八話 動きだす。
「ど、どうしたんですか? 性にあって無いように思うんですが」
「往生際が悪いの次は、性に合ってないって……。お前どっちなんだよ。私に何させたいんだよ」
追うことをやめた先生は、その場で躊躇なく胡座をかく。
健二からのアングルであれば、先生のパンツがしっかりド真ん中に来ている。
ラッキースケベというか、なんというか。
それでいて本人に、見られている自覚が有るのか無いのかもわからない。
変わらぬ事実は、何食わぬ顔で酒を飲むおっさんのような胡座をかき続けている事だ。
思春期の男子高校生からすれば、幸か不幸かサプライズアングルな訳だ。
もちろん、欲望のままガン見をする度胸たるもの、健二にあるわけが無い。
目のやり場に困った結果、視線をあちこちに飛ばしている。
若干わざとらしく、時々スカートの中を覗き込む感じで視線をスライドする。
「どうした? 顔真っ赤だぞ?」
「い、いやいや、そんな分け――」
「なに? もしかして、二十代後半に差し掛かかってる女性のパンチラでムハムハしてんの?」
挑発的でいやらしい発言で、健二の顔はトマトみたくさらに赤みを増し熟れた。
恥ずかしさのあまり、喉に餅が詰まった時の表情になっている。
図星だった……。
言った本人も少しだけ恥ずかしくなったのか、ほんのり顔が火照っている。
気晴らしとして、結んでいた髪をバサッと下ろす。
手から輪ゴムが、不規則に跳ねていく。
「あのね、いいこと教えてあげる」
「な、なんですか」
「こんな不健康極まりない大人に尻尾振ってんじゃないよ? いつか痛い目みるから」
「は、はい」
羞恥心と敗北感からくる音にならない声。
体育館倉庫の中で、異常な緊迫感と日常的な静寂が渦巻く。
健二の脈打つ音は朧気ではあるものの、不安定かつ速いリズムで刻んでいるのがはっきりとわかる。
「それと」
「はい、なんですか?」
「今回はどのみち逃がすつもりだった。
だから目を瞑ってやろう」
あの容赦ない動き方をした上で、負け惜しみ気味な発言をされても逃がそうとしていたようには見えないし、聞こえもしない。
「あ、ありがとうございます」
「ただし、これ以上コソコソやったら、次はないからな」
「え、あ、はぁ……」
どこに飛んだか目視できなかった輪ゴムをサッと拾い上げ、先生はまた髪を止める。
相変わらずのボサボサ頭。
初対面で保健室の先生とはまるで考えつかないほど、一つ一つの言動がズボラでがさつで、汚らしい。
さらに、ほかの先生と比べたら実に内向的で、人付き合いもいい方とは思えない。
それなのに。
それなのに何故か健二にだけは、かなり興味津々で普段見せない顔を見せている。
はたして彼女の心境は、どのようなものなのか。
彼女以外、真相は藪の中だ。
体育館倉庫のドアを開け、先生は去り際にこう言い放った。
「じゃあな、ドスケベ熟女ラバー」
場の空気を冷たくするほど辛辣な発言。
しかし先生の表情は、滅多に見られない笑顔だった。
小さく、清楚な笑い。
それは下心とか、相手を陥れようとするゲスい物を取っ払ったような。
普段の先生からは決してこぼれない、純粋無垢な笑顔だ。
「ところで、先生」
扉を開け、右足が出たところで健二は呼び止める。
先ほどまでの笑顔は抹消され、彼女は平常運転に戻る。
つまりはいつも通りの、人生に面倒くさそうな、かたい無表情になっていたということ。
「先生は、どうしてここに来たんですか?」
「えっ? あぁ、それ聞いちゃう」
予期しなかった急な質問に先生は少し戸惑っているものの、どっしりとした面構えだけは維持している。
反応から察するに、これは彼女にとって聞かれたくない話題なのかもしれない。
「教えて、くれないんですか? 先生なのに」
「その言い方やめろ。世の中には触れてはいけない禁忌なことがあるだろ?」
「はーい」
「現にお前も片足突っ込んでるわけだし……」
「もしかして、『組織』のことですか?」
「まぁ、そんなところだな」
ひとしきり喋り終わらせる。
聞いていた健二の納得を得られていないまま、先生は勝手気ままにスタスタと保健室へと帰ってしまった。
「なんか、うやむやだったな。先生」
先生の目的を頭をひねって考えながら、健二も教室へと向かった。
残りの昼休み、だけでなく午後の授業のすべてを、睡眠に当て。
* * * *
「ミッションは達成したようだな」
時を同じくして、今度は校舎裏。
ここでもまた、影でこそこそやっている少女が二人立っている。
一人は白いボブカットのセーラー服美少女。
そう。彼女はこそ、健二が通学中に格闘した悪霊にトドメを刺した、あの少女だ。
右耳には、小型のマイク付き片耳イヤホンが体の一部であるかのようにくっついて装着されている。
もう一人は、同じセーラー服の茶髪女子だ。
白髪少女とはちがい、耳にはイヤホンの形影は見えない。
さみしい胸の上には長い腕が二本、しっかりと組まれる。
二人の目的は、どこぞの男子高校生二人組のようないかがわしい何かをしにきたわけではなく、業務連絡的なものである。
「はい、ほぼ順調に達成しました」
「ほぼ? 何かアクシデントがあったのか?」
イヤホンから聞こえる低く渋い声は、少しのノイズが入っている。
偉そうな口のきき方に、少女は一切取り乱さない。
「はい、黒い霊魂を殺した時、そばに『組織』の人間がいまして」
「なに? それはどういうことだ?」
「そのままの意味です」
AIのような無感情ボイスで、渋い声の男に現実を淡々と押しつける。
『組織』という言葉に過剰反応し、男は声を震わせる。
パタリ
イヤホン越しに、男の通信機が落ちる音が大音量で耳に伝わり響く。
思わぬ非常事態に、電話越しの男は動揺を隠せないでいるようだ。
「くっそぉ、死人風情がっ!!! これではバスターとしての名が廃る……」
『組織』に、かなり嫌悪しているご様子。
悪霊でも尻込みする程のどなり声と、何の罪もない頑丈な机を貫く拳の音が少女の耳を襲う。
だが少女は一切ひるまず、無表情無感情無関心を保っている。
「今回の件は、とりあえずなかったことにしてください」
「厄介だ、実に厄介だ。非常に厄介で腹立たしい」
「は、はぁ」
少女はブレブレに揺れ動く不安定な上司の機嫌に困惑しつつも、硬い表情のまま少し頷く。
「もういい。次だ次。沖縄戦について分かっていることを告げておく」
「今度の襲撃ですね?」
「そうだ。まず日時。五月の十八日、二十時スタートとする。
つまりお前達の修学旅行一日目だ。向こうにあるパイン館という施設を中心に取り囲む。
「わかりました。それでは」
「じゃあな
会話が済み、回線が途切れる。
白髪少女、彩未はつけていたイヤホンを、胸ポケットにしまいこんだ。
そんな傍ら空気と化していた茶髪美女が、組んでいた腕を更に頑丈にして口を開いた。
「なに? 『組織』に遭遇したってホント?」
「えぇ、そのようです」
起こらざるべき事実と、それを何とも感じない彩未に憤慨する。
そっぽを向き、なめていた飴を力強く噛み砕いた。
跡形もなく、粉々に。
口の中で広がっていたイチゴの甘みも、一瞬で散った。
「あらそう! んもう、見た目と反してどうしてそこまでドジかねぇ」
「仕方ないです。見つかるものはしょうがないのですから」
「だから違うのっ!!」
「どう違うのですか?」
「もっといい方法があったって言ってんの!」
「現場にいなかったのに、偉そうにしないでください」
「その減らず口、ガスバーナーで炙ってくっつけるわよ!!」
口を閉ざし、すぐさま持っているスマートフォンを彩未に向ける。
「『
茶髪少女は突然、意味のわからない詠唱をした。
するとあら不思議。
スマートフォンから何かが一瞬で出現した。
銃らしき何かだ。
マグナムぐらいの大きさ、しかし銃の先は平べったい形状だ。
レボルバーもなく、非常にスリムなボディを持っている。
形から察するに、エネルギー放出系統の拳銃なのかもしれない。
「覚悟なさい!!」
細めた眼差しは、人を殺せるぐらい鋭く真っ直ぐだ。
両者の視線は、銃口一点に集中する。
茶髪美女の構えている手は、若干の震えによって照準が定まらない。
緊張しているのか、はたまた覚悟がないのか。
一方の向けられた彩未は、置物のようにその場から全く動かない。
すべてを見通し、あざける目をして。
「ここで殺し合いをしても、単に非効率なだけです。その銃を下ろしてください」
「……アンタ、死ぬの怖くないの?」
「私は死にません」
彩未は言い切った。
茶髪の少女に自分の威厳を見せつけたり、軽蔑する様な表情をすることなく。
顔に張り付いたように動かない真顔で。
「よく平然とした顔で言えるわね。私もそれぐらいの度胸が必要なのかしら」
「あなたはここで私を殺せない。三つの理由によって」
「なによ、それは」
「その銃は霊に対しての殺傷能力に関してはずば抜けています。
けれど、人に向けても効果を果たさない。
人間に危害が及ばぬよう設計してますから。
仮に、それが人間特攻で当っても私は見きって躱します。
そして何より、あなたは私を感情的な意味で打てない。
ここで殺し合いをしても非効率である。
あなたも心のどこかでそう思っているでしょう。
合っているはずです」
彼女とAIを擬人化したような彩未で決定的に違うのは、心理分析だった。
茶髪少女の行動すべてを、論理がましく投げつけるように羅列して説明。
ここまで来ると彩未が、AIと人間をこえた何かに見えてしまう。
「……それも、そうね。下ろすわ」
行動のすべてに文句をつけられることに面倒くさくなり、持っていた銃を下ろす。
「『
謎の詠唱をすると、手に握られていたはずの銃は見る見るうちに縮小されていく。
霊を容易に葬れるはずだった近未来銃は、いつしか殺傷力皆無のキーホルダーと化した。
それを確認すると、スマートフォンへつけなおす。
どうやら護身用キーホルダーだったようだ。
「そうね、アンタの言うとおりだわ。ここではやめとくわ」
「そういうと思いました」
少女たちは、何事もなかったかのように二年の教室へ戻っていく。
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