七話 バレた上に駆け引き

 パンドラボックスと化した跳び箱を開けたのは、保健室の番人だった。


「あ……」


 硬直する先生、健二と大西。

 三人の脳みそが機能を停止し、数秒時間が止まった。


 昼間から体育館倉庫で秘密裏にいかがわしいことをしている野郎二人もおかしい。

 けれどそれと同程度、昼間から体調の悪そうな保健の先生が、体育館倉庫に用があるのもおかしい話だ。


 先生は思いため息を深く吐き、膠着状態の空気を打ち破るのごとく切り出した。


「よぉ。何してんだここで? 暑くないのか?」

「いやぁ。んまぁなんと言いますか」

「答えにくいのか?」


 詰め寄ってくる先生に、二人は動揺する。

 先生の鋭い目つきは、目の下に連なるクマで彼らにとっては呪い殺す形となった。


 背筋が凍り、足がすくむ健二と大西。

 内ポケットに入っている雑誌へ手を当て、もぞもぞする健二を、先生は見逃さず矢継ぎ早に、容赦なく詰問を始めた。


「おい内田。おまえ内ポケットに何入れてんだ?」

「あいや、何も入れてませんよ?」

「嘘をつくのも辞めておけ。モゾモゾしてんじゃねぇか。大人にそんな嘘は通用せん」


 確信をつくような発言に、二人の額からタラタラと汗が流れ出る。

 分が悪くなった二人を、逃がす気はことさら無いようだ。


「ホントのこと、言ったらのどうなんだ?」


 たったの一歩、足を踏み出す。

 キスができそうなほどの距離まで二人に詰め寄り先生は健人の内ポケットにむかって手を強引に突っ込んできた。


「あ、先生! 何をしてるんすか?!」

「何って、お前らが何してたのか事実を確認するんだよ」


 健二は、突っ込まれかけた手を必死になって掴み、止めようとする。

 しかし伸びる白い腕は一切動きをやめない。

 不健康そうな容姿と顔色からは、まったく想像もつかない腕力で制圧される。


 先生の顔には、余裕で満ち溢れた笑を浮かべた。


「辞めてください! 離してください!」

「ここまで来て辞めさせるなんて、ひでぇ話だな。んまぁいい」


 慈悲を見せたのか、先生は一瞬だけ動き回る手を静止させる。

 健二は先生の顔を確認する。

 やはり余裕や確信のこもった笑みは、まだ存在していた。


「よしっ、今だ行けっ!!」

「おうっ!!」


 大西のエールもとい合図を確認し、健二は倉庫から素早い身動きで脱走。

 戦闘時のマナトほどではないものの、一般人では止められない速さで。


「おいこら、どこに行く気だ」


 先生が気づいた頃には、倉庫の扉が開け放たれ、健二は倉庫から姿を消していた。

 先生の一方的な攻めの状況に変わりないものの、延命は少なからず出来たはず。


「あの時ちゃんと言ってくれれば許してやったかもしれないのに。惜しいことしたなぁお前ら。

 にしても内田め……。逃げ足だけ速いなぁ」


 呆れ返った先生は突然、肩を扇風機のごとくブンブンと振り回し始めた。

 触れたら骨折で済まないほど、力強く、速く、肩からもげそうな勢いで回転している。

 比喩的な意味はない。

 本当に風を切る音で体育館倉庫を戦慄させる。


「せ、先生? な、なにをしていらっしゃるんですか?」

「見りゃわかるだろ、準備運動だ」


 言い終わるが早いか、動くのが早いかの瀬戸際で、先生は倉庫から飛び出した。


 陸上部でもないのに速い健二を追いかける。

 さっきも言ったが、彼の足の回転はとても常人では止められないほど速い。

 しかしもし、追う人間が常軌を逸した準備運動をするような超人だったなら。


「っ……?!」


 えも言わせぬ手短で華麗な手さばきと身動き。

 健二の目では目視すら許されない。

 一秒もしないうちに先生は倉庫に戻ってきた。


「んいしょっと。危ねぇ危ねぇ。

 あとすこしで逃げられてたな」

「……んな…………」


 あまりの動きに、大西は声にならない声で驚愕した。


 ただでさえ頭と腕のネジが外れたかと疑うような、乱暴すぎる準備運動の時点で既に理解が追いついていない。

 その上で放たれる、この人並外れた狩るスピードである。


 デュクシーの使い手からしても、これは起きてはならない出来事だったのかもしれない。

 加えて彼は、さらに驚くことになる。


「こ、これは……」

「おめぇら、甘いんだよ」


 先生は右手に指をさし、大西の注目を集める。

 なんと、健二が吊るされていた。

 それも右腕一本で、軽々と。


 一方の健二は、借りてきた猫みたいに静かで、自分の意思ではまったく動いていない。

 先生という天敵を前に、勝てないことを今頃悟ったようだ。


「教師に逆らうとは、いい度胸してるじゃねぇか」


 ドサリ。


 先生の手から、ものを落とす感覚で健二は六十キロという体重相応の音をもってして落下した。


 床に落ちたことにより、健二の中で時が動いたのだろうか。

 再び口を開き、驚嘆し固まっていた四肢がゲジゲジのように動き出した。


「さぁてどうしようか、答えは決まってっけど……」

「見せたくないものなんです。拒否権を行使します」

「おめぇに拒否権ねぇから」


 訳の分からない理論を押し付け、止まっていた手を素早く動かして、再び健二を襲う。

 今度はブレザー自体を脱がして、内ポケットの中を漁ろうという作戦だ。


「わっっ!!!」


 作戦の序盤。

 先生は突如、大声で健二を脅かす。


「ひぇっ?!」


 いきなりの大声に健二は驚き、先生の罠に引っかかる。

 一瞬ではあるものの、身動きが取れなくなる。

 完全に先生の思うドつぼだ。


「いい反応だな。フフフフフ」



 女子のような悲鳴をあげる健二に目もくれない。

 先生は健二の止まっていた一瞬のうちに、サササっとボタンを解いていく。


 手際よく解けていくボタンの行く末を、健二は見過ごすことしか出来ない。


「ざまぁみろ、これがお前の最後だ」

「くっっ!!!」


 荒れ狂う白い腕を鷲掴みするも、やはり健二の握力や腕力でどうにかできる問題ではなかった。


 ――もう、終わりなのか……


 一学生とはいえ、健二は組織という巨大な牛尾の一人である。

 対して先生は大人であるものの、女性で、しかも不健康そうで、かつ一般人なのだ。


 一般人相手にここまでやられてしまっている。

 人生経験も戦闘経験も、なぜだか先生の方が何枚も上手だった。


 歴然とした実力差を前に、健二は愕然とし屈辱感で力も絶えかけた。


 健二の少なからず抱かれた組織としてのメンツが、今ここで崩れ去ったのだった。


 それでも。


 それでも健二にはたったひとつ、大西というかけがえのな友達を守る。というメンツがまだ残されている。


「変なレッテルを……お前に、貼らせるわけにゃ……行かねぇ……んだった…………」


 ここで諦めて極秘雑誌のことを打ち明けてしまえば、健二はもとより、大西にも被害が及んでしまうかもしれない。


 同時にこのド鬼畜な先生が事の一部始終をバラしてしまえば、健二たち二人は社会の爪弾きになること間違いなしだ。


「はぁ、こいつぁすげぇや」

「どうした?」

「いやいや、何でもないです……」


 意味不明な余裕を見せると、健二は掴まれた状態から自ら床に倒れた。

 いや、倒れたというより勢いつけて落ちた、と言う方があっている。


 一か八かの行動へ健二は賭けに出た。


「おいおい、そこで倒れるな」


 残像のように、全く同じモーションで先生もその場から倒れた。


 ドンッ!!!


 体育館倉庫に響く、二人の鈍い落下音。

 健二は先生の下敷きとなり、身動きが取れない。

 しかしこれで良かったのだろう。


 先生とは反対の方向にいる大西は、健二へ訳の分からない身振り手振りで催促する。


 傍から見れば頭のイカれた者同士のイカれたテレパシーのようにも見えるが、健二にだけは何を指すものか分かった。


 つまりは二人だけのサイン。


 内ポケットからスムーズに袋を取り出し、大西に預けた。


「おけ。これをお前に託す」

「お前の気持ち、志。確かに受け取った!」


 阿吽の呼吸で繋がった連携。


 鮮やかなパスで繋がる動きを受け、大西は体育館倉庫から飛び出ていった。

 今生の別れのような挨拶を交わして。


 振り向くことなく大西は走り続けた。


 横たわっていた先生も、綺麗な連携を見ていた訳だがやはり諦め無い。

 ビーチフラッグの要領で、大西めがけて飛び込もうとする。


「こらっ! 待ちなさい!」


 が、なぜだか体は思うように動かない。太く長い大量のツルにでも体を巻き付けられたように。


「往生際が悪いなぁ。先生」


 動かないのも仕方がなかった。

 飛び出すはずの右足は、しっかりと健二にバインドされている。


「離しやがっれ!!」


 彼には失礼だが、もちろんのことバインドは顔面にクリーンヒットした先生の一蹴りで役目を果たさなくなった。


「煩わしい、痴漢と叫ぶぞ」

「辞めてくださいよ、僕がなんて言われるか。そもそも友達を守っている立場なのに」

「そんなの知らん。厨二病犯罪者でいいんじゃねぇの?」

「絶っっっ対嫌っ!!」

「すんげぇ貯めたな、お前」


 時間稼ぎの会話が役に立ったのか、大西は既に体育館から撤退し、ただひたすらに、がむしゃらに走っていく。


 階段をドタドタと上がっていき、廊下を走っていくのが、倉庫からでも容易に聞こえてくる。


「くそぉ、逃がしちまったか」


 あとすこしで手が届いていたはずの証拠品も、確信犯二人と諸共あっけなく逃げていく。


「もう、いいか……」


 粘りに粘り続けていた先生という最強の存在は、とうとう獲物である健二たちから手を引いてしまった。

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