三話 終わらぬ宿題と終わらぬ戦い

 開けた玄関の先には、健二と同じぐらいの背丈を持つ平均的な体格の青年が立っている。


 縦に並ぶ二つのボタンは前留めとしての役割を捨て、飾りとして残っているだけ。

 おかげで黒色のブレザーはヒラヒラと揺れ動き、昨日までピンで固定されていた青ネクタイはピンを捨てて振り子のようにブラブラと揺れる。

 灰色のスラックスからはみ出た白いワイシャツ。

 頭皮から垂直に伸びる茶髪は、触れたものを軽く怪我させてしまうほど太く丈夫だ。

 茶色く染めたズボラなウニが擬人化したような人間が、目の前の男子高校生だ。


 勝っちゃんこと大西勝正おおにしかつまさとは、このだらしない青年を指す。


「よぉ健二。かつ丼食ったか?」

「大西、もうやめようぜ。自分がかつ丼好きだからってそれを俺にまで押し付けるのはよ」

「アハハ、そうかそうか!」


 手で頭をかき、大きい口を開いて笑う。

 腹をおさえて。


 ちなみに彼の発言で出てきた「かつ丼食ったか?」は一般人で言う「調子はどうだ?」にあたる。


「ところでよ、お前」

「んん?」

「歯磨きながら学校行くのか?」

「あっ……」


 忙しく動いていた手はフリーズ。

 恥ずかさのあまり、健二の顔が火照った。


「今、何時かわかるか?」

「今か? えぇっと、七時十五分だ」

「腕時計ないくせにテキトーなこと言うなよ」

「俺の腹時計は電波時計より性格だっての! ってあれ?」


 冗談しか言わない大西を無視し、健二は急いで洗面器へ帰る。


「おいおい、俺の話し最後まで聞いてけよ!!」


 声が届くことはない。

 大西が声を発したころ、健二は既にうがいをしていたのだから。

 そのかわり、入れ替わりで明美が玄関から出てきた。


「勝っちゃん、時間大丈夫なの?」


 外面だけはアイドルみたいに綺麗だ。

 そう、外面だけは。


「あぁ、大丈夫です。まだ十五分ですから」

「んもう、相変わらず面白い子ね!」

「アハハハハ、そんなことないですよぉ」

「あれ、目腫れてるね。どうしたの?」

「あぁ、昨日姉に殴られたんですよ」

「ありゃ、言葉には気をつけないとね」

「へへへ。そうですね」


 絶えない笑顔と言葉は、健二の出発まで見事に繋がった。奥から人影が素早い動きで外に向かって来る。


「すまん、おまたせ。行こうぞ」

「へいよ、待ってました!!」


 寿司を注文された大将のような返事と、人懐っこい笑顔で大西は陽気に歩きだした。

 それに続く健二も、大西のテンションと歩調について行こうと追いかける。


「それじゃ、行ってくるわ」

「気をつけてねぇ」


 登校時の決まり文句によって、健二のスクールライフが再始動。


「ところでよ、お前宿題やったか?」


 朝の一番最初に出る話題は決まって、大西の気になっていたものから始まる。

 彼の頭の中は、おそらく多すぎて放棄した終わっていない宿題のことで満ちている。


「宿題ね、そりゃやってるよ」

「マジで?! 偉すぎかよお前!」


 彼の「マジで?!」は家々の壁を反射し、青空のもとエコーする。


「理科の先生怖いじゃん。やっとかないとまたバケツ持って廊下立つことになるぞ?」

「あ、終わったわもう……」


 期待を裏切られた、絶望しきった面構えを見せる。目の下のクマがより一層目立つ。


「まあでも、人生終わったんじゃないんだから、大丈夫だよ」

「慰めるんじゃなくて、もっと良い待遇を期待しているんだがなぁ……」

「はぁ、なんのことやら」


 上目づかいの大西は、両手を握りしめ何かをねだっているように見える。


「お願いっ!! ノート見せて!」

「嫌だ」

「即答かよっ!!」


 大西は悲しみに浸る。

 親友だと思っていた相手から、宿題の写を許可されなかったのだ。


「くそぉっ!!」


 大西の固められた両手は解け、手刀の形へと一瞬にして変化。

 変化した手を高速で、かつ手加減をして健二のわき腹を何発にもおよび突き始める。


「朝から冷たいねぇこの霊媒師さんは! このこの!!」

「おい何してだよ」

「デュクシ」

「見たらわかる。やめろ」

「やめさせたいのなら、宿題見せろよ、ホトトギス」

「字余りひでぇないおい」

「つうことで見せろ」


 再度にこっと笑って見せる。

 鋼みたく固い健二の意思を貫くような。


「わかったよ……。見せればいいんだろ? 見せれば」

「おう、わかってんじゃん! さすがは我が友よ!」

「学校で見せるよ」

「よっしゃぁ!」


 大西のガッツポーズで、健二の若干やこわばっていた顔が一気に緩んだ。


 しかし自体が一変。

 健二の前で、真っ黒くて形容しがたい何かが横を通っていく。

 二人のたわいもない会話に水を差すようにして。


「なんだあれ、気持ち悪い」

「なんかいたのか?」


 形容しがたい何かは、ハエのような小動物が規則正しく無数に飛び交うことで構成されている。

 例えるなら、イワシが群れて大きい動物に見せかけるようにして泳ぐ、いわゆる魚群というやつだろう。


 ただ眼の前の黒い何かは明らかに人型をしている。

 人でいう胸部には、青白くぼやけた魂が一つ浮遊している。


 間違いない、悪霊だ。


「大西、先に行っててくれ」

「は、なんだよ急に」

「荷物、持ってってくれよ。カバンに宿題入ってるから」

「おいおい、理由ぐらい教えてくれよ」

「悪霊が出たからだよ。お前は先にいってくれ」

「空手でどうにかしてやんよ!」

「生身の人間が触れられるわけないだろ」


 論破する勢いでまくしたてると大西は黙り込んだ。

 数秒して状況を納得したのか、健二の鞄を持ってその場から立ち去った。


「写し、頑張ってくれっかな」


 小声で一言つぶやき、悪霊の曲がった方へ同じように曲がる。


「誰か、いるのか?」


 角の向こうでは、先ほど遭遇した黒い集団が健二を待ち伏せるように浮遊している。

 健二の質問に応答することなく、暗黒の浮遊物体は八の字を描いて飛びまわっている。


 この世のものとはとても思えない。

 思いたくない。


「そっちから来ないのなら、こっちから行ってやんよ!」


 健二はポケットから数珠を取り出すと、右手にひっかけ合掌しだす。

 すると、健二の周りには異質なオーラが湧きだし、同時に背中からはキツネを象る大きな刺青が浮上。


 悪霊は舞いを止め、儀式をしている健二へ興味を示す。


「大地を揺るがせ! いでよ三尾の狐! [マナト]」


 浮かび上がっている刺青から、巨大な藍色の光塊が健二から抜き取られるように出現。

 光の塊はみるみる肥大化し、周りに膜が形成。


 バンッ!!!


 膜は破裂音をたて跡形もなく散る。

 代わりに中からは、あまりにもでかく煌びやかな妖狐が降臨した。


 黄色く染まった体毛。

 毛並みは顔から始まり、足の先までくまなく、異常なまでにつややかで眩しい朝日を鏡のように反射している。

 凛とした立ち振る舞いなのに加え、青白い眼光は真っすぐで誠実。


 尻から伸びる三本の長い尾は鞭のようにしなり、コンクリート以上の強固さを保持している。


 どこをとっても欠点の一つも見当たらない外観をもつこの狐こそ、健二のBランク守護精霊[三尾のマナト]である。


 召喚されたマナトは、早速この空間に漂うおぞましいオーラに気付いた模様。

 悪霊の興味は、健二からマナトに移り身を乗り出すように見ている……ように見受けられる。

 対してマナトも、悪霊からの邪悪な空気に対抗するが如く四つ足を踏み込む。


 歯茎に並ぶたくさんの犬歯をあけ、誠実と謳われた眼光も一変。

 あからさまな敵意と鋭利な尾の先を悪霊へ向け睨んでいる。

 三本にまたがる尾も、クジャクが持つ羽のごとく逆立ち。


 マナトの効果的な威嚇により、悪霊は少しおののく。


「イケるのか、マナト?」


 主の声に反応したマナトは後ろを向き、こっくりと頷いた。


「よし、行って来い!!」


 健二の右手に握りしめられている数珠は大きく振りまわされている。

 その一連の動作を確認し、マナトは悪霊へ稲妻の如く進撃する。

 対抗するように悪霊もマナトめがけ一直線に奇襲をかけに来た。


 黒くて若干ぼやけているが人並みの大きさを持つ拳が形成されている。

 固めた拳はマナトの頬めがけて降りおろされた。


 一方のマナトも三本からなる尾を一束にまとめ、刃と化した尾をもってして、青白く光る人魂に向かって力強く投げだす。


 両者の攻撃は狙いとして定めた部位にあたらず。むしろ、互いの攻撃手段に激突したのだった。


 生物の垣根を超えた衝撃は健二を襲う。

 家を吹き飛ばせるほどの破壊力を持った余波。

 足元、いや体全体が振動し、自立することを許されない。

 押さえつけられるようにして健二は地べたに手をついた。


 余波はしばらくして止み、両者は地へ降り立った。


 衝撃で吹き飛んでいたはずの屋根も、嘘だったかのようにして無傷になっている。

 散々なまでに荒れて地盤沈下を起こしたコンクリートも、クレーター一つ無ければ落ちた形跡もない。

 家と家の仕切りとしての塀も、地ならしで崩壊し役目を果たさなくなっていたのに。

 今では植物のように生えてきている。


 これが霊同士のバトルの特徴だ。

 全ての惨事が嘘だったかのように終わる。


 戦慄しきった空気の中、再びにらみ合う両者。

 お互いの力量がわかり、戦ってはいけないと本能的に悟ったか一切動かない上に隙を見せない。

 かといって敵に対し、背を向けることもない。


 背を向ければ一撃にして沈む。

 それすら理解したうえでの試し打ちだったのかもしれない。


 固唾を飲む。

 誰一人動くことがない。

 しかしながらどちらかがやらなければ終わらない。


 余波で飛び、コンクリートに落ちた数珠を健二は拾うと、再びマナトに振りおろした。

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