031 - 失敗
無数のコード類に囲まれた地下室で、動く人影が一つあった。
その人影は慌てず、されど的確に無駄のない所作で仕事をこなしている。実験自体は既に終わっているため、今行っている仕事のほとんどは後片付けだ。
彼女以外に動くものはいない。地下室には、FHIを含め実験に使用したものが点在するばかりだった。FHIは、その外殻となるケースが開かれている。以前ケイト達が目にした通り、液体で満たされた透明なケースに、膝を抱えたヅィーの遺体が漂っていた。
建物内の他の部屋と同様、地下室の光源も少なく、光は部屋の隅まで届かない。
それでも、彼女の歩みには迷いも躓きもない。どこに何がどのように配置されているか、それら全てを把握しているように滑らかに移動する。
彼女がFHIに近づく。
地下室で一番光量の大きいものが、外殻が四方に展開されたFHIだ。近づいた彼女の顔を、緑色の光が照らす。
人影の正体、カリナの顔が、白緑の色に染まった。
下から照らされた彼女の表情は、コードが蠢く地下室の雰囲気も相まって、いつもの冷徹さに加えて不気味さも感じさせるものとなっていた。
静かな時が流れる地下室に、外部からの物音が響く。地下室の扉が開かれる音だ。
「カリナ、スカラ達が来ました」
ファーストが静かに告げる。カリナが振り向き、両者の冷たい表情が向かい合う。
「分かりました。案内、ありがとうございます」
ファーストが開けた扉が閉まる前に、別の手が差し込まれる。
「やあ、カリナ。お邪魔するよ」
「ほわー! 何ですかここ! 不気味な部屋ですねー」
「少しは静かにできないのか、フィオナ」
博士たち三人が地下室に入ると、カリナは、全く同じ顔をした二人の『フィオナ』をちらりと見比べたが、何か言うことはなかった。
「出迎えられず、すみません。実験の後始末をしていたもので」
「いいんだよ、それくらい。こちらのファーストにも久しぶりに会えたことだしね」
ファースト、という呼称を聞いたカリナは、フィオナではなくファーストを見た。説明せずとも呼び名を理解してくれたらしい。
「早速ではありますが、ヅィーの人体物質がケイトさんに宿っている、という話は本当でしょうか?」
「そうだよ。ぼくの調査結果を信じてくれ」
「そうですか。ひとまず、それが正しいと仮定して、ケイトさんにお聞きしたいことが――」
「その前に、ちょっといいかい?」
博士が話を遮る。言い方は平常通り柔和なものだが、その目が、発声に含まれる僅かな違和感が、有無を言わせない圧力を地下室に充満させる。
「さっきまで、ここで『大事な実験』とやらをやってたんだよね? それも、わざわざファーストを呼び寄せてまで」
「ええ、そうです」
「そうか……。で、町長は無事なのかい?」
その場でケイトだけが息を呑んだ。先ほどファーストと交わした会話だけで、博士は実験の内容に予想を立てている。
「……何故、町長が実験に関係していると?」
「わざわざファーストを呼び出してまでの実験だ。今までの不正ブレスとは違うだろう。そして、ファーストの元となった『フィオナ』が第零次実験で関わっていた事といえば、『生きた人間の一部ブレス』だ。生きた人間を丸ごとブレスしてきた君たちがわざわざ一部だけブレスさせる理由を考えると、その実験対象は絞られる」
説明を続けながら、博士は白衣のポケットから四角い物体を取り出した。手の平ですっぽり包めるほどのサイズだ。博士はその物体を肩口まで掲げ、手を離した。物体は落ちることなく、空中に浮遊する。そして、淡く光りだした。どうやら光源となる携帯デバイスのようだ。数秒周囲を照らした弱い光は、ある一方向のみ強く照らす光に変わった。
照らされたその先には、二つの装置が存在していた。
その装置は液体で満たされた縦長のケースを中心として、コード類がいくつも繋がれている。ケースの中には人型の影が見える。正確に確認できる部位は、顔だけだ。
ケイトはケースの片方に浮かぶ人物の顔を確かめる。
その顔は、博士が予想した通り、町長のものだった。
「自分の娘を治療するため、危険を承知で実験体になったんだろう」
「ええ、その通りです」
「この実験の危険性は、町長に説明済みなんだろうね?」
「もちろんです。町長には第零次実験では全て失敗だったことを伝えてます。FHIにより、成功率が上がっているとも言いましたが」
「まあ、どちらも嘘じゃないだろうね」
博士はもう片方のケースに目を向ける。
十歳程度に見える少女の顔がそこにはあった。
「それで、実験は成功したのかい?」
「……いえ、失敗に終わりました」
「そうか……」
博士とカリナの会話が途切れた。
ケイトは、二つの装置を注視する。失敗に終わった実験対象の二人がそこにいる。
ケースのほとんどがコード類で覆われているため、顔しか見えず、容体は不明だ。
ケイトが問いただす。
「二人は無事なのか?」
「リサさんの方には、何も影響ございません」
「影響なしという結果は、治療という目的としては失敗だね。で、さっき僕も聞いたけど、町長の方は?」
「一命はとりとめています。ただ、身体の一部をブレスするという性質上、五体満足というわけにはいきませんでしたが」
カリナがとあるコマンドを発声した。
コマンドの実行内容は、リネットデータの海に深く潜るようになった今のケイトにも理解できた。
町長の身体を包み込むコード類を、生命維持に必要なもののみ残し、それ以外を整理させるものだ。
町長の周りのコード類が一つ、また一つと床の中に引いていく。
残るコードが両手で数えられる本数になった頃、動くものはなくなった。
透明なケースの中、町長の全身を確認することができる。
五体満足ではないと聞いていたが、ケイトの予想以上に損傷は激しいものだった。
後頭部、左腕、腹部、右足、それらの一部あるいは殆どが無くなっていた。
フィオナの小さな悲鳴が耳に届く。
仕事柄、遺体をよく目にするケイトも、あまり直視していたくない光景だ。
「これはまた、随分飲み込まれたようだね。意識は戻っているのかい?」
「いえ、まだです。ですが、もうすぐ戻りそうですよ。FHIがそう算出しています」
薄暗い地下室において、彼女の冷たくも青く澄んだ瞳は、揺るがなく輝いていた。
「スカラ、この実験については一旦よろしいですか? ヅィーの人体物質について、ケイトさんと話したいのですが」
「ああ、いいよ。遮ってすまなかったね。好きに話してくれ」
カリナが振り返る。冷淡な瞳に見つめられることに、ケイトは慣れてきていた。
「ケイトさん、あなたはヅィーという男について、その人物像をスカラから聞いていますよね?」
「ああ」
「そこで聞きたいのですが、あなたは、意識が自分以外の者に乗っ取られる、という感覚に陥った事はありますか?」
その発言の意図に、数舜で考えが及ぶ。
「それは、おれの中に宿るヅィーの人体物質が、おれを乗っ取った事があるか、という質問だよな?」
「そのように捉えていただいて構いません」
「複合人間としての副作用で、おれが理性を失ったことはある。正にここで、おれは獣のように暴れた。ただ、その時の様子を聞く限り、ヅィーの意識がおれの表層に現れた、という事ではないだろう。あんたは実際に目にしたんだから、納得するよな? あの時以外では、おれはいつもおれだった。誰かに乗っ取られた記憶はない」
「そうですか……」
そう呟くカリナの口からは、溜息と思われる微かな吐息が零れた。
彼女にしては珍しい、感情的な行為だ。
「ひどく残念そうだな。もしかして、ヅィーの意識がおれを乗っ取ったとしたら、今度こそブレスシステムの完全復旧をやらせようと企んでるのか?」
「いえ、そのような希望的観測は持っておりません。ヅィーの意識があなたに現れたところで、彼が私たちの行いに協力するとは到底思えませんので――」
――ピッ
その音が、ケイト達の会話を途切れさせた。
その場にいる誰もが、音の発信元に目を向ける。
身体の至るところが欠損した、その町長の目蓋が、ゆっくりと持ち上げられていく。
「リ……サ……」
かすれた声で、最愛の娘の名を呼ぶ。
町長の口はコードに繋がれたマスクで覆われており、その声は実験装置に備え付けられたスピーカーからケイト達に伝えられた。
「お目覚めですか、町長」
「カ……リナ……か……。実験は……リサは、どうなった……」
こちらの声は、町長に届いているらしい。町長とその秘書が会話する。
「残念ながら、実験は失敗に終わりました。依然、リサさんの意識は戻らないままです」
「……」
町長の目蓋は閉じられないまでも、実験の結果を聞いたその瞳は潤んだように見え、ひどく落ち込んでいるように思われた。
(液体で満たされたケースの中にいるのに、見間違えだろうか……)
ケイトの内心の問いに、答えられる者はいない。
「もう一度……もう一度、私を使って……実験をしてくれ」
「それは出来ません」
「なぜだ……」
町長に向かって歩きながら答えを返す。
「あなたは現在、かろうじて命を繋いでいる状態です。これ以上負荷が掛かった場合、間違いなく、あなたは命を落とします」
町長の目の前に、カリナが辿り着く。
町長秘書として、何度も歩み寄った距離だ。
カリナの冷酷な瞳が、町長が見下ろす。
「ご覧ください。これが、今のあなたの状態です」
ポケットから小さな鏡を取り出し、町長に向ける。町長が自分の身体を見つめる。
その口から笑いが漏れる。かすれた、自虐を帯びた小さな苦笑だ。
「ひどい有様だな。これが、今の私か……」
「そうです。ですから、これ以上の実験を行うことは出来ません」
「いや、実験は行うんだ」
町長の声が、力強いものに変わった。惨憺たる欠損部位を見せつけられても、彼の想いは変わらない。
「私はどうなろうと構わん。リサを、私の娘を助けてくれ。頼む、カリナ」
「……」
正に命を懸けた懇願だった。
静かな時が流れる。二人以外が音を立てることを、場の空気が禁じていた。
「……町長」
「……なんだ」
「娘さんとの思い出を、聞かせてくださいませんか?」
町長に向けられたカリナの表情が変わっていた。
そこには、先ほどまでの冷血さを感じさせない、穏やかな微笑みが浮かんでいた。
「町長とお話できる機会は、おそらくこれで最後でしょうから」
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