3ココネの家には女神がいる。
※
ココネは夜になった街を、ひとりで歩いていた。
夕方から始めた
ココネはひとりで歩いている。図書館によったり、カフェによったり、とにかくいつもの生活をするように、ブラブラしている。
バス通りではひときわ目をひくレンタルショップを横目にすると、地味カワアイドル「カノリン」のライブ映像が流れていた。ココネも着メロにしている、最近流行りのアイドルだ。
カノリンはライブでも、かなり地味な格好をしていた。キャッチフレーズは、「アイドルだけど一般目線」。カノリンの熱烈なファンは「
ココネは分類すると下層民派で、カノリンにはずっと地味系でいてほしいと思っていた。「特別不要。派手さは不浄。わたしはわたしだ、普通で
ココネはカノリンの歌詞をくちずさんだ。特別じゃなくてもいいから、普通に生きたいと、強く思っているからだ。
ココネは夜空を見あげた。上空には
そして、あれが見え始めたのがいつだったか、よく思いだせない。
なんか空に浮いているなと思ったのが最初だ。変わった雲にも見えた。でもその存在を強く意識したことはない。バイトも始めたし、テストは定期的にあって待ってはくれない。遊びだってしたい。だから、空をゆっくり見あげることはしなかった。
今回の事件がなければ、ずっとそうだったに違いない。大切な日常をあますことなく
いまは逆に意識しなければならない。アレのせいにして、なんとか平静をたもつ。そうしなければわたしは、叫びながら逃げだすだろう。
特別を望んでいない自分である。普通がなによりも大事だという考えは、おそらく両親から教わったものだ。毎日毎日、あきることなく豆腐をつくり、それを売る。苦労だってある。でもいつも笑顔で、楽しんでいる。それは普通だからできるのであって、わけのわからないモノが見える異常のなかでは、きっと叶わない。
ココネはバス通りを歩きながら、そんなことを考えていた。できることなら普通に戻りたい。
動きやすいようにはきかえたジーンズのポケットから、一枚の紙をだす。小さなメモの切れはしには、ココネが移動する順路が書かれていた。
このまま直進し、スーパーをこえて右折。ウィーヴのあった裏道よりも、もっとさきの道だ。それはココネの通学路で、毎日のように使っている道だった。つまりブキミウサギの活動範囲で、ココネは生活していたことになる。
では、なぜ襲われたのがいまなのだろう? その疑問にソフラは、飢餓が関係していると答えた。
(ま、説明されてもいまいちだったけど、とにかくお腹が空きすぎて、なんでも食べたいって気持ちが強くなった、とかなんとか…それが体じゃなくて魂の性質に起こるから、アニミスも
言葉は覚えているが、意味となると
いろんなことを考えながら歩いていると、スーパーをこえた。ココネの通学路まで、あと二百メートルくらい。
自然と緊張してくるが、どこかでソフラが見ていることを知っている。だからココネは勇気をもって進むことができた。
脳内にはカノリンの曲がいくつも流れた。とにかく普通の日常に帰りたい気持ちが強かった。
ついに、通学路にたどりつく。バス通りからそれると、
歩いているのはココネひとりではない。出勤から帰宅するサラリーマンや、学生の姿も見える。
(ただ家に帰るだけ。そう思えば大丈夫…)
平静をよそおうために、自分をだましながら進む。いつもの通学路だったはずだが、いつもなら気にならないのだが、暗闇のひとつひとつが、なんだか恐ろしく感じる。
…ブキミウサギはいつ襲ってくるだろう。昨夜の公園が見え始めると、ココネの手はかすかに震え始めていた。
※
ソフラ・イヴォンは、月光を背にウチカドココネを
白を
ソフラの表情は、いつものように
「殺すことになる…できるだけ
ココネを守るために、全力をだす必要がある。飢餓による魔力の暴走をとめるためには、存在ごと消すほかない。
迷いは敗北をまねく。持てる力をすべてだす必要がある。敗北はココネの死を意味する。それだけは許さない。
「これで最後になるかもしれませんね…ソヨギさま…」
ソヨギを想った瞬間、ソフラの表情はふだんの彼女に戻っていた。
しかしすぐに険しく歪む。覚悟の
「勝たなければならない。ですがそれは…」
神の
「…わたしは、ひとを守る役目を果たします。ソヨギさま…!」
ソフラは、
※
やはり、公園だった。
「逃げるなニゲルナ逃げルナァァァァ…!」
「に…逃げるわよ!」
公園に入りすぐ、背後から声がした。
振り返れば紳士風のウサギがいた。絶叫し、逃げた。
ココネは昨夜の自販機を、横目にしながら走った。背後を見れば、ブキミウサギはヨダレをたらしながら追ってきていた。
昨夜のように世界は暗くならなかった。ブキミウサギが正常な状態ならば、
(してこないってことは一番アブナイ!)
ということも説明された。
ココネは公衆トイレを通りすぎ、すぐに曲がる。角に隠れるようにし、お尻のポケットからスプレーを取りだした。
ブキミウサギはすぐに追いついてきた。食欲に狂った
「はっ…ぐあっ! ナんだコレはぁぁぁぁっ!」
「
この攻撃はココネの考えだった。罪のないタートス親子を傷つけたやつに、一発かましてやりたかった。
だから、それですぐ逃げる。ブキミウサギは顔を
と、ドオンッ! という
ズザァッとヘッドスライディングのように砂地に転ぶ。そのすぐ近くを高速の物体が通りすぎ、いちょう並木の一本を、真んなかからぶち折った。
ココネはすぐにたとうとしたが、できなかった。なれないアクションで足をやったらしい。振り向くと、ブキミウサギがゆっくりと歩いてきていた。
「ニゲげ…逃げナイ…ニゲナイ、の…でスカ…タベマスよ? 食べ…て、かかか解放…」
「あんたなんか――!」
ココネは寝そべったまま、体の正面だけは向けて、叫んだ――負けない!
「あんたみたいなやつは、豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえっての!」
「な…んのハナシでししししし…」
――ゴガァンッ!
…紫の雷撃が、ブキミウサギの脳天に直撃する。それはブキミウサギの全身を貫いて、消えた。ブスブスという煙をあげながら、ブキミウサギは白眼を
スタッ――と、ココネとブキミウサギのあいだに、
「やったねソフラさん!」
「…いえ、まだです。軽い技ではとめられない状態にまで、魔力が
ソフラがくちにしたとおり、ブキミウサギは意識をとり戻したようだ。白かった眼には、
ついで、ブキミウサギの体を包むように、なにか黒い
その黒い湯気の正体は魔力である。体内にあるべき魔力が、外へと
「は…ハハッ!」
ブキミウサギは硬直からたちなおると、ひきつった笑みをソフラへ向ける。そしてゆっくりとした動作で、杖を真横にかまえた。
「ジャマ…だっ!」
ブキミウサギは走り、杖を引き抜いた。あらわれた刀身が、ソフラに向かって振りあげられる。
ココネは目をおおいかけたが、キィィィィン…という、金属がぶつかりあう音が
ソフラはいつのまにか、
「事前にそれを見せたのは失敗でしたね」
「ピョピョッ…タノシマセテくれるじゃないですかっ!」
と、ブキミウサギは一歩
そしてココネはそれからの攻防を、見ていることができなくなった。
速すぎるのだ。ふたりが移動する
ココネは危険を
ココネは近くのいちょうの木に隠れるようにして、その戦いを見守った。自分でもなにかできないかと思って痴漢撃退用スプレーなんて持ってきたが、どうやらそもそもが別世界の、違う次元の話なのだ。ただのニンゲンにできることはなにもなかった。
いつまで続くのだろうと思われたふたりの戦闘は、ブキミウサギの限界で終わろうとしていた。仕込み杖が、ソフラの
金属がひしゃげ、キィン! とひとつ、かん高い音がした。折れた
「剣での戦いを
「ウルサ…イ!」
ソフラの
「ピョオォォォォォォ!」
ブキミウサギの
ココネはその魔力に――なまじ見えるものだから、
ソフラはどこか悲しそうに、その光景を見ていた。ソフラの
「…そうなってしまったのは、わたしの責任です。わたしがもっと、優秀な女神であるならば、あなたの
ソフラの言葉の意味は理解できなかったが、彼女はやはりどこか、悲しそうだった。
「わたしができることはただひとつ…」
ソフラは剣を深くかまえた。腰を落とし、やや腕を後方にさげる。そして剣のぼんやりとした光は、闇を切り裂くような発光へと変わる。
「あなたの魔力を完全に
「ピョアイオアガアァァァァァァ!ッ」
ブキミウサギは無茶苦茶な絶叫を発しながら、飛びかかる姿勢になる。
ココネが戦闘機のエンジンに似た爆音から耳を守るのと、ブキミウサギの超高速の突進――
ゴガァンッ! と、それこそ落雷でもあったような轟音に、ココネのふさいだはずの耳がしびれ、その音の
見ると、ブキミウサギは完全に停止していた。ソフラの剣が、空中にいるブキミウサギを受けとめて、そこで一時停止ボタンを押したような光景である。
進む力と
そしてそのあいだに、ソフラの剣は変化した。ただの長剣が大剣ほどの大きさになり、したからブキミウサギを――ゴッ… ――音よりも早くブキミウサギが上空へ消え――…ガアァァァンッ! ソフラはそれを追いかけるように、上空に向けて超高速で飛翔した。
ココネは頭がついていかずに、遅まきながら夜空を見あげた。
月の
――と、カッ! という閃光が走り、黒い点と黒い点が
たとえようのない
爆風により、
ただ落下の最中にちらりと見えたのは、強烈な力になすすべがないブキミウサギの姿と、どこか見なれた白い立体長方形の姿だった。それはまあ、気のせいだったかもしれない。
ココネは暴風がやむと、痛む足を押さえながらグラウンドにむかった。
砂の霧がゆったりと流れていく。ココネは緑色の防護ネットのカーテンをあけて、グラウンドに入った。
あれだけの爆発があったにもかかわらず、
「ソフラさん!」
ココネは穴のふちから名前を呼んだ。砂の霧のせいで、ふたりの姿は見えなかった。
これだけの
「ココネさん」
穴の中心地からソフラの声がした。ココネは痛む足のせいで転びそうになりながらも、クレーターの傾斜をおりていく。
ソフラのところに着くまでには、砂の霧もだいぶ晴れていた。とりあえずソフラの姿が見えたので、ココネは自然と笑顔になっていた。
「ソフラさん、よかっ――」
――た。砂の霧が晴れ、ソフラの足もとに転がるブキミウサギを見たとき、ココネは足をとめていた。自然と笑顔がかたまった。けしてよかったとは言いきれない光景が、ココネのまえにあった。
ブキミウサギは手足を投げだし、完全に力つきていた。表情は白眼を
ソフラがゆっくりと歩いてきた。ココネはしかし、こと切れたブキミウサギから視線をはずせない。ソフラはただ、優しく話した。
「バーサークは、魔力高揚の限界の、直前にあります。無意識にあふれた魔力は
ソフラはどこかいいわけしているように感じた。いや、じっさい、そのつもりなのかもしれなかった。
いくらモンスターが相手とはいえ、死をあたえてしまう行為を、優しいソフラは
「そのために、こうするしかありませんでした。魔力の防御をうわまわる威力で、倒すしかなかったのです。ですがこれは、ココネさんのせいではありません。これは、わたしたちの世界では、
「でも…でもソフラさんが…」
ココネはなんだか悲しくなって、涙を流していた。
思うのはひとつ。なんでわたしは無力なんだろうか。なぜ自分のために、ソフラが傷つかなければならないのだろう。わたしが恐怖ときちんとむきあえるニンゲンだったなら、ブキミウサギだってこうならなくてよかったんじゃないか? 昨夜ソフラをひきとめなければ、終わっていたかもしれない。誰も傷つかずに、終わっていたかもしれない。
「ご…ごめんなさい…! ごめんなさい!」
「ココネさんが謝る必要はないのです。わたしがただ、
と、それは起きる。ちょうどソフラがココネを抱きしめようとした瞬間である。
ドオンッ! となにかが
ズザァ…と、停止する。そこはグラウンドのはじ。防護ネットの支柱に近い場所だった。
抱かれたまま見ると、ソフラが苦痛に顔を歪めていた。
「ぐ…! あぁ…!」
「ソフラさん! ソフラさん!」
「あ…くっ! 知らぬまに…
ソフラはこの状況のなかで、
ココネはしかし、ソフラの目を見て
「ソフラさんしっかりして!」
「なぜ…? わかっています…わたしはただ、恐れていたのです…」
「ソフラさん!!」
いくら呼びかけても、ソフラは
砂を踏む音が聞こえた。ざっざざっ…と、
ブキミウサギがクレーターを歩いてきていた。焦点のあわない目がふらふらとし、なにを見ているのかもわからない。開きっぱなしのくちからはヨダレをたらし、まえに進もうとして踏みだした足がナナメの位置を踏む。体がゆらゆらと揺れている――まるでクスリでおかしくなった
ココネの心を恐怖が支配して、ソフラを強くゆする。だがソフラは呆然と懺悔を続けた。
「ソフラさん! ソフラさん!」
「女神が恐れを抱くなど…あってはならないのです…わたしは…わたしは…」
そんな状態のソフラとブキミウサギを交互に見て、ココネはいますぐにでも
そしてココネはハッとした。この状況は昨夜、初めてブキミウサギに襲われたときと似ている。
だが、昨夜とは確実に違っている。昨夜は意味不明でパニックになりかけた。だが今日だけで、ずいぶんと異世界の知識も増えたのだ。
襲ってきているのは意味不明なモノではないのだ。魔力が
やつはなにを追っているか? それは自分と
やつはいま
ならまだ、できることはある!
「こっちよラビリオン!」
ココネは痛む足をひきずるようにして、できるだけソフラから離れるように走った。
ソフラは戦えなくなった。ならせめて、自分は
走りながらうしろを見ると、ブキミウサギは人形のような不自然な動きで、こちらに向いていた。どうやらうまく
(なにか、倒せる方法があるはずなんだ!)
ヒントはタートス属のメィカーだった。彼はブキミウサギを
そのどちらもが示すのは、物理的な攻撃が通用するということだ。ソフラのような魔法じみた攻撃は必要ない。あったほうがいいかもしれないが、ココネは普通のニンゲンだ。だから、やつを倒せる物理的な威力が必要なのだ。
だが具体的な案は浮かばない。突き落とす
ココネは逃げることに
ココネの足は早くなかった。振り返ると、ブキミウサギの歩調と、自分の走力に違いはあまりなかった。つかず離れず…しかしグラウンドからはまだ抜けられない。
(でもこれで、ソフラさんは助かる。最悪わたしが食べられても、ソフラさんは助かって、回復して、きっと倒す)
そんなことを考えていたからか、ココネの足はもつれた。派手に転び、だがすぐにたちあがる。食べられてしまうにしても、まだ早すぎる。もっと距離を稼いで、時間を稼いで、ソフラが確実に助かるようにしなくてはならない。
そうやって逃げていき、ついにはソフラのいる位置から反対側にまでたどり着いた。グラウンドに出入りするためのネットの切れ目は、
ココネは防護ネットを開き、外にでようとした。目のまえに見えているのは、公園からでられる階段である。
防護ネットからでると、すぐ横に自販機とベンチがあった。自販機は明るいが頼りない。と――
ガコン…という、ジュースが落ちた音がした――誰かが自販機で、飲み物を買っている。
ココネはそちらに気をとられ、そして思わず声をあげた。
「ソヨギさん!」
「…こんばんは」
そこにいたのは上下黒ジャージの、ソヨギだった。
※
「ソヨギさんどうして…」
「まあ…見てのとおりのジョガーです」
ジョガー? つまりジョギングをするひとである。
だがソヨギの姿はまるで、夜更かししてる中学生のようにしか見えなかった。しかもなぜか、お腹がぽっこりふくらんでいる。そうなると万引きしてきた中学生にしか見えなかった。
ココネはそこで背後を振りかえった。ブキミウサギが五メートルくらいの位置にいる。
「ソヨギさん! いま――ソフラさんが大変で…!」
ソヨギはわかったようなわからないような感じで、頭をポリポリとかいた。
「メガ美さんはいつも大変です…いろんな意味で。とくに内面が」
「そんな冗談いってる場合じゃないんです!」
ココネはブキミウサギを指さしてわめいた。ソヨギはつまらなそうにそっちを見て、ネットごしにブキミウサギに気づいたようだ。
「…ウサギコスプレイヤーが楽しそうですね。なによりです」
「と…とにかく! 助けてください! わたしじゃ、わたしじゃ…なんにもできなくて…!」
ココネの目から、うっすらと涙があふれた。なにもできないことが悔しくて、でもそんな場合じゃないとゴシゴシとこする。
ソヨギはなんだかあきれたように、また頭をかいた。どうやらそれはソヨギのクセみたいだったが、なにか感情を読みとれるものでもない。
「…とりあえず、メガ美さんどこです?」
「あっち! あっちです!」
ココネは指でソフラをしめしながら、できるだけ早く進んだ。ソヨギはジョガー中らしく、ほっほっとか言いながら小走りでついてきた。
ブキミウサギはふらふらと、ゾンビのように追いかけてくる。ソヨギとのやりとりのあいだにだいぶ距離が――!
「ソヨギさんあぶない!」
「…え?」
ソヨギがぽかんとする。ブキミウサギがソヨギのまうしろにいた。ブキミウサギは拳を、ソヨギに向かって振りあげた。そのままソヨギに振りおろす。
ココネはその一瞬のあいだに、さまざまな光景を思い浮かべた。ソフラとブキミウサギの戦い。あのニンゲン以上の力。ソヨギがブキミウサギの手で、あっけなく倒れる姿――が、
「へ?」
ブキミウサギの拳はソヨギを大きくはずれ、土の地面を打ちつけていた。ごん! と、打たれた地面がへこむ。ブキミウサギはその姿勢のままとまった。
ソヨギは、ふつうに小走りである。じゃっかん横に移動したようにも見えるが、さきほどとどういうふうに違っているのかは、まったくわからない。
(よけた?)
ココネが
「どうしました?」
「あ…いえ、いま…どうなったんですか?」
「なんのことだか…ところで足、ケガってます?」
「あ、はい。転んじゃって」
「じゃ、ちょいと失礼…遅いんで」
「へ?」
ココネはひょいと抱えられて、目を丸くした。
お姫さまだっこである。あのなんとなく
ソヨギはなんのてらいもなく、そのままほっほっと走りだした。
ココネのほうは、なかなか大変だった。べつに好きでもないし、むしろ嫌いなソヨギに対してドキドキする。クラスの男子のなかで、こんなふうに男らしく振る舞えるコがいるだろうか? そういえばソヨギは二十歳すぎくらいだったか。これがあれか、俗にいう大人の魅力なのか。うむ、なかなか悪くない。しかしなかなかガッシリした腕だな…む、ヤバいヤバい。男の魅力ってやつはヒジョーに心をみだす。わたしはまだいたいけなJKなのだ。てゆーかそんな場合じゃないし。ブキミウサギをどうにかしないといけないんだから…でもすごいな。わたしけっこう重いと思うんだけど、ひょいってしたよ、ひょいって。なるほど。たくましい男ってやつかこれが。ドキドキするなぁ――と、
「いったあぁぁぁぁい!」
「あ、ケガしてるほうでしたか…」
痛いほうの足からおろされ、ココネは叫んだ。痛すぎて、さっきとは違う涙を流す。いままでのドキドキとか返してほしいが、ソヨギはかがみ、ソフラを心配そうに覗きこんだ。それを見て、どうでもよくなる。
「メガ美さん…なんてヒドイ…」
ソヨギがソフラをそっと抱き起こした。ソフラはいまだに虚ろな目をして、ぶつぶつと誰かに許しを求めている。
「ブキミウサギにうしろからやられちゃって…でもわたしじゃなにも――」
「…目を開けたまま寝るんすね。しかも寝言がやたらネガティブ…いろいろヒドイ。これ、女性としては致命的ですよね…」
「違いますよ! ハートレイトにかかってるんです! ソフラさんに限ってそんな寝相はないです!」
「…え?」
「え? じゃなくて! なんでいちいちわかってるくせにわからない感じなんですか! ブキミウサギとか見ればだいたいわかりますよね、状況!」
ブキミウサギを見る。五十メートルほど離れているし、やつの歩みは遅い。ふらふらとしてるせいか、たまに転んだりもしていた。ただそんな状態でも近づいたりしたら、なにをされるかわかったものではない。
「はーとれいと?ああなるほど。あの真っ暗なやつか…じゃ、これで」
どれで? と、ココネがなるまえに、ソヨギはさきほど買ったのだろう、ペットボトルを手にした。開ける。
「それ、なんですか?」
「これはあれです…聖域である南アルプスから探してきた
「…ミネラルウォーターでいいです」
「そっすか。じゃあそれで…はい、メガ美さん。お水ですよー」
ソヨギは静かにペットボトルのくちを、ソフラがぶつぶつと動かす唇に近づけた。
――で、一気にガッと
「ごぶごばごべごぼお――」
「ちょちょちょちょソヨギさんっ!?」
「いい飲みっぷりです」
「飲めてないよだいたい出てるよぉぉぉ!」
「がぼがべご――ぶばはぁっ!」
ソヨギのアブナイ行為をとめようとしたそのとき、ソフラがだいたいの水を吐きだす――というか、くちにいれたぜんぶを吐きだした。
「げほっ! ごぼっ! おほっ…あ…あれ? ソヨギさま…?」
「…メガ美さん。アブナイところでした。いやマジで」
「アブナイのはソヨギさんでしょおっ! ソフラさんになにかあったらどーするんですかあっ!」
「まあ…とりあえず気づいたみたいなんで…」
ココネはソヨギをひっぺがすと、ソフラの両目をまじまじと見る。
「光が戻ってる。よかったソフラさん」
「あの、わたし、そうか…ハートレイトにかかっていたのですね? ソヨギさま、ありがとうございます。けほっ!」
「いえ…じゃ、そういうことで」
「ちょっと! どこいくんですか!」
ソヨギはうんしょとたちあがり、どこかにいこうとする。
それを追いかけようとする――しかし、ソフラの体がグラリと傾いた。すかさずそれを支える。
ソフラは回復したように見えるが、どこかまだ、調子が悪いようだった。
「ソフラさん大丈夫? たてない?」
「おそらく、ハメハちゃんが受けたハートレイトでしょう。体がしびれたような感覚です。まるで
「そっか。でもソヨギさんが抱えれば大丈夫だよね? ソヨギさ――!」
「ココネさん。あとはソヨギさまにまかせて…大丈夫ですから」
ココネはわからず、ニッコリとほほえむソフラを見つめた。
大丈夫――?
なにに対しての大丈夫、なのか。
ソフラは時間はかかるが回復する。そうすれば逃げられる。ソヨギは最初から問題なく逃げられる。ココネも逃げられる…ん? べつにソフラの回復を待たなくても、ソヨギが手伝ってくれさえすれば逃げられる。
ああ…だから大丈夫なのか…? いや、待て、ソヨギはどこにいったのだろう。
ココネはグラウンドの外のほうに、ソヨギの姿を探した。砂まみれのいちょう並木、その近くにある自販機、トイレ――どこにもいない。
まさかと思ってグラウンドを見る。しかし、ソヨギはいない。そのかわりにふらふらしたブキミウサギが、クレーターにおりていく姿が見えた。
イヤな予感がした。ブキミウサギの
それは、考えたくもなかった。
「ココネさん。もうしわけないのですが、たたせていただいても?」
「いいですけど…大丈夫って? まさか、ソヨギさんは…!?」
ソフラに手を貸してやりながら、ココネは自分もたちあがる。ソフラはただ静かに、微笑んでいた。
「ああ、やっぱり。たちあがればよく見えますね」
「まさかソヨギさん!?」
ソフラの視線を追っていくと、クレーターのなかにソヨギがいた。なんかストレッチ的な動きをしている。しかし、なぜかめんどくさそうである。
そのソヨギへと、ブキミウサギが歩いていた。クレーターの傾斜をふらふらと…そしてつまずき、砂煙をあげながらゴロゴロと転がった。
「だめ、とめないと! 相手はモンスターなんですよ。ニンゲンじゃ敵わないじゃないですか!」
「そうですね。でも大丈夫です」
「大丈夫じゃないです!」
「いいえ。大丈夫なのです。ソヨギさまは――」
ソフラはどこか、うっとりとした声音で言った。
「普通のニンゲンですが、普通ではないのです」
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