一章 壊れた世界と健二
一話 悪夢の先の朝
「っっへぇっくしょん!!」
くしゃみから始まった五月四日。
優しく包んでいたはずの薄い布団は、夜中蹴られてそのままになっている。
着ていたパジャマも、ところどころ乱れており、寝ている健二に寒気を覚えさせた。
悪寒の一番の要因は、きっとおなかを出して寝ていたことだろう。
「もう、朝か……」
寝返りによって殴り飛ばされたデジタル目覚まし時計を確認すると、時計には数字で六時五十九分と書かれていた。
秒をカウントするデジタルチックな数字は、刻一刻と五十九に向かって数値を増していく。
「はぁ、支度しねぇと」
寝ていたベッドに時計を置き、勢いよく起き上がった。
その時
ジリジリジリジリジリ!!!!
「ジリジリジリジリジリ!!!!」
けたたましく鳴る時計のアラームが健二の部屋全体にとどろく。
そしてもうひとつ。
けたたましく鳴り響いたのは、時計のアラームだけではなかった。
タイミングを見計らったかのようにして、何者かが健二の安眠を乱入してきた。
「なんだよだれ?ママン?」
残念ながら、乱入者は彼の言うママンではなかった。
朝から元気な、期待はずれな胸のさみしいポニテ小娘が時計のアラームと音程を合わせ叫びながら健二の部屋へ何の許可もなく入ってきたのだ。
健二の三歳下の妹、
騒々しい朝がやってきた瞬間が、今日もこうして訪れた。
健二の三歳下の妹、
騒々しい朝がやってきた瞬間が、今日もこうして訪れた。
「るっっせぇよ!!! もう起きとるわっ!!!」
目覚まし時計を怜奈に投げつけると、妹アラームも時計のアラームも一瞬にして鳴りやんだ。
朝七時の内田家に、静寂が再来。
口を開かなければ、ただの清楚そうなかわいい人で済むのに……。
玉に瑕とは、怜奈にピッタリな言葉だと言えよう。
彼女らの行動は、実に近所迷惑極まりない。
「ったく。朝からこんなバカなことして……。
それも毎日毎日。
お前ももう中二なんだから、もう少し落ち着いたらどうだ?」
珍しく静かになっていた怜奈は、また口を開き大声で反抗しだず。
「だって健二兄ちゃんが目覚まし投げてくるんだもん!!」
「ちげぇよ、それ以前に何なんだその恰好は」
床に落ちた目覚ましをベッドに戻し、健二は再度怜奈を睨みつける。
彼がキレたくなる理由もよくわかる。
深夜テンションを朝まで持ち越した中学二年の妹が、七時のアラームと合唱して兄を起こしに来たのだ。
そんなあほ面を下げた存在が、世界のどこを探しても見つからないだろう。間違いなく。
「はぁ……。ホント、お前にはあきれるぜ」
「バカにしないでよ!!」
「もう下降りっから、さっさと着替えて学校行け」
怜奈の頭に乗った黄色いシュシュを手早くひったくり、健二は自室を後にした。
「んもう、朝から不機嫌だなぁ」
一方の怜奈は、ふくれっ面のまま健二の部屋を出ようとした。
立ち上がり、後ろ姿の健二へ目をやると立とうとするはずだった足は急に止まり、持っていたヒトデの枕が手から滑り落ちた。
何かひどい夢でも見たような、こわばった表情へと変容。
時が止まったようにして動かない妹を無視し、自分の心霊現象も露知らず、健二は階段を一段一段降りて言った。
何を隠そう。
健二の捲りあがったジャージから覗かれる背中には、血濡れた手で押された跡が焼印のようにくっきりと残っていたのだ。
誰がやったかすら検討もつかないほど、その跡は健二の背を覆うようにへばりついている。
なぜだかそれは、彼の腹にも同じようになっている。
ただ、健二にその自覚があるはずもなく。
一晩さらけ出していた腹回りが少し寒い程度にしか思っていない。
自分の体を気にもとめず捲りあがったジャージを元に戻し、健二はリビングへ降りる。
ダイニングテーブルには父親の
対する健二の座る席には、白いご飯が二きれ程度とコーヒーが一杯だけ。
「おはよう、おやじ」
「んん、おあおう」
飯を口に入れて喋る父親の顔は、朝日に負けぬまぶしい笑顔で健二を覗く。
「んん……」
「どうしたんだ? 朝ご飯、いらんのか?」
ダイニングテーブルの端と端に座る親子。
仲がいい、とはとても言えないが悪くもない。
出された朝飯を前に、健二の箸と手は席に座って一分経った今も動くことは無い。
別に飯がカピカピで食品サンプルみたいになってるとか、朝から空気にならないほどのゲテモノや苦手なものがある、というわけではなく。
単に食べる気力が起きない。
低血圧で食えない。
それだけのことだ。
されど朝飯を入れられないのは、かなりの重症だ。
「飯、もらうな?」
「え?」
時すでに遅し。
聞き返し洋介と目を合わせた頃には、健二の食べる予定だった茶碗が握られている。
ものの二秒もしないうちに、猫の餌程しかなかったご飯はすべて、洋介の体内へと流れていった。
「子供はしっかり食べないと大きくならんぞ?」
「いやいや、言動一致してないぞ?」
「ハハハハハ」
「いや、笑ってごまかすなよ」
何事もなかったかのように、箸と茶碗の重なる音がなり続く。
急いでいるのか、洋介はかき集めるように朝飯を吸収している。
「は、早いな……」
「そりゃ勿論、仕事があるからな!」
洋介は二ヤリと笑い、胸に付けているバッジを健二に見せつけた。
彼にとっての誇り。
それは同時に、世の中の秩序を表すものである。
人呼んで『
健二はカバンについている同じデザインのマイバッジを確認する。
彼もまた、組織の端くれ者ではあるが一員だ。
「大変だな」
「んまぁな。へへっ」
人ごとのように喋る健二だが、健二にももちろん仕事はある。
ただ、学生だからか生死にかかわる捜査には呼ばれず、かかわることも禁止されている。
喋る話題が無くなったため、健二はそばにあったテレビのリモコンでテレビをつけた。
数秒もしないうちについたテレビは、連日騒ぎとなっている普天間の連続殺人事件を報道している。
液晶に映る事件現場は、何度も放送されている刑事と、うじゃうしゃ動く鑑識の、困り果てた顔
蜘蛛の巣のように張り巡らされた黄色い帯、
事件現場を囲うブルーシート、
何を示すか未だにわからない番号札がちりばめられていた。
しかし健二と洋介は知っている。
これがタダの連続殺人事件ではないと。
同時に警察が、なんの役にも立たないことを。
「これの捜査すんのか、おやじ」
「もちろんだ。俺と俺の
分厚い胸をぽんと叩き、自分で自分に鼓舞する。
「おまえも頑張れよ」
「言われなくてもやるよ」
ふてぶてしく振る舞い、健二は残った熱々のコーヒーを一気に流し込む。
多少のやけどを恐れずに。
「んじゃ、もう行くか」
時計を確認する洋介は、椅子にかけていた橙のトレンチコートをまとい、少し急ぎ目にリビングを後にした。
それを追いかけるようにして、健二はコーヒーを持ったまま玄関へ向かった。
二秒程度しか出遅れていなかったはずなのに
健二が玄関に辿りつくころにもう、洋介は立派な革靴に足を突っ込んでいた。
「おやじ………」
「ん? どうした健二」
入念に磨かれた自慢の焦げ茶革靴を履き終え、洋介は健二のほうを向く。
能天気な洋介に対し、健二は日々不安を抱えている。
彼自身もわかっているのだ。
自分の父親は、組織の幹部であることぐらい。
けれど、父の肩書きが本当に事実なのかと自分や周りの記憶を疑って仕方がない。
なんせ洋介は仕事終わりで疲れているはずなのにその素振りを一切見せることなく、それも毎日口が裂けるほどの笑顔をして家と組織を行き来しているのだから。
「死ぬなよ。頼むから」
「なぁにバカなこと言ってんだ。今生の別れってか? お父さんが死ぬわけないだろ?」
洋介は、笑顔を崩すことなくロケットのように家を飛び出した。
大人なのにスキップをして行く父親の背に、なんとなく不安を隠せない。
「はぁ、ホント大丈夫かなぁあの人は……」
頭を抱える息子の方にそっと手を置いた母、
それは同時に、自分を落ち着かせる行動だったのかもしれない。
「健ちゃん、あなたもそろそろ出ないと、まずいんじゃない?」
「えぇ、あぁ。たしかに……」
空返事の健二は、どこにも焦点が合わない。健二の足は、手は一向に動く気配がない。
朝起きてから、未だにジャージ姿。
今日だけこのワンシーンで何故か酷く、深く考え込んでいる。
「ほらぁ、早くいかないと、遅刻しちゃうよ?」
息子を気遣う態度からか、明美は健二の制服を部屋から回収し健二のそばに置いていった。
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