2ココネの家には女神がいる。


イソムラソヨギはマンホールからよいしょとでて、スーパーに向かった。裏路地をでて歩道を進む。スーパーにつく。入る。

「…いらっしゃいませー」

スーパーは基本的に店員の声がない。チャイムもない。だから自分で言うのだ。

カートにカゴをのせてお決まりの野菜コーナーをめぐる。冬は野菜が高いがキャベツがなぜか安かったりする。入れます。

根菜は安い。何種類か入れます。

海藻系は戻すやつを大量に買う。見切り品も見る。なんでこれが半額? うそ、白菜百円? 色が変わってるだけじゃん。水分抜けてないし入れます。

肉はあんましいらない。野菜系で責めればいいか? カメだし。あ、貝はあったほうがいいかな?

という感じで一周まわり、レジで会計する。ち、こんなところでエコバッグが役にたつか。あ、袋いらないんで。エコなんで。

「三千二百九十四円です」

はい…うわ、マジですか。一円がない? 気持ち悪いんですよね六円のツリとか。いま三円だから九円になりますよね? ケタがマックスになるじゃないすか。俺、小金こがね持ちだわーってなるじゃないすか。そーなると百円と間違えて一円だしたりしません? しませんか。そーですか。

ソヨギはエコバッグに食材をぶっこんで、スーパーをでた。

「…ありがとうございましたー」

自分で言う。とりあえずまた歩いていき、裏路地をめざす。

てゆーかアレだ。貴重な休みをなにしてんだろうか。いつもなにかに巻きこまれるのだ。だいたいメガ美さんがくるとメンドクサイ。今日はゴロゴロする予定だったのだ! 時間をムダに消化するという、社会人には不可能な若造をまんきつする予定があったのだ!卒業したらイヤでも働くことになるのだ。だからいまゴロゴロしないでいつするという――ここだ。と、ソヨギは裏路地に入った。

しかし、ちょっと歩いてから、ソヨギは足をとめた。しまった…危険な行為をしている最中であることを、すっかり忘れていた。

「…あなた…見えてますヨネ?」

ソヨギの進もうとする道は、すべてが黒に染まっていた。上下左右前後――世界がまったくの黒に変わっている。

裏路地の奥のほうから、なにかが歩いてきていた。酔っぱらいのようにふらふらして、いまにもそこらへんで寝そうな感じで――それは紳士のような格好の、黒ウサギに見える。

「お腹…好きますヨネ? だから、食べないと…たべべべないとネネネネネネネ…」

うわっ、キモい。黒ウサギは歩きながらガクガクと頭を揺らしていた。完全にバグっている。

そして黒ウサギは杖を両手に持ち変えた。先端と末端を、両手左右に持つ。

「タベルタベルタベルタベルぴょぴょぴょピョ――!!」

黒ウサギが杖を引き抜いた。どうやら仕込み杖になっているようで、光のない世界でも、刀身の銀光ぎんこうひらめいた。

それを見たソヨギはポケットから手をだした。やるしかない…危険だとわかっていながら迂闊うかつな行動をしていたのは自分なのだから。

――小銭こぜにをサイフにしまってなかったのだ! レジのうしろに客がたくさんいたので、サイフをだす暇がなかったのである。このままではなにかの拍子ひょうしに上着を脱いださい、小銭がバラまかれる危険性が高いのだ!

と、つかみきれてなかった五円が落ちた。ちゃりりーん。あ、ほらもう、こうなっちゃうのである。そんなことをしていると。

ドガンッ! と黒ウサギが跳ねた。細剣レイピアに似た剣を手に、超スピードで突っこんでくる。

だがその攻撃はひゅおんっ! とはずれ、黒ウサギは通りすぎていく。五円を拾うソヨギの真上を走っていった感じである。ご縁がなかったのだろう、五円だけに。ぷぷぷ。

「はずれた…まさか…よけただとオォォォォォォォ!?」

背後から聞こえる黒ウサギの絶叫を無視して、ソヨギはエコバッグをガッサガッサしながら歩き始めた。なんか世界が黒いが、マンホールの位置は変わるまい。てくてく。

「待て! エサ! たべべべべべべべべ…!」

「…お疲れっす」

とりあえずサイフをだして小銭をしまう。早くカメを助けてゴロゴロしたいのだ。いま二時くらいだから、四時には帰れるだろう。明日はバイトがあるのだ。ゴロゴロしなくてはなるまい!

「ピョオォアァァァァァ!」

ドガンッ! と、またあの超突進だろう。しかし、もうひとつおなじ音が前方から聞こえた。

ソヨギのほとんど真うしろで、ふたつの力が衝突しょうとつした! ズゴアァァァァン! と、戦闘機が正面から事故ったような爆音が響く。

「ソヨギさまを手にかけること、このソフラが許しません!!」

「キサマは昨日の!」

「あ、見える」

黒い世界がパッとなくなり、裏路地が普通に戻った。ソヨギはソフラにまかせ、マンホールに進んだ。

「あなたのことは聞きましたよ! 数世代まえのラビリオン属であると!」

「知りませんどうでもいい…わたしは空腹なのデス…ハラガヘッテハラガヘッテハラガヘッテ…!」

「だから、助けます! 剣をおさめなさい!」

「ピョアァァァ…! ジャマだあぁぁぁぁぁっ!」

ズゴァンッ! とまた爆音が響いた。

ソヨギはマンホールにおりるまえに、ちょっと気になって振り返った。

黒ウサギが空に跳び、消える。ソフラは追いかけようとしたが、なにか思いとどまったようである。くっ…とかうめいて、くやしそうに黒ウサギが消えた上空を見あげていた。

「…メガ美さん、なんかあったんすか」

「ソヨギさま、被害者が増えてしまいました。早く助けなくては!」

「…そっすか」

ま、それもいつものことである。ソヨギは早くゴロゴロしたいので、早く助けるために、早めにマンホールにジャンプした。



ココネはただ、血に染まったメィカーの手を、握っていることしかできなかった。

「メィカーさんしっかりして!」

「う…うぅ…ハメハ…息子は…」

店内は荒れている。昨夜のブキミウサギが現れて、暴れたからだった。

(わたしのせいだ…わたしがいたからあいつもきたんだ…)

それはソフラを送りだして、しばらくしてからのことだった。


メィカーが厨房に入り、ココネはハメハの看病に専念した。熱があるようで濡らしたタオルを交換したくらいだったが、はげましたり、自分ができることをした。

メィカーとすこし話をした。魔力の失調ならば、あなたの料理でなんとかならないか、みたいなことである。だがメィカーは首を振って、ダメだったことを悔やんだ。魔力があれば力を発揮できるが、じゅうぶんな魔力がないために、回復はムリらしい。薬がない医者とおなじなんだろうと理解した。

そしてココネがハメハの看病に戻ろうとしたとき、おもてさわがしくなった。悲鳴も聞こえた。ラビリオン属だ! という叫びも。

ココネは店が荒らされる物音に、ドキリとした。昨夜の恐怖がよみがえる。

だけど…と、病床にいるハメハを見おろして、いまは逃げないと誓った。怖いが、それよりも大事なことがあると思った。

「いますヨネ…? 食べそこないのニンゲン…」

ドアのむこうからそんな声がした。間違いなく昨夜のブキミウサギだ。ココネはどうしたらいいかわからず、でもハメハに危害きがいがないようにしなくちゃと、座っていたイスに手をかけた。ドアが開いたら投げてやる! どこまで通用するかわからないが、それがココネの決意のあらわれだった。

「アケ…まスヨ? 今度は逃げないでくださイネ?」

逃げない!

(ソフラさんだってこの騒ぎに気づくはず! だから、それまでは…!)

ココネが腹をすえると、ドアがゆっくりと開いた。ギイィ…と不気味な音がする。ブキミウサギの姿が見えた。昨夜とおなじ、紳士の格好だ。

だがようすがおかしい。それに気をとられ、ココネはイスを投げるタイミングをうしなってしまった。

「ヨカッタ…おいし、オイシそうでなにヨリリリリリリリ…!」

ブキミウサギはヨダレをたらしながら、頭をガクガクと揺らした。視線はこちらをむいていない。明らかに昨夜よりおかしくなっていた。

(飢餓が進んでる…で、バーサークとかいうのが近いのかな…)

よくはわからないが、あまりいい響きの言葉ではない。

壊れかけのブキミウサギは、ガクガクと揺れながら歩いてきた。しょうじき気持ち悪い。

ココネはイスを持つ手に力をこめた。油断ゆだんしてるなら攻撃できるかもしれない。

一歩、二歩と距離が近くなる。三歩、四歩…ココネはイスを振りあげた。したから顔をめがけ、思いきり振りあげる!

が、ブキミウサギが腕を振り、イスを破壊した。バギャアッ! とこなごなになったイスが飛んでいき、出窓をくだく。

「なんでスカ? 抵抗でスカ? ムダでス…タベルんでスから!」

「きゃあぁぁぁぁ!」

ブキミウサギがつかみかかってきた。ココネは腕で自分をかばうことしかできない。と――

ゴスンッ! というにぶい音がして、ココネは交差させた腕のすきまから、なにが起きたのかを見た。

メィカーだった。ブキミウサギを背後から、寸胴鍋ずんどうなべなぐったらしい。ブキミウサギはヨロヨロと、テーブルに手をついた。

「わたしの店で好き勝手サセナイ! 二度と!」

「ウルサイ…ですね。タートスふぜいが…邪魔でスヨ!」

…それから見た光景は、あまり思いだしたくない。ブキミウサギが杖を振り抜き、メィカーの体から紫の血が――

――そして、そこでソフラが戻ってきた。ブキミウサギと格闘したが、ココネはそのようすは見ていない。ブキミウサギは逃げたみたいだった。ソフラはココネにそこらへんにあった布を手渡し、傷口を押さえるように言って、それを追いかけた。

メィカーの傷口を押さえながら、ココネは泣くことしかできない。


――そしていまにいたる。メィカーの息は荒く、だんだん力が抜けていっているように感じる。

励ますために握った手から、だんだんと力が弱くなっていくのを感じる。

「ダメですよメィカーさん。ハメハくんだっているんでしょ!」

「…息子…そうです…息子と一緒に…」

「ダメ! まだダメ!」

(早くきてソヨギさん、ソフラさん! わたしだけじゃなにもできないよ…!)

ドアの外には、野次馬のように集まったモンスターたちがいた。気づけば数人が近くにいるが、ひとりがココネに、首を振ってきた。

「イヤだ! あきらめない! だってメィカーさんは、わたしを助けようとしたんだよ! そんなことしなかったら、こんなことになってない! わたしがいなければ…!」

ココネは傷口を押さえながら叫んだ。助けなきゃ。助けたい。罪悪感からではなく、ただ、死んでほしくない。

この親子は、生きていただけである。少ない魔力をつないで、日々をただ、生きていただけである。

よいひと、わるいひと、そういうくくりで決めていいわけではない。だが、死んでほしくない。生きてほしい。

「うっ…やだ! いやだ!」

「はーい…ちょっくらごめんさいー…」

場の空気にあわない声に振り返ると、ソヨギがモンスターの野次馬をかきわけて帰ってきたところだった。うしろにはソフラもいる。

「ソヨギさん、ソフラさん!」

「わー…カメの出産ばりに泣いてる…」

「ココネさんお待たせしました。さ、ソヨギさま」

ソフラがソヨギをうながすと、ソヨギは厨房に入っていった。エコバッグになにが入っているのかわからないが、まさかこんなタイミングで料理とかしないだろう。

「メィカーさんが…どんどん力がなくなって!」

うまく言葉がでてこない。ソフラはうなずくと――厨房に入っていった。

「え…ソフラさん!」

メィカーにごめんなさいと言って、ココネも厨房に入った。なにをするのかわからないが、いまは傷の手当てとか、できることはあるはずなのだ。

「…カマドか。火がついてるのはらっきー」

「ソヨギさま、バッグのものをだしました」

厨房は右手にカマド、左手は食材を加工するスペースになっていて、正面には食器棚が並んでいた。

「ソフラさん! 手当てしないと――!」

「手当てはまにあいません。ココネさんも手伝ってください」

「んー…ナベがないな。とりあえず片手ナベで代用。水、いれます。さあ、増えるワカメよ。増えるのだ…あ、いれすぎ」

「ソヨギさま、どのようにすれば?」

「あ、基本ひとくちだいで…」

「そんな――!」

ココネは、簡単な言葉を使えば、キレていた。バンッ! とカマドの土台を叩いて、緊迫感きんぱくかんもなにもないソヨギにむかってわめく。

「そんなことしてる場合じゃないんですよ! ソヨギさん状況じょうきょうとかわかってます!? メィカーさんはいまにも死んじゃいそうで、いまは助けるのがさきじゃありませんか!? メィカーさんはわたしを守って…守ろうとしたから! わたしを…!」

感情が爆発したように感じた。

うわぁぁぁ! とか絶叫しながら 、涙をとめられない。

命がひとつ消えようとしているのに、なんでこのひとはこんななんだろう。冷たすぎやしないだろうか。

ココネ自身もなんでかはわからないが、そのことがたまらなくくやしかった。ひとの気持ちを考えないようなソヨギが、とても

許せなかった。

「ココネさん…これはですね?」

「メガ美さん、急いでください。ちょっぱや」

「は…はい! ココネさんはあちらで休んでいてください。メィカーさんのそばにいてあげて…」

ソフラが優しく肩を押してくれた。ココネは目もとをグシグシしながら、コクリとうなずく。

ココネは倒れているメィカーの横に座りこむと、拭いても拭いても流れてくる涙をそのままに、メィカーに語りかけた。

「ごめんなさい…ごめんなさい…」

「気にしナイ…ニンゲン…の、ムスメよ…」

メィカーは力なく、優しい言葉をかけてくれたが、ココネはそれでもあやまり続けた――ソヨギがレシピをくちにしているのが聞こえる。



「とにかく鶏ガラ。あとゴマ。ダシ命」

「ソヨギさま、白菜を切り終えました。ネギですか?」

「薬味なんでてきとーで。ゴマ油ください」

「はい、開けました」

「んで貝…ぶっこむ。くちが開けば完成――うまいのかコレ?」

ソヨギはどこか不安げな声をだす。本当にてきとーなレシピのようだった。

「モンスターって生でもいけます?」

「おそらく。ニンゲンよりはるかに丈夫です」

「…じゃ、完成で。そこのおわん的なやつください。ども…つぎます」

カタン…ナベにオタマがあたった音がする。トタトタって感じでソフラが走ってきた。手にはお椀を持ち、そこからは湯気にくわえ、ゴマの香りと海藻の塩気しおけがただよってくる。

「わたしが起こします。ココネさんはすこしずつ与えてください」

「…え? だってこれ、ただの中華スープ…」

「急いで!」

ココネはびくっとした。ソフラの大声と、表情におどろいたのである。ソフラが重そうなメィカーを軽々と起こすと、メィカーは傷が痛むのか、低くうめいた。

ココネはおそるおそるといった感じで、メィカーのくちにお椀をつけ、ゆっくりとかたむけた。

「メィカーさん、ゆっくりでいいのです。すこしでもいいので、飲んでください」

メィカーはなんとかうなずいて、お椀のスープをひとくち飲んだ。

その瞬間、ソフラの顔がほっとしたようにおだやかになった。ココネは半信半疑はんしんはんぎのまま、メィカーがスープを飲みやすいように配慮はいりょする。いったいなにをしているんだろう…これはもしかしたら、死にいく者への優しさなんじゃないだろうか? すこしでも楽にけるようにという――と、

「――!」

――いきなり、メィカーがカッと目を見開いた。うつろだった目に力が宿り、生気を取り戻したように、両目がギラギラとかがやきだす。そしてココネの手を払うように、お椀を両手で持った。

「きゃっ!」

ココネはびっくりして尻餅しりもちをついた。心配したソフラが近づいてくる。抱き起こされているあいだメィカーを見ていると、イッキ飲みをするかのようにスープをごくごくと流しこんでいく。

「げ…元気になった?」

「ソヨギさま、成功です」

「…そっすか」

ソヨギは厨房から答えた。野菜を切る音や、カマドをいったりきたりしている足音が聞こえる。まだなにかしているみたいだ。

「あー…ココネさん、そこの寸胴鍋ずんどうなべください」

ココネはさきほどのこともあり、どうしていいかわからないでいると、ソフラが笑顔で手を貸してくれた。おそらく、問題ない、と言いたいのだろう。

寸胴鍋ずんどうなべを手に、厨房に入る。見るとソヨギがなれた手つきで野菜をきざんでいた。

「…水いれてわかしてください。ソフラさん、片手ナベのやつを」

「あの子にもあげますね♪」

「…水って、どのくらいですか?」

ココネは自分が協力的きょうりょくてきになるのが気恥きはずかしく思ったし、ゲンキンにも思った。でも、メィカーが元気になったのを見てしまったら、いくら気にくわなくても認めるしかなかった。

ソフラが言った――ソヨギがいなくてはダメ、という言葉の意味。それがなんとなくわかった気がした。

ソヨギはもしかしたら、スゴいひとなんじゃないか?

しかし、それを確認する暇はなかった。火にかけたら調味料をはかるように、ソヨギに言われたからだった。

ココネが鶏ガラダシを受け取ったのとどうじに、隣の部屋からまばゆい光があふれだした――



「ハメハ! 元気にナッタのかい!」

「お母サン!」

…え? メスだったの!?

その事実はさておき、光がおさまって、ハメハの元気な声を聞き、ココネはふぅっと安堵あんどの息をついた。よかった、本当によかった…。

「あの、ソヨギさん…わたし…その…」

ココネはスプーン(計量スプーンのかわり)で鶏ガラダシを計りながら、それをボウルに移す。

「…なんすか?」

ソヨギはあいかわらず抑揚よくようのない声音で、機嫌きげんというのがわからない。ココネはさきほどのことを謝るつもりだったが、言葉がみつけられずに黙ってしまった。

「…ちなみに俺も意味不明なんで」

「え?」

「…いや、アレのことです」

アレ…とは、タートスたちが回復したことだろうか。ココネが話しかけたのを、ソヨギは回復の理由を説明してほしいのだと勘違いしたようである。まあそれも気になるところだが。

「いえ…わたし…」

「ん? ああ…いくらナベがでかくても、それは多いっす。ちょいモドで」

ちょいモドって? あ、戻すのか。ココネはボウルから鶏ガラダシをパックに戻す。いや、違くて。

「さっきのことなんですけど…」

「さっき? 俺が増えるワカメを思ったより増やしちゃったことですか? たまにありますよね」

「ありますね。よくお母さんがキャーとか言ったりして」

「ええ、よくある家庭内の事故です。揚げ物から出火するくらいの。マジでキケンがアブナイ…」

いや…いや、違くて! なかなか謝罪しゃざいまでたどり着けない。わかった、サッと言おう。よけいなワードをだすとよけいな返事がくるんだ。うん、サッと言おう。

「さっきは怒鳴ったりしてほんとに――」

「なるほど、ドナッタリガナッタリって言いますよね。とにかく騒がしいみたいな例えでしたか…ダシいれちゃってください」

ないよ! そんな言葉っ! それは願ったり叶ったりだよ!

ココネはだが、指示されたとおりにダシを寸胴鍋ずんどうなべにいれた。サッと謝ることもできない。いったいどうすればいいんだか…。

「あのですね、ソヨギさ――」

「ソヨギさま、メィカーさんがお呼びです」

「なんすか…」

ソフラに呼ばれて、 ソヨギが厨房からでていった。ココネはとりあえず、ムキーという感じで地面を踏みつけた。

――ダシをいれたらやることがなくなった。洗い物でもと厨房のなかを見てみるが、とくに使用済みの食器もなかった。寸胴鍋ずんどうなべには食材が入っている。つまり煮るだけで、ほかにやることはないらしい。

やることがないので、ココネも厨房からでてみた。

「ソヨギさん、ホントウにホントウにありがトウ!」

「兄チャンありがとー!」

「…いや、てきとーです。それと、いちおう食材があまったせいでよけいに作ってるんで、なんか食べれそうになったらわけてください。外に痛そうなひとがいたんで…」

痛そうなひと。ブキミウサギに攻撃されたモンスターがまだいるのか。じゃあ、

「わたしやります。ソヨギさんは休んでて…」

「いや、俺は帰ります。メガ美さん、あとはよろしく」

「はい。あら、ソヨギさま…♪」

いきなりソヨギがソフラの手をとった。

お? カップルらしいことをするのか? と、そんなふうにドキドキしながら見ていると、ソヨギはダウンのポケットからなにかをだし、ソフラの手に渡した。

「…レシート。必要経費で請求します。よろしく…お疲れっす」

「…ソヨギさまのばかー」

しくしく泣いているソフラを無視して、ソヨギは店からでていった。

ココネはソヨギがモンスターの野次馬をかきわけ、見えなくなったところで、はぁとため息をついた。

ソヨギは普通にしか見えないが、そうとうな変わり者のようであった。



ココネはメィカーの指示を受けながら、ソヨギのスープを傷ついたひとたちに配った。ブキミウサギは往来おうらいでも暴れたようで、十人くらいが巻きこまれたようだった。

「はい、これを飲めば治りますよ」

「悪いなネーチャン」

ココネは道ばたに座りこむ、チョウチョみたいなモンスターにスープを渡した。モンスターはストローのような口を伸ばしてスープを飲む。すると顔が生気に満ちて、傷もすぐに完治した。意味不明だが、スゴい効果である。

あとこれはモンスター全般に言えることだが、少々くちが悪いようだった。でも、怖いモンスターはひとりもいなかった。そこでココネは気づく。モンスターもニンゲンと、まったく変わらないという確信である。

ココネはチョウチョからお椀を受け取って、メィカーの店に戻った。店内は大盛況といった感じであり、テーブル席よっつは埋まっているし、なんなら店の外で立ち食いしている姿も見受けられた。

スープ一杯の量はごく少ないものだったが、効果は絶大だった。みんなまずしさから解放されたように生気を取り戻し、元気に店をあとにする。

ココネがリビングに入ると、ソフラがハメハと遊んでいた。ハメハの状態は完全に安定したのだが、まだ心配だからとベッドである。よかったなと本心から思い、ハメハに手を振りながら厨房に入った。厨房ではメィカーが料理を作っていた。

「メィカーさん、戻りました!」

「アア、ご苦労サマ。そろそろソヨギさんのスープも品切れダよ」

メィカーが最後の一杯をカップにそそぐと、空の寸胴鍋ずんどうなべを見せてくる。つまり、ココネの仕事は終わったのである。

「わあスゴい。すぐなくなりましたね」

「そうだネ。味はたいしたことないけど、効果はバツグンみたいだカラ」

「あ、そうなんですか? おいしいのかと思った」

「飲んでみるカイ? 味見してゴラン」

メィカーにスプーンを渡されて、ひとつすくって飲む。まずくはないが、うまくもない。というか薄味がすぎて、お湯っぽい。ダシが効いてはいるが、あとあじはなんか薄っぺらい。

「ほんとだ。どうしてだろ。ソヨギさん料理人なのに」

「サア…ワタシにもわからないネ」

メィカーは不思議そうに首をかしげた。

とにかく、ここでの仕事は終わったようで、あとはメィカーが普段どおりに営業するらしい。重傷に近いモンスターたちは助けられたし、ココネには料理の心得こころえもないので、おいとますることにした。

「ソフラさん、終わりました」

「はい。お疲れさまでした。じゃあねハメハちゃん」

「うん! オネーサンまたキテね!」

そんな会話をして、メィカーにも挨拶をすませ、ふたりは店をあとにした。

ウィーヴの通りにでると、ソフラがマンホールとは逆のほうに歩きだした。聞いてみると、ブキミウサギのせいで話が聞けなかったらしい。確かウィーヴァーのキャティリオン属だったか。呼びにくい名前である。

通りを進んでいくとウィーヴの中心地あたりで、T字路になっていた。つきあたりにはほかの建物とは違う、ひときわ大きな屋敷みたいのがあった。まさに属長とやらが住むにあたいすると思った。

「おっきいですねぇ」

「ええ、ウィーヴァーもあそこに住まわれているそうです。えーと…こちらですね」

ソフラは正面にある門にはむかわず、やや敷地の左よりに歩いた。たぶん通用口みたいなところがあるんだろう。

――と、思ったら、やたら左にいく。もうそろそろ敷地からはずれる。いや、敷地がなくなった。かたむいた商店がある。そこに入る。入ったが商店のむこうまで抜けていく。通路みたいな商店で、反対の道にでれる。でた。モンスターのすくない道だ。で、すぐに右に向くと、小さな犬小屋があった。ソフラがしゃがんで声をかける。

「ウィーヴァーさん、ソフラです」

「ちっさ!」

属長ってえらくないのかな!? とか静かにツッコミをいれていると、犬小屋からでてきたのは黒いネコだった。モンスターらしくない、フツーの黒ネコである。

「やあ、きたね。若き神よ」

「はい。さきほどの続きをお願いします。昨日のラビリオン属の詳細しょうさいをお聞かせくださいますか?」

「いいだろう。ああ、そこのニンゲンがシンクロニシティアかね?」

「シンクロニシティア? 長い名前――じゃなくて、いまカミって…?」

昨日からこっち、専門用語が多すぎだ。それよりも…カミ?

ココネの不信ふしんげな顔を見て、ソフラが頭を照れ臭そうになでながら、にこやかに告げる。

「あ、ココネさんには言っていませんでしたね。じつはわたし、これでも神のはしくれなんですよ」

「カミって、神さまとかのカミですか? チラシとかティッシュとかじゃなく?」

ココネがなかば混乱しながら聞くと、ソフラは笑顔のまま答える。

「はい、わたしは、豆腐の女神なんです」



「と…豆腐?」

豆腐――水に浸して柔らかくした大豆をすりつぶした豆汁を熱し、布ごしして豆乳とおからに分け、豆乳に苦汁または凝固剤を加えて凝固させた食品。白くて軟らかく、蛋白質に富む。日本には奈良時代に中国から伝えられたといわれる――広辞苑より。

「…じゃなくて! なんで豆腐なんですか! ソフラさんくらいならいろいろあるでしょう!?」

「えーと…」

「ほら、春の女神とか花の女神とか雪の妖精とかなんとか! なぜ豆腐をチョイス!?」

「あ、いえ、自分で選ぶわけではないので…ダメですか?」

「ダメっていうか地味! ソフラさんチョーキレイでチョー美人でスタイルもボンッキュッボンッなんだからせめて月の女神とかがいいです!」

「なんか…すみません。豆腐で…ぐすん」

「こりゃニンゲン、いたずらに神を泣かすものではない」

「だぁってぇ!」

なんか納得できない。なぜ豆腐の女神なんだ。じっさいソフラがきてから男の客が増えた。豆腐屋の売上は二倍近い。だからもっと、女神っぽいのにしてほしい。憧れのモデルがゴーヤの女神とかいやである。

だが、なぜソヨギがメガ美さんと呼ぶのかが、その理由がわかった。でもそれはそれだ。

そんなことをしていると、ウィーヴァーがため息をつき、

「ふむ、ニンゲンは変わっている。神のなりたちなどなんでもよかろう。本題に入ろうじゃないか」

「ええ…ぐす…ぜひ…ひぐ…お願いしますぅ…」

「やれやれ…まあとにかく、そこのお嬢ちゃんのためにも、さっきの話を改めてするよ。いいかい? あのラビリオン属の形態けいたいからすると、きゃつはおそらく古ラビリオンだと思うね。女神あんたは確か、第八紀のものだったかな?」

ココネは難しい話に、なんとかかんとか自分なりの解釈かいしゃくをつけて、理解しようとつとめた。

「そうです。古ラビリオンということは、わたしより以前の時間軸で生息していた…ということでしたね?」

「さよう。おそらく第四紀の世界さ。あんたの世界じゃずいぶん違うナリをしてるんじゃないかな?」

「ええ、もうすこし体は大きく、ぬいぐるみのような形態です。性格はいたって温厚で、善悪のない中立的な存在でした」

「そうかい。さっきもきたラビリオン属は、まだ魔物だったころのやつさ。別の世代で改心させられて、あんたの代じゃ中立化して誕生したんだろう。だからあんたじゃ、魔力は追えない」

「なるほど…古ラビリオンは心奪系ハートレイトけていましたか?」

「ああ、力が弱い種族は、たいていそんな技を使うさ。力が弱いぶん、小細工を使う。ワシが教えてやれるのはこんなところかね」

「ありがとうございます。それと、送呈そうていをおこなえるようにかけあいますが、よろしいですか?」

「ああ…ぜひ頼みたい。最初は小さなウィーヴだったが、大きくなりすぎてしまった。ワシの管理も困難になりつつある。ニンゲンたちに被害がでるまえに、なんとかしてほしいもんさ」

話はそこで終わったようだった。ソフラはお礼をして、ココネに外へでようと言う。

ココネはきた道を戻りながら、いまのチンプンカンプンな会話の説明を求めた。

「とりあえず外に。あのラビリオン属をどうすればよいかわかりました。ココネさんにはもうしわけないのですが…」

ソフラは本当にすまなそうに、目をあわせてこなかった。マンホールが近づくまで、ずっとなにかを考えていて、ひとことも話さなかった。マンホールにつくと、

「ココネさんには怖い思いをしてもらいます」



マンホールからでると、いちどアパートに帰った。ソヨギの部屋ではなく、ソフラの部屋に入る。

ソフラの部屋はひじょうに女性らしかった。たたみには白いカーペットをしいていて、いくつかいろどりのための花びんや鉢植はちうえがあったり、部屋はいい匂いがした。すみには豆腐のキャラクターのぬいぐるみがあったり、カーテンもカワイイ。冷蔵庫のかたちは豆腐をモチーフにしたもので、しょうじき引いたりする。

ココネはティーテーブルのイスに座らされた。ソフラはお茶を用意するあいだ、さきほどの会話の説明をしてくれた。

「わたしが一番知りたかったのは、あのラビリオン属がいつの世代の存在か、でした。わたしはじつは、あちらの世界の神なのです。こちらにきたいきさつははぶきますが、昨夜の接触で魔力の波長を探知できないことが、不思議でなりませんでした。ですがウィーヴァーのお話で、納得がいきました。あちらの世界では数百年にいちど、終末がおとずれます。それは聖戦と呼ばれ、続くか終わるかが決まるのです。そして続くにしろ終わるにしろ、そこでが代わり、アニミスと魔力が新たに生まれ変わります。そうすると、まったく知らない言葉のように、理解が難しくなるのです。つまり、波長が読みづらくなってしまいます」

ソフラがいれてくれたのは紅茶だった。それをティーテーブルに置くと、ソフラもイスに座る。ティーカップからはアールグレイの香りがふわりと舞った。

「あちらの世界構成はこちらより複雑です。たとえば誰が過去にどのような波長で存在したのかなどは、知ることなどできません。なので気づけませんでした。追えるはずと思っていたせいで、今日のような襲撃しゅうげきを許すことになってしまいました…わたしの力量不足でした」

ソフラは悲しそうに表情をくもらせた。でも悪いのはソフラじゃない。そう言ってみると、ソフラは笑みを浮かべた。

「ありがとうございます」

「あの、でも、それを確かめるためにスーパーにいったんですか?」

そうでなければおかしい流れだった。ソヨギがスーパーにいくと言わなければ、あのウィーヴにもいかなかったはずだ。つまり、作戦というか、なにか考えがあっての行動じゃなければ、ソフラのその確認だって不可能だったろう。

ソフラはココネの質問に、満足げにうなずいた。

「なので、ソヨギさまが必要だったのです。ココネさんには意図いとが不明であっかもしれませんが、わたしにはソヨギさまのお考えがよくわかります」

「どういうことですか?」

「まず、ソヨギさまはなぜか、モンスターの行動におくわしいのです。なのでわたしたちの話から、ラビリオン属の活動範囲かつどうはんいをほぼ特定したのです。そしてスーパーにむかうわけですが、あの道…どこにむかう道か、ココネさんにもわかるかと思います」

「えーと…まっすぐいくと大きなT字路になっていて…あ、りへいがある」

「はい、ソヨギさまのお勤めさきですね。ですのであの道は通勤に使用されているということです。ひょっとしたらソヨギさまはウィーヴがあることを知っていたのではないでしょうか。そもそもメィカーさんとはお知りあいだったごようすですし」

「は? え?」

「路上で遭遇そうぐうしたとき、そういった会話がされていたのです。おなじ料理人ですので、通じあうものがあったのかも…それはそれとして、これまでの事実でなにか感じるものがありませんか? ソヨギさまについて」

「え…と…感じるもの?」

ココネは考えてみた。

最初、ソヨギはこちらの話に興味がなかったように思う。めんどくさそうにして、親身しんみにするそぶりもなく、なにを考えているのかわからなかった。

いまもそれは変わらない。ソヨギがなにを考えているのかなど、さっぱりわからない。

メィカーが斬られたときもそうだ。結果としてウィーヴの全体が救われたようだが、傷ついた誰かがいたら、まずするのは心配とか手当てとか、人道的な行為こういなんじゃないだろうか。

いや…料理こそが救うことのできる、ゆいいつの手段だった。それを知っていたから料理を急いだ。

…いや、普通なら、知りあいが死にかけていたら顔色を変えたり、心配そうな顔をしたりするはずだ。でもソヨギはいつもの調子だった。なにも考えていないのか、なにか考えているのかは、さほど問題ではない。

ソヨギは冷たいと感じる。どこか機械的なイメージだ。これをすればこうなる。だからこうする。まるでパズルを解くような感覚で、正しい正解へいこうとする。そこに感情的なものはいらない。ただ、正解にいたる過程かていを理解し、実行していけばいい――それが、ソヨギに感じることだった。

ココネはソフラの機嫌をうかがった。ニコニコとしながらこちらの答えを待っている。ココネはなんと言っていいかわからず、紅茶をくちにして時間を稼いだ。

だが、ココネが答えるより、ソフラがさきだった。

「なにか必要なものが欠如けつじょしているように感じませんでしたか? なんというか、とりあえずやっておくかというような、心の動きとは無縁むえんな言動が多いのではないか…とか」

「あ…はい…」

「気に病むことはありません。それがフツーなのです。ソヨギさまは理解しがたいかたなのです。そういった資質なんですね」

「資質とかいうレベルじゃないですよ。なんだかしょうじき、ソヨギさんは冷たいなって…」

「それは…否定したいのですが、困難に感じます。ソヨギさまはそういうおかた。だから、ココネさんの感想はその通りなのです。ですが、誤解されたままですと、わたしは悲しくなります」

「…誤解って?」

「はい。ソヨギさまは、誰よりもお優しいかたです。わたしよりも、誰よりも…しかし言葉での説明で、理解していただくことはできないと思います。ですので、今回の事件解決とともに、ソヨギさまの本当の姿をお見せしたいと思います」

「本当の姿? 優しい?」

「はい。それでさきほどの、ラビリオン属をどうするかのお話なのですが」

「え、はい…いきなり話が変わりますね」

「ソヨギさまのお話をしていると、キリがないのです。なれっこになりました」

ソフラの言いかたからさっするに、こんな会話をこれまでもずっとしてきたのだろう。それはなんだか、苦労してそうだった。

「それでどういう作戦なんですか?」

「簡単なことです。追えないのなら、追ってもらえばいい、ということですね」

ソフラは満面の笑みで言った。それで怖い思いをするということは――

おとりになれ、ということなのだろう。

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