睡魔が優勢なのは、状況から明らかだ。


「わかったわ。それじゃ、ここで寝ないで和室で寝てね」


 明美はニッコリ笑い、下駄箱で爆睡しようとする健二を軽々と担いでしまった。


 そこからなんの容赦もなく、和室の畳めがけて背負投をしてしまった。

 しかし彼女には、これは寝かしつけたことに入るらしい。


「これでよし。おやすみなさい」


 満足したのか明美は何事も無かったかのようにその場を去った。


 何も宜しくない。


 健二はピタリと動かなくなった。

 寝かしつけるための寝技で意識が飛んだのか、小一時間、自分を落ち着かせるためか。


 にしても謎である。


 なぜ、布団をしかないのか……。



 三十分後――


 畳の部屋を荒らすほど寝返りを打ち続けた健二は、のそのそと起き上がった。


「とりあえず、飯食おう。腹減ったな」


 これではまるで、食料を求める野生の虎だ。

 健二は和室の戸を開け、ダイニングに向かう。


「っ……?」


 足はピタリと止めてしまった。

 いや、止まらざるを得なかったのかも知れない。


「なんだこれ……」


 その場の空気に呑まれ、健二は圧巻した。


 テーブルに置かれていた品々。


 その数とクオリティの高さは、ホテルが団体客相手に出す程、大量でリビングという日常空間からかけ離れた豪華さがあった。


 疑いや困惑で、持っている箸が震える健二。


「今日、何かあったの?」

「そうねぇ。内緒!」


 明美はもったいぶり、一切ヒントを与えなかった。


「ただいま!! ママ」


 ドアを勢いよく開ける音とともに、小学校低学年のノリで家に入ってくる中年のおっさんが、リビングに姿を現した。


「お、親父」

「よォ健二。捗ってるか?今日はお客さんを呼んだんだ。そろそろ来るぜぇ」


 ――いや、まず案内しろよおっさん。


「んにしても、ほんとにやってくれるとは、ママも腕が立つねぇ! 流石、自慢のママ」

「そ、そんな事言わないでよ」


 洋介は健二から、隣に並ぶ陳列する飯に目を留める。元から高すぎた洋介のモチベーションとテンションがさらに上がり、目が煌びやかになる。


「小学生みてぇだな」


 健二がそう呟くと、またも玄関の方からガチャリと音が響いてきた。

 洋介という無責任な助け舟を借りず、自力でやってきたお客さん到来の瞬間だ。


「こんにちは、お邪魔します。洋介さん、健二くん」

「えっ……」


 内田家に来たお客さん。

 その男は横に広い肩と胸、天井に頭がつくほどの身長、そして特有の妙な威圧を放ちながら上がってきた。

 五月にもなってまだ、コートを着ている。

 それも洋介とおそろい。


 言うなれば彼は巨人だろう。


 もちろん、健二の驚きようから彼らは初対面ではない事が伺える。


山田やまださん? どうしたんです?ここに来て」

「お話したいことが山ほどある。とりあえず作戦を――」

「まてまてまてまて、俺を抜きにして話すなや」


 会話に割り込み、洋介が何か言いたそうな顔で二人を見つめ、テーブルを指さす。


「あっ……」


 二人は察した。

 洋介が今、何を欲しているか。


「とりあえず、ご飯頂きますね。奥さん」

「あらぁ奥さんだなんて」


 明美は顔を手で覆い、顔を火照らす。

 いい年こいて夫婦相思相愛というのも、悪くないのかもしれない。


「ママァ……そんな照れんなってぇ!」


 洋介はツッコミを入れるような軽い平手で、明美の背中をぽんと叩き、顔をふさいでいる明美へ静かにハグした。


「おふたり、仲いいんですね」


 そんな中一人取り残された山田は、周りを気にせず生々しくじゃれ合う夫婦を、遠巻きに見てかなり引いている。

 男女が馴れ馴れしくする場面に対し、何か違和感でも持っているようだ。


「んじゃ、早速飯食おうぜ」

「で、ですね。ハハハ」


 熟年カップル二人は満足したのか、山田と健二をダイニングテーブルへ誘い込む。


「いただきます!」

「いただき、ます……」


 腹が減っている洋介はもちろん、蚊帳の外だった山田も、そもそも日常茶飯事な光景で気に求めなかった健二も、大量の飯にかぶりついた。


「ところで山田さん」

「なんだ?」


 健二は不思議そうな顔をして山田に問いかける。


「どうして今日、ここにいらっしゃったのですか?」

「ま、あれだ。今度の幽霊との戦いの策を伝えに来たんだ」

「あ、あぁ。そういう事だったんでね」


 健二は笑う。

 影で潜む不安な気持ちを必死に隠すように。

 しかしそれは、残念ながら飯にがっつく洋介には届かなかった。


「沖縄戦、ですよね?」

「そうだな。あ、洋介さん。そろそろお話しませんか?」

お話おあなし? あぁ、おけおけ」


 洋介は口から本当に溢れるほど頬張った混在する食料全てを体内に押し込んでしまった。

 膨れていた頬は綺麗さっぱりなくなり元通りに。


「やべぇな、親父」

「驚きっぱなしだけどな、お前も習得するんだぞ」

「習得?」

「長年かけて鍛えた飲み込み術だ。時間が無い時、これで時間短縮できるから。

 それと、朝はしっかり食べるんだぞ? 飲み込み術の近道だから」


 箸を止めて早食い術を熱弁する。

 しかし息子にそれは届くはずもなかったらしい。

 健二は置かれた飯をちまちまと少しずつ食い漁っていた。


 彼にとって、今の助言は完全に自分と切り離し、無関係でしかない。


「んじゃ、ご馳走様。ママ」

「あれ、もう……ですか?」

「あらあら」

「もうないからな。しゃあない。美味しかったよ」

「えっ?! えっ?!」


 テーブルに目をやり、その目が丸くなった健二。

 ありったけ乗っていた飯も、いつの間にか蒸発していたのだ。


 洋介にも飯にも遠慮気味だった山田でさえ、洋介に感化されたのか飲み込んでいる。

 とはいえまだまだなご様子。

 時々顔を青くさせて水を入れていた。


「飯、俺が片付けるから。ママはもう寝てていいよ」


 相変わらずの新婚感漂う二人の間に、健二にも山田にも入る余地がない。


「いいの? それじゃお願いしようかしら」


 明美は残りの仕事すべてを洋介に任せ、一人風呂へと行ってしまった。


「ほんと、凄いですね。洋介さん」

「親父みてぇな人になるわ」


 明美が去り、外野二人は口々に洋介を褒め称える。

 その賞賛にキョトンとする洋介だったが無理もない。

 日常的にやっているから、彼にとっては当たり前なのだ。


「じゃあ早速ですが。本題、入りますか」

「そだね」


 大きい机からはみ出る程置かれていた皿は嘘のようにいつの間にか片付けられて無くなっている。

 かと思ったら洋介は、蒸発した皿皿を気にもとめず、何食わぬ顔でカバンから謎の大きい模造紙を出して広げた。


「これ、向こうでやる作戦マップと各隊の動きまをまとめたやつ」


 やはり模造紙の正体は地図だった。


 健二は地図と聞いて、伊能忠敬が書くような実に精巧で入り組んだ地図を考えていたようだ。


 が、実際には見ることを失せるくらいまで複雑に入り組んだものではなかった。


 むしろ、カーナビレベルの簡易度だ。


 その地図の中には、ところどころ赤いまるがマークされており赤いペンで書かれた矢印が右往左往している。


 地図の端には小さい文字で何かが記されているし。


「いろいろマークされてっけど、何が何だかよくわかんねぇな」

「そうか。なら説明するわ」


 洋介は冗談交じりに地図記号の意味や、どういう作戦内容なのかを健二と山田に手取り足取り教えることに。


「地図のあちこちに書いてある赤丸は、各隊をひとまとまりとして考えた時の初期配置だな。真ん中の四角い建物こそ、俺らが狙う沖縄はパイン館だ!」


 洋介は地図上のど真ん中に記されている、青いマーク付きの四角い建物を指差す。


「んで、お前らはこの地図の右端にある丸いところで待機。第一隊の後方援護をするんだ」


 そう言うと、地図からはいきなり大きい円が二つドーナツ状に湧き上がってきた。

 見たこともない技術に、健二は言葉を失う。

 が、大人二人は慣れているのか、全く動じなかった。


「健二。これはな……なんていう技術だっけ?」

VRPバーチャルリアリティズムプロジェクターです」

「あ、そうそう。それそれ。横文字きっついなぁ」


 眉間に皺を寄せ俯く洋介。

 が、すぐに本調子に戻り説明を続けた。


「この浮き出た丸はな、第一隊フェイズワン第二隊フェイズツー第三隊フェイズスリーを示すもの。

 一番小さい円の内側に書かれた丸には第一隊、大きい円と小さい円に挟まれたところに書かれた丸は第二隊。んで、一番外側は第三隊ってわけよ」


 健二たちの立ち位置は第二隊のところ、つまり目的となるパイン館戦にはある程度参加する場所であった。


「まず、突撃の合図で第一隊がパイン缶に攻める。

んで、周りの第二隊は俺らの援護兼パイン館の周りで湧いてくる幽霊を撃破。

第三隊は、まぁ後から援護してくれるから関係ないな。

んでピンチになったらパイン館に突っ込んでこい。いいな?」


大まかな流れを部下二人に告げ、洋介はさらに続ける。


「第一隊は基本、俺らみたいなSランク術師とか、Aランク術師が引き受けているよ?

第二隊は全員Bランクだな。第三隊は、C、Dランク。

 山田はAランク術師だが、健二の引率をしてくれ」

「了解しました」


 隙あらば自分語りする上司にも、山田は律儀に敬礼し、その場で頭を下げる。

 挨拶を交わすように洋介、さらに健二も敬礼した。


「日時は健二の修学旅行の日で、二十時から……だったかな? 健二は覚えやすいかもな。疲れて忘れてたとか言ったらマジで怒るからな? ……あれ?健二?」

「あ、これは完全に撃沈してますね」


 一方的会話には、やはりめっぽう弱い健二。

 目に見えていた結果だ。

 下手をすれば命の危機に陥る様な話をしているにも関わらず、彼はシャットアウトしている。


「はぁ……こいつぁすげぇや」

「運びます? 寝室まで」

「そうしてやってくれ」


 上司である洋介の命令通り、山田は健二を肩に担いだ。

 リュックを背負っているように、軽々しく。


「重くないんだな。すげぇわ」

「まぁベンチプレスの方が重いですから」

「150キロ……だっけ?」

「そうですね」


 すごい事なのに、まるで当たり前のように言いのけてしまう。

 堅苦しい表情のまま固まっている山田に、多少驚く洋介。


「あ。じゃあ運んできちゃって」

「わかりました」


 小人を担いだ巨人はリビングから姿を消す。

 上からドサリドサリトと、今にも家が崩れそうな音が何回にも渡って聞こえてくる。

 健二は眠れただろうか。


 一階にまで聞こえてくる騒音を前にして。


 そしていつの間にやら、山田は洋介の目の前にたっていた。


「えぇっと、なんだっけ?」

「日時の話でした」

「あぁ、もう終わった話だな」

「あの。質問いいですか」

「どうぞどうぞ」


 質問許可が降りた山田は、模造紙の中心に来ている四角い建物、通称パイン館を指さしこう言った。


「この周りの青い円は、何を示しているのですか?」

「これはな、ガイ・ナミあいての本拠地だということを指している」

「ガイ……ナミ?」

「知らんのか? 大規模な幽霊だけの組織だぞ?」

「あ、あぁそうでした」

「そうでした、じゃないぞ? 俺の横文字語彙力より弱いじゃないか」

「いやいや、洋介よりは上ですよ?」

「ありゃ、言うなぁ!」


 面食らった洋介だったが、別段気にすることもない。


「まぁいいわ。今日はこれで終わり。ここからは飲むぞぉ!」

「え、えぇ……」


 この期に及んでまだ飲み食いをするようだ。

 模造紙を片付けた洋介は、冷蔵庫からキンキンに冷えたビールとツマミになるピーナッツを持ってきた。


 憂鬱な顔をする山田だったが、上官命令だ。威圧して逆らえる相手ではない。

 そもそも威圧できない相手だ。


「じゃあ、いただきます……」


 彼らだけの長い長い夜が、二人の妻子を放置して始まったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る