五話 遅刻したあとの怒鳴り声

 健二が学校に着いた頃には、既に8時を回っていた。

 できるだけ急ごうと、健二はマナトの背中に跨り学校まで送ってもらおうと試みる。


 しかしマナトは、背中の刺し傷や腹の青あざを健二にしつこいほどアピールし、申し出を拒否した。


「乗っけてくれていいじゃないか」


 そんなことを口にしてみる健二。

 しかし、よくよく考えてみればマナトに走らせたら、リンクしている健二自身の体力も減少する。

 ただでさえ不足している力を、そこが尽きるまで使うのは野暮だ。


 健二は思いとどまった後、結局歩いくことを決めた。

 迷路のように入り組んだ住宅街を、手探りに右往左往して。



「っていうことで。遅れちゃいました」


 遅刻の経緯を話し、へへへと笑う健二。

 国語科で担任の吉本は、反省の色もへったくれもない彼に雷を落とす。

 教員室中に響く声で。


「お前、笑ってっけど遅刻ってのは重罪だからな?

 人はな、時間という概念を守るべきなんだよ……」


 いつもの長ったらしい哲学文句が始まる。

 もちろん健二は哲学にも、ましてや吉本にも興味はない。

 聞く耳を持たず、ボーッとしてる。


 吉本のがなり声は、体育の『やすめ』の体制になっている健二を前に、少しうるさいBGMと化した。


「とりあえず、遅刻の理由はなんだ?

 寝坊か? 腹痛か?」

「いえ、幽霊と戦ってました」


 一般人が信じるはずのない理由に、教員室の空気が凍る。

 幽霊が科学的に証明された今日とはいえ、信じ難いと思うものも少なくない。ましてや頑固で横暴な吉本に至っては尚更。

 説教をする吉本は、またかという念のこもったため息をこぼす。


「あのなぁ、幽霊なんて非科学的なものがいるわけないだろ?

 百歩譲っているとしても、学生であるお前が、そんな危険なことをしていいと思ってるのか?

 ダメに決まってるだろ? まったく……」


 出来の悪い生徒を作ってしまった。

 そう呟くように、吉本は頭を掻き毟る。

 口に出し、イライラが増幅するのが目に見える。


「ともかく、テレビの見すぎだ。

 よく報道してっけど、そんなの存在しないから。

 高校生にもなって、そんなことを信じてたら先が思いやられる」


 煽り口調とともに、ほかの教員がクスクスと笑い出す。

 顔を赤らめた健二に、一撃必殺とも言える鉄槌が下った。


「これ以上変な事言ってみろ。

 お前を退学する」


 いつもの脅し文句は、今日だけ心に響く。

 後ろで組んでいた手も、いつしか体側に沿っているし。


 さっきまで敵を見るような目で睨んでいた健二だが、今では人が変わったようにどこか怯えている。


「以後、気をつけます」

「よろしい。じゃあな?」


 健二は追い出されるように教員室をあとにする。


「ったく。ばかものめ……」


 彼の遅刻用紙には『幽霊を倒した』という記載に横棒が吉本の手によって引かれ、二文字『寝坊』と書かれて終わった。


 追い出された健二は、静かに笑い始めた。

 教員室からの呪縛が開放され、何となく気が軽いのだ。


 吉本たち教師陣は、未だ悪霊を頑なに否定する。今日話題になり、存在も証明された悪霊を。

 いつものようにあしらう吉本なんざ、健二は何一つ興味を持たない。

 喋り方や、偉そうな態度、

 無理やり押し付ける持論。


「さて、保健室でも行くか」


 調子を取り戻し、健二は数少ない憩いの場所へ向かった。

 自分への理解者が、そこの主をしているから。


「これ、何だったんだろう」


 胸に当てていた手を、今度は腹にマークする。

 夢に出てきた怨霊と、怨霊の攻撃でできたであろう手形がどうしても気になってしょうがない。


「誰がやったんだろうか。ホントに夢に出てきた怨霊の仕業なのか?」


 金縛りなどの心霊体験は何度か起こっている。

 でも、夢の出来事が現実にリンクした試しが一度もないのだ。


 この非常事態について、保健室の理解者は分かってくれるだろう。

 健二は、理解者への信頼を抱え登校して早々保健室へと向かった。


「お邪魔しまーす。

 って、相変わらず硬いなおい」


 立付けの悪いドアを懸命に開けようとするが、ドアはビクともしない。

 二度目の正直で勢いよく開けようとした。


「うわっ!!」


 ドアに引っ掛けていた手が滑り、健二は床にドシンと尻餅をついた。

 本日何度目の尻餅だろうか。


「入りづれぇじゃねぇか。

 立て付けぐらい、直訴すりゃ一発で通るもんじゃないの?」


 力を込め、何往復にも渡ってドアをガシャガシャと左右に揺らす。

 しかしドアは健二の意図に背き、一切開けようとしない。


「おっかしいなぁ。なんであかねぇんだよ」

「そりゃ鍵がかかってるからに決まってるだろ?」


 根暗そうな女性のヴォイスが、頭の後ろで響く。幽霊のようなオーラを放つ。


「あ、え、あぁ。たしかに、ハハハ」

「おまえ、壊したら弁償だからな?

 いやもういっその事、保健室買ってもらうか」

「なんでそんな話になるんすか?」

「冗談に決まってるだろ。

 ほら、なんかあったから来たんだろ?

 突っ立ってないで、そこどいてくれ。私の住処だ」


 女性は健二を押しのけ、右手に持つ銀色の鍵をドアに差し込む。

 ガチャっと音とともに、女性はすり抜けるように部屋に入っていく。


「公共の場に自分の縄張りを置くなんて、大した度胸だなぁ」

「なんか言ったか、生意キッズ」

「いいえ、別に?」

「ならさっさと入りな」


 保健室の鍵を我が物顔でブンブン振り回す女性に従い、健二は中に入っていった。


 椅子にどしりと構え、ラスボス感を漂わせる目の前の女性。

 彼女こそ、保健室の主である先生だ。


「んで、今日はどうした?」

「実はですね、先生……」


 長い髪を手でかきあげ、口にくわえていた輪ゴムで人束に止める。

 血のひとつない白衣と、蛍光灯に反射する白い肌。

 ここまでであれば、何の変哲もない清楚な女性と思うだろう。


 しかし問題は目元と髪質にあった。

 目の下には、塗ってるのではないかと疑うほどの黒いクマが二つ。

 そもそも、彼女の持つ目ですらハイライトが一切入ってない。人殺しをする人の目つきだ。


 黒い髪の毛は、輪ゴムで止めているせいか、寝癖みたくあちこちに飛んだり跳ねたりしている。

 痛みに痛みまくった結果がこの有様なのだろう。


「なに? どうした? こっちをじっと見て」


 いやに鋭い目つきは、初対面にとってあまり優しくない。

 彼らの関係からすれば、この口調も、ガサツな行動も、立っている髪も日常茶飯事だと言えよう。


「いえいえ、何でもないです」

「そうか」

「あの、見てほしいものがあるんです」

「そうか」


 健二は堂々とワイシャツをたくしあげた。

 突然の変態行動を前にしても、先生は一切の動揺を見せない。

 むしろ、食い入るように健二のへそを見る。

 しかも視点は彼のへその手形にいく。


「こりゃなんだ? イタズラか?」

「いやいや、心霊現象ですよ!」

「ふぅん、何されたんだよ。幽霊に」

「それがですね……」

「ちょっとまて、紙とペンを持ってくる」


 先生は保健室の奥へ進み、山のように積み重なったダンボールの中から紙とペンを取り出した。

 ボードに引っつけると、小走りで戻ってくる。


「じゃあ、よろしく」

「はい、えぇっとですね……」


 健二は夢で見た怨霊の仕打ちを、一から説明し始めた。

 自分を刺し殺した、例の怨霊の話だ。


 壮絶すぎる悪夢の一部始終を話し終え、健二は少し満足そうな、余裕な顔をする。

 その分先生の顔は、悪夢でも見たような表情に一変した。


「ど、どうしたんすか?」

「どうしたもこうしたもねぇ。夢と現実がリンクしてるなんて、ありえねぇ話だろ?」


 先生は、健二の発言をまとめた紙に目を落とす。何が起こっているのか、深く考えるよう顎を触りながら。


「でも……」

「わかってる。今こういう風に起こってるんだ。解決せんと、私の気持ちが収まらんだろ?」

「おお、ちゃんと調べてくれるんすか?」

「何度も言わせるな。私のためだ、私のため」


 自分に言い聞かせるよう自分で復唱し、先生はデスクへ向かう。

 マイパソコンを開き、なにかの資料をまとめ始めたのだった。


「ん、もういいぞ。こっちはこっちで勝手に調べっから。授業出てこいよ」

「あ、ありがとうございます」

「んん。あんま無理すんなよ? 一応私は、『保健の先生』なんだから」

「はい、大丈夫です」

「そうか、じゃぁ」


 先生の言葉が終わる前に、健二は保健室を背に教室へ向かった。

 シャツが出っぱなしの状態で。


「はぁ、詰めが甘いな」


 ため息混じりに口から一言こぼれる。

 そばにあったコーヒーを啜りながら、先生は健二の発言について調べ始めた。

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