030 - 派生
不正ブレスが行われているビルの前に、三人は立っていた。
博士、ケイトは二度目。フィオナは初めて訪れる場所だ。
「スカラさん。何度聞いても、わたしには信じられないんですが……」
「何がだい?」
「不正ブレスを行っている本拠地に! それを調査しているわたし達が! 何でこうも大胆に踏み込めるんですか⁉」
今更ながら同意見だと、ケイトは思う。
「だから説明したじゃないか。カリナは根っからの面白いこと好きでね。あのヅィーの人体物質がケイトに宿っているって聞いたら、大喜びで招待してくれたよ」
「カリナさんが喜んでいる姿なんて、想像つきませんー!」
フィオナの騒がしい疑問も何のその、博士はビルの扉に手を掛け、悠然と中に入っていく。それを見て慌てた様子のフィオナが続き、最後にケイトがビルに入る。
以前来た時と同様、ビルの内部は光源が少なく暗かった。
建物に入ったばかりの位置では、中に誰がいるのか把握することが出来ない。
迷路のような建物のため、迂闊に歩き回ることも出来ない。
以前と同様、カリナが奥から現れるものだと思い、ケイト達は黙って立っていた。
しかし、数分経っても誰も現れない。
「……いつまでこうしてればいいんですか、スカラさん?」
「うーん、前はカリナが迎えに出てきてくれたんだけどねぇ」
「誰もいないって事はないよな。そもそも博士、約束の日は今日でいいんだよな?」
博士は念のため携帯デバイスを展開し、先日の通話ログから自動設定された今日のスケジュールを確認する。
「いや、今日で合ってるはずだよ」
「カリナさん、今日会う約束を忘れちゃってるんですかねー?」
「彼女に限ってそれはないさ」
フィオナと違うんだからと口にし、それを聞いた当人が怒った。
プンプンという擬音が似合う怒り方だ。
ケイトは改めて、見た目以上に幼稚なフィオナが、あの第零次実験に関わっていたとは信じ難いと思った。ここ数日の会話を聞く限り、リネットの技術的な話にもついていけていない。難しい話をしているときにフィオナを見ると、上の空であった。
(駄目だ。今はフィオナについて考えている場合じゃない。不正ブレスの本拠地だぞ。それを忘れるな)
ケイトは本題から逸れていた思考を一度中断し、目の前の現実に標準を合わせる。
「博士、カリナが用事を忘れるとは、おれも思えない。出てこないとしても、この建物内にはいるんじゃないのか? 呼び出してみた方が早いだろ」
「それもそうだ」
博士は手にしていた携帯デバイスを耳元に当てた。カリナを呼び出しているようだ。
そのまま十秒ほど経ち、首を横に振って見せた。
「駄目だ、通じない。通話が出来ない場所にいるみたいだね」
「そうか……困ったな」
どうしようかと思案する男二人の傍で、少女が大声を上げる。
「カリナさーん! いらっしゃいませんかー! 今日会う約束をした、スカラさんと愉快な仲間たちですー! 約束をお忘れですかー⁉ 出てきてくださーい!」
博士とケイトの驚いた眼差しを受けて、フィオナは胸を張る。
「二人とも、何をのんびりしてるんですか! 既に我々は敵の本拠地にいるんですよ! 機先を制してください!」
「ああ、フィオナにもそうゆう意識はあったんだな。何か安心したよ」
ケイトの言葉に、ムッとした表情をフィオナは返し、何か言い返そうと口を開きかける。
その文句が言葉に出る前に、部屋の奥から何かが現れる気配を感じた。
ようやくカリナが姿を現すと思った三人だが、陰から現れた人物を見て硬直する。
その人物はカリナではなかった。
しかし、その顔は覚えのない人物でもない。
背格好もよく見知ったものだ。
その人物は、フィオナと同じ姿をしていた。
三人は、目の前に現れた人物から目を離せない。
あどけなさを残した幼い顔がこちらを見返したまま、こちらに向かって歩いてくる。
三人と少女の間が五歩ほどになった位置で、歩みは止まった。
「ようこそ」
そう言った少女の表情は、冷たいものだ。顔の作りは毎日見るものだが、そのような表情はフィオナには見たことがない。
ケイトは何も言葉が浮かんでこない。疑問はあるが、それを言葉に変換することが出来ずにいた。
傍らのフィオナも無言、目の前の少女も無言のまま。
寸刻を経て、博士が口を開く。
「やあ、久しぶり、だよね? 元気にやってるかい?」
「ええ」
「この町に来てるとは知らなかった。こんな所で会うなんて驚いたよ。いつ来たんだい?」
「昨日です」
少女は簡素な返事のみを返す。やり取りを聞く限り、フィオナと同じ顔をした少女と博士は知り合いのようだ。
フィオナと同じ体躯、顔を持つ少女。双子だとしても、違いがあまりに無い。少なくとも、ケイトが目視する限り、表情と服装以外の違いは見られない。
ここまで精密に同じ二人、そして博士の知り合いだとすれば――。
(第零次実験絡み、と考えていいよな……?)
フィオナ自身が第零次実験からの関係者だ。
(それに、初めて会った日にフィオナは言っていた。『自分を実験体にした』と)
不老不死に関する実験だと言っていたか。フィオナとの会話を思い出している間に、博士と少女は会話を進めていく。
「カリナと会う約束してたんだけど、どこにいるか知らないかい? 連絡取ろうとしたんだけど、どうも繋がらない場所にいるらしくてね」
「カリナなら――」
少女はすっと腕を上げ、手で方向を指す。その手が指す場所は、下だった。
「地下にいます。先ほど、大事な実験を終えたばかりですので」
「大事な実験……?」
博士が疑問を口にするが、ケイトはもう一つの疑問で頭が満たされている。
「博士、彼女はいったい……?」
「ああ、ケイトには説明しないとだね。彼女はリネット関係者だ。第零次実験の頃からの」
チラリとフィオナに目を向ける。
「予想ついてるだろうけど、そこにいるフィオナと大いに関係がある」
ケイトは一度、頷く。
「だろうな。知りたいのは、どう関係しているかだ」
「うん、そうだよね。彼女はね、ええと……」
博士が言い淀んでいると、静かに口を閉ざしていた彼女が説明を継いだ。
「スカラ。私が答えましょう」
「ああ、任せるよ。君たち二人とも『フィオナ』って名前だから、説明しにくくてね」
同じ名前。ということは――。
「私とそこのフィオナは、元は同じ個体から派生した実験体です。フィオナという名前は、元の個体から引き継いだものです。ここでは分かりやすく、ファースト・セカンドと名乗りましょうか」
私がファーストで、そこのフィオナがセカンドです。そう、ファーストは言った。
「セカンドから、実験について何か聞いていますか?」
「自分を実験体とした不老不死の実験、とは聞いている。その実験は成功しなかったけど、副作用で老いにくい身体となった……くらいしか」
「そうですか。不老不死の実験とは少し違うのですが、ここでは説明を省きます。ある目的のため、元の個体である『フィオナ』は自分の身体を派生させ、複数の人間を造り出しました。最初に私が、次に彼女が生まれました」
だから君がファーストか、とケイトは納得する。
「『フィオナ』が有していた技術者としての知識やスキルは、私の方に引き継がれました。技術者として、セカンドは絞りかすのような知能しか持っていません」
セカンドと呼ばれた傍らの少女を見る。ファーストと名乗った少女から視線を外さず、珍しく険しい顔をしているが、何も言葉を発しない。
「私達は普段別々の仕事をしているので、こうして顔を合わせる事は稀です。私が今ここにいる理由は、とある仕事のためです。いつもは御上の根城で仕事をしています」
御上という単語を耳にし、ケイトは視線をファーストに戻した。
ブレスシステムの開発を主導したのは御上だ。生きた人間も己の意図のままブレスしようと画策し、システム開発に失敗した今なお不正ブレスに関与する連中。
ケイトは己が内に湧き上がるものを感じた。それが口に出そうになる。
しかし、博士の疑問が先に出た。
「君の仕事は、先ほどの『大事な実験』とやらの事かい?」
「ええ、そうですよ」
ふむ、と頷く博士の頭の中では、先ほど聞いた内容が反芻されていた。
地下、大事な実験、そして、御上の根城からわざわざ訪れた彼女。
推測する結論は一つだ。
「一応、この場では君の事をこう呼ぶよ、ファースト。至急、ぼく達を地下に、カリナの元に連れて行ってくれ」
「……いいですよ。カリナからも、要望があれば連れて行くよう言付かっていますので」
そう言ったファーストは、踵を返し、一人先に歩き出し、博士は即座に続いていく。
遅れまいとケイトは慌てて追いかけようとしたが、傍らの少女が動き出さない事に気付いた。
「フィオナ……?」
彼女は、先ほどと同じく険しい表情を保ったまま、ファーストを睨みつけていた。
(……絞りかす、とかこき下ろされてたもんな)
フィオナの頭に手を乗せ、ぎこちない所作ながら優しく撫でた。
「ファーストとやらの言葉は気にするな、フィオナ。少なくとも、おれはお前の明るさのお陰で、何度も救われた」
フィオナがこちらに向かって顔を上げる。その顔から険しさは消え、疑問を浮かべる表情に変わっていた。
「はあ、よく分かりませんが、今わたし慰められてます? 一応言っておきます。ありがとうございます?」
フィオナはファーストに視線を戻して呟く。
「私、ファーストのこと嫌いなんですよねー。ほら、私と違って、ものすごーく暗いじゃないですか。同じ個体から派生した人間とはいえ、あまり関わりたくないんですよねー」
ケイトは撫でていた手をチョップに変えた。
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