厨房バイトと女神がやってる裏稼業

狗守 要

1ココネの家には女神がいる。

それは夜に起きた。なんでもない普通だったはずの夜に――


ウチカドココネはただの十六歳のJKだった。だから、普通の範疇はんちゅうを越えている状況に、混乱するしかなかった。

ただ、困惑するしかなかった。


周囲は暗い――確かに夜の九時ごろだったから暗くていいのだが、自分はスポーツ広場もあるような、大きな公園を横切って家に向かっていたはずである。

公園には常夜灯じょうやとうもあるし、自販機だってあった。

なんなら帰りの一杯とでも言わんばかりに、ひそかなブームであるプリンシェイクを買おうとしていたところだった。目のまえの明るい自販機があるはずだった。

だから、暗くていいはずがなかった。いまココネの周囲は…周囲というよりも世界そのものが、完全な真っ暗闇でいいはずがなかった。常夜灯も、自販機も、近くの家の明かりや、かすかにでも見えていい、星の光すら見えない。

自分は目が見えなくなった?

恐くなったりするが、そういうことでもない。見おろせばしっかりと制服が見えたからだった。ココネは短時間のバイトを終わらせて、その帰りの途中だった。目が見えなくなったんじゃない…と、そう安心しかけたが、すぐにその安心は消えていった。

ココネは安心するのとは逆に、不安の混じったひとつの疑問を浮かべていた。

なぜ、見えるのか…?

完全な闇のなかにいるのに――景色が見えないのに、そこに浮遊ふゆうするような自分が見えている…気づけば地面すらも闇にりつぶされていた。完全な闇のなかで、なぜ自分は見えて、世界はまったく見えないのだろう…と、まるで牢獄ろうごくにつっこまれたような、そんな孤独感がわきあがってくる。

宇宙空間に放り出されたら、もしかしたらこんな気分になるのかもしれない。なにもない、光も空気も、自分以外が存在しない、完璧な孤独の牢獄――そのなかで声がひびいた

「いい…とてもいい夜でスネ…」

おどろいて顔をあげる。かなり遠いが、なにかがいた。それはどこか酔っぱらいを思わせるように、ふらふらと歩いてくる。ひとがきた! 助か…る?

でも、ココネはその人物に助けを求めなかった。その人物との距離はかなりある。

なのに、なぜ耳のそばで声が聞こえたんだろう…そんな疑問がココネの言葉を封印していた。

人物までかなり遠く、五十メートルはあるのに、なぜ耳のそばで声がした?

混乱はしているが、まともな神経はつながっている。ココネはただ、警戒けいかいした。

そして――いきなり現れた人物を観察していると、おかしなことがわかる。ゆっくり、ふらふらと歩いてきているのに、なぜか距離が近くなるのが早い。つまり速度と移動距離がおかしい。その早さに、自分の体がビクッとふるえた。

逃げなきゃ! なにかがおかしいと、この異常性に気づき、ハッキリと理解する。その人物が近づいてくるのを見ていると、なぜだか無性むしょうに叫びたい衝動しょうどうにかられた。

胸のなかにひろがった、きむしって切除せつじょしたくなるような、不安とあせり――じわじわと、息が苦しくなる。その人物が近づいてくるスピードにあわせて、不安と焦りが大きく強くなっていくのがわかる。

ココネのオデコを、つぅ…と、汗が流れていった。体が緊張して、不安はさらに増した。でもその心境しんきょうは、一瞬で変わった。

ココネの恐怖きょうふおびえ。そのせいではいがうまく機能きのうしない。はっ…ひあっ…と、声もだせない。

「ネ? いい夜でスヨネ?」

いつのまにか、まばたきの時間で、ナニかはすぐ背後に立っていた。ココネはその、耳に息が触れるくらいの近い声――高いような低いような、ゆがんだ声音こわね――にゾッとした。

(遠かった、まだ遠かったはず…)

背筋が寒くなり、総毛立そうけだつのがわかった。普通のニンゲンなら、ぜったいにこんなことはできない!

「怯え…てますヨネ? 」

ソレは、背後から話しかけてきた。

空気が動いた感触にビクリとする。

どうやらソレは背後から、のぞきこむように話しているようだった。

恐怖が増し、同時に生理的な嫌悪けんおが生まれた。だがどちらにしろ緊張感も増していて、体は動かせない。

汗の量も増えた。体は小刻みに震える。息はまだ不完全で、ひっ…ひっ…とのどがつまる。

ソレの顔はすぐ横にあった。気配でわかる。ココネは見たくなかった。でも、動かない体のかわりか、自由な眼球だけは横に視線を移動させていく。

――ウサギ?

なぜだかその印象いんしょうは、不思議の国のアリスを思いださせた。不思議な世界、迷いこんだ少女――自分。

でも目のまえにいるウサギは、そういう可愛らしさからはほど遠い…まず色は黒かったし、そもそもニンゲンとおなじように歩いていた。

その身長は二メートルくらいはあって、背後からお辞儀じぎするようにして、横に顔を並べている。アリスのウサギのように燕尾服えんびふくを着ている。したには外国のパレードなんかにいるような、足が長いひとが穿く、やたらすそが拡がったストライプのズボン。シルクハットを押さえて顔を隠し、そのひじに長いステッキをかけていた。

つまり、可愛くはない。英国紳士えいこくしんしのような姿には、どこかキレイできっちりした印象は覚えるが、ヒト型のウサギがたって歩いてしゃべるというのは、状況が状況だけにただ不気味だった。

「声…も、でないようでスネ? まあ、恐がる必要はないのでスヨ。必要なのはあなたにある、あなたの魂にきざまれ、あなたの本質の一手いってになう、ヒトの可能性の本源ほんげんでスヨ」

「……?」

最初から言葉はでないが、聞き返す言葉も浮かんでこなかった。意味がわからない。

本質? 本源? いったいなんの話だろう。

そういえば、バイトさきの店長が言っていた――『だいたい新人は、なにがわかってないのかわからないから、仕事に対する質問もわからない。つまり、ミスをしないようにする知識がない。なんでそんなことしてミスしたのか聞いても、なんでやったのか理解できないんだよな』――わたしはなにもわからない。だからこのウサギを、ウサギに対してどうすればいいのかわからない。

ウサギが喋る。

「簡単なことでスヨ。あなたをただ、タベタいだけでスからネ…」

ウサギはさらに顔を突きだした。ウサギはもう顔を隠してはおらず、赤くにごる眼を、皮膚がボロボロになっている醜悪しゅうあく形相ぎょうそうを、ココネに向けてきた。

「た…タベ…て、いいでスヨネ? ネ? ネ? ネ?」

ココネの肩に、そっと手が置かれた。ガラスにヒビが入るような音が聞こえた。ビシッ――! と、耳の奥、鼓膜こまくがしびれたようにすら感じて――ココネの恐怖が限界を越えた。

「キャアァァァァァァァ!!」

顔をひきつらせ、涙を目にめながら、ココネは絶叫した。体を暴れさせたがウサギのつかむ手をほどけない。一瞬だけ見えたウサギの手は、黒い毛におおわれたニンゲンみたいな形をしていた。

だがその手には小指と薬指がなかった。なくなった傷口から、さきの欠けた指の骨が見えている。

「逃げられませんヨネ? ネ?」

「離してえぇっ! ヤ…嫌だあぁ!」

必死に抵抗ていこうしても逃げられない――と、かなり唐突とうとつにそれは起きた。

逃げようとするココネの目のまえに、暗闇の地面に、ダンッ! となにかが落ちてきた。

ふわりとひろがる長い髪は銀のような白のような、とにかく脱色された感じのものである。白いセーターにクリーム色のロングスカート。白いシューズ。それらはまるで清純をあらわしているようにも感じる。

「その手を、はなすのです」

銀光を放つ両の眼。透き通る肌――つまり、なにもかもウサギとは真逆の女性が、突き刺すようにそう言った。

すると、ウサギの握力あくりょくが、うろたえたかのようにゆるんだ。

ココネはすぐに走って、女性に声もかけずに走った。早くここから離れたい! 逃げたい! 帰りたい!

でも――と、足をとめる。五メートルほど離れた場所で振り返る。

ココネはなにか予感めいたものを感じていた。わたしはたぶん、あの女性を知っている…?

「まさか、ソフラさん?」

「…ココネさん、すぐにお逃げください。このラビリオン属はおそらく、正常ではありません」

また、わからない。ウサギは正常じゃないラビリオン?

ていうか、ソフラさんはなんで…なんか、とてもニンゲンには見えない。どこか神々こうごうしさすらうかがえた。

「キサ…マッ!」

威嚇いかくするひまなどあたえませんよ。気絶魔法ソイソファデナム!」

ガァンッ! と、ソフラが振りあげた手から、紫の雷撃らいげきが放たれた。それはまさに雷で、音速すら越えていたが、ウサギはもうそこにはいなかった。信じられない跳躍ちょうやくで、雷よりも速く移動していたのだ。

いつのまにか暗黒だった世界は、通常の夜を取り戻していた。ココネがいるのはまぎれもなく、広い公園だった。

公衆トイレととなりあっているベンチと自販機のスペース。もともとココネがたっていた場所だ――その近くにいるソフラが、スポーツ広場の方向を見ている。野球ボールが外にでないように貼られた、高さ三メートルほどのネットの支柱――そのうえである。

ココネも見あげてみる。またシルクハットで顔を隠したウサギがいた。

「ピョ…ぴょぴょぴょ…エサにありつけたのに、残念でスネ。オイシそうだったのにぃ…とぉってもぉ…!」

ココネはウサギの視線がこちらに向いたことで、また体が震えた。そのこみあげる恐怖は、捕食ほしょくされる側の敗北感とおなじものだった。

と、タンッと軽い音がして、隣にソフラがたっていた。ココネをかばうようにして。

「そうはさせません。ココネさんはわたしにとっても大事なおかた。師匠のお嬢さまなのですから」

「ぴょぴょ…まあ、いいでスヨ。そのうちイタダキマスから…あぁ、食べたい…」

ウサギの恍惚こうこつの表情が、めるようにココネをながめた。ココネはすがるようにソフラの手をつかむ。震えと涙がまた始まったのを自覚する。

「では、いずれまた…」

「逃がしませんよ!」

ウサギがまた、跳躍して消えた。それを追いかけて跳ぼうとしたソフラは、ガンッ! と顔から地面に落ちていた。ココネが手をしっかり握っていたからだ。ソフラは半泣きになりながら、

「うぅ…痛いですぅ…」

と、地面でいじけている。

「ご…ごめんなさいソフラさん。でもわたし怖くて…怖く――怖かったよおぉぉぉぉ!」

こんなに大きな声で泣いたのは、小学生以来だった。

うわあぁぁぁぁぁ! と、叫ぶように泣きじゃくっていると、柔らかいものに包まれた。

ウサギのものとは違う、優しくて穏やかな声もする。

「大丈夫です。わたしが、お守りいたします…よしよし」

でも、恐怖がなくなり安堵あんどしたことで、ココネは自制じせいができず、よりいっそう強く泣いた。

それはずいぶん長く続いたが、ソフラはけして、腕をとかなかった。

優しかった。



「――と、いうのが昨夜の経緯けいいです」

ソフラの説明を捕捉ほそくするように、内門心音ウチカドココネはコクコクとうなずいた。

「…で、それが俺となんか関係あるんすか?」

そう面倒くさそうに返したのは、磯村梵イソムラソヨギという、二十一歳くらいの男だった。とにかく普通の、見た目はなんでもない、ただの男である。

三人がコタツをはさんで向かいあっているのは、ボロい木造アパートの一室だ。むろん、ソヨギの部屋である。六畳一間ろくじょうひとまで風呂なしトイレつき。ソヨギは大学生らしいので、まあ、学生が借りそうな安アパートである。

時刻は昼に近い午前。あったかいような肌寒いような部屋で、ソヨギの面倒くさそうな言いかたに、ココネは深く賛同さんどうしていた。確かにソヨギと事件に関係はない。

とりあえず昨夜のことを問題視して、ココネをつれてきたのはソフラである。ソフラが言うにはソヨギが事件解決してくれるらしい。だが、いまいち説得力はない。

ココネは頭をポリポリ掻いているソヨギを観察した。

ちょい長の黒髪は、ボサボサしてないが整ってるとも言えない。黒い上下のスウェットは部屋着だろう。室内で黒いダウンを着てるのは、きっと暖房器具がコタツしかないからだ。もう十二月に近いから、寒さすらある。

ココネは普通以上でも以下でもないソヨギが事件を解決してくれるとは思えず、黙ってようすを見ていた。そしてふたりの会話に疑問が浮かぶ。

「ソヨギさま。このかたは内門うちかど豆腐店さまのお嬢さまです。ソヨギさまのお勤めさきである、定食屋りへいさまへお豆腐をお届けしておりますね?」

(なんでソヨギなんだろ。てゆーか使いすぎだねソフラさん)

ていねいがすぎる。かわってソヨギ。

「えーと、まあ、そうすね。ウチカドさんには買いだしにも行きますが…でも、なんでメガ美さんは俺を訪ねてきたんすかね」

(なんだろさんて。アダ名かな?)

とりあえずくちにだして聞いたりはしない。黙って見ている。

とりあえず、ソヨギのめんどくさそうな態度にたいし、ソフラは念をおすように言った。

「では、関係ありますね? ココネさんの危機です」

「いやもうなんか、すごい遠い親戚の借金みたいな、むりやりな理屈っぽいんですが?」

「むりやりではありません! ココネさんに万が一のことがあり、あの美しくなめらかな荘厳そうごんたる師匠のお豆腐が、作られなくなってしまうやもしれません!」

「…いや、確かにうまい豆腐ですが…値段もスーパーと変わらないし」

「そうでしょう!?」

ダンッ! とソフラがコタツを叩いて力説した。ココネはその説得はどうでしょう、とはくちにしない。黙って見ている。

とにかくソフラは海外からの留学生で、日本のトーフに魅了されてやってきて、なんだかんだうちの店で働くことになった――いわゆるパートさんである。

ちなみに余談よだんだが、ソフラはソヨギのお隣さんであるらしい。

と、それはともかく、ココネはなぜ、今回の事件にソヨギが必要なのかがわからなかった。

第一に、昨夜はソフラがブキミウサギを撃退してくれた。という、ニンゲン離れした不思議なチカラを使ってだ。あれはきっとブキミウサギみたいな妖怪のようなやつを、退治するためにある技なのだ。

第二に、ソヨギは普通である。普通を普通にしてみたらこんなに普通でした、くらいに普通である。つまりココネと変わらないニンゲンであり、ブキミウサギをなんとかできるようには見えない。

「いや、べつに、豆腐屋はたくさんあるわけで…」

「いいえ! この街のお豆腐屋さんをすべてまわり、そのなかで最上と判断したお豆腐屋さんなのです! このわたしが師匠と呼べる豆腐職人など希少です! 失うわけにはいきません!」

「なるほど。かたよった意見だと…」

「どこがかたよってますか!? わたしが最上と判断したお豆腐ですよ!?」

「あの…ひとつ質問があるんですが」

ふたりに割って入るように、ココネはおずおずと挙手しながら言った。自然とふたりの視線が向くと、なかば緊張しながら続ける。

「あのウサギの妖怪みたいなのってなんなんですか? わたしのこと…食べるとか…怖いです。わたし、ただの女子高生だし、なにも…特別なことなんてないのに…」

ココネは昨夜の恐怖を思いだして、寒気を追い払うように腕をなでた。うつむいてしまうと、涙がうっすらと浮かぶ。本当に怖かった。

ココネは返事を待った。すると聞こえてきたのは、意外にもソヨギのため息だった。

「…説明してないんすか?」

どうやらソフラを責めるような声音である。じっさいソフラはいままでの勢いをうしない、あうあう言っている。

「昨夜はその…ココネさんをなだめるほうが先決と思い…」

「つまり大事なところがうやむやだと」

「ソヨギさまの視線が痛いですぅ~」

と、ソフラのなげきは無視して、ソヨギはたちあがり、窓を開けた。

街のなかでも高台にあるアパートからは、空がよく見える。ココネの家は住宅街の都心部に近い場所にあるので、家やビルが邪魔をして、ハッキリとは見あげられない。ソヨギに手招てまねきをされて、なんだろうと思いながら近くにたつ。

「あれ、見えてますよね?」

ソヨギが晴れた空を指さした。

そこには巨大な白亜はくあが、衛星えいせいのように浮いているのであった。



ソヨギが説明する。どこか面倒くさそうに――

「あれが見えているならココネさんはじゅうぶん特別です。スペシャル。なぜかっていうのはですね、俺らにはフシギな力があるらしいんすよ。いらないっすね。んで、フシギな力の正体は魂にあるふたつの力をれて、さらに判別はんべつできるっていう、就職活動にも役にたたないものです。ゴミの分別にも使えない。プラか紙かってのはわからない。そんでその魂にある力ってのは、アニミスと魔力って呼ばれてます。なんでカタカナと漢字? みたいな。ニンゲンには善と悪っていう、ふたつの要素がありますよね。どちらかいっぽうの力が強ければ、善人にも悪人にもなるのがニンゲン。ここまでオーケィすか」

なんか途中でなげやりなセリフもあるが、魂に善と悪があるというのはわかった。ココネはうなずく。

「そんで、あの空の輪っかなんですが、あれは次元門とかいうマカフシギ門です。俺たちのいる世界と別次元の世界をつないでるんだそうです。あれが見えるってことは、ココネさんの魂が普通よりもうえのハイスペック魂なわけで。んで、ハイスペック魂っていうのは、こっちの世界ではヒジョーに少ない。つーことはココネさんは、ヒジョーにハイスペックなわけです」

…うん、なんてザックリな説明なんだろう。でも、幽霊が見える霊能者みたいなことか。たまにクラスにいた視えちゃう系の痛い子も、もしかしたらハイスペック魂だったのかもしれない。

「で、そのウサギなんですが、たぶん次元門を知らずに通過しちゃった難民です。じつは向こうの世界より、こっちの世界はアニミスと魔力が少ないんす。だからつまり、飢餓きがってます。じゃあココネさん、お腹空いたらどうします?」

「え…ご飯を食べます…」

「はい、ですね。フツーの答え。ウサギがどういうひとかはわかりませんが、アニミスか魔力が不足して、飢餓ってます。だから食べなきゃ死んじゃう。そんで向こうの世界のひとたちのエネルギーってのは、ご飯だけじゃ足りません。アニミスか魔力が含まれてないとダメなんす。じゃあそのふたつが少ないこっちの世界で、なにを食べればいいですか? なんなら確実にお腹いっぱいになります?」

ココネはその問いに、目を見開いていた。心臓が強く跳ねたようだった。また恐怖と震えが襲ってきた。

「しっかりしてくださいココネさん」

たっていられずにたたみにへたりこむと、ソフラがすぐにきて、肩を支えてくれる。

ココネはその優しさに支えられたおかげか、言葉をうしなうことなく、発することができた。

「でも、なんでわたしなんですか? わたしみたいな視えるひとはだけで、ほかにもいるんですよね? だったら、わたしじゃなくてもいいじゃないですか! なんでこんなに怖い思いをしなくちゃいけないの…!」

「ま、その説明はメガ美さんにしてもらってください。昼時なんで、メシっす」

ソヨギのこっちの思いをシカトするような冷たい言葉に正直イラッとした。食べられるかもしれない話の流れで、食事の話なんてあり得ない――ココネはソヨギをにらみつけてしまう。

他人事ひとごとですよね…ソヨギさんじゃないから! 狙われてるのわたしだから!」

「…ですね。ま、俺には無関係です」

と、ソヨギはスタスタと、玄関の真横にある台所に向かった。

「ココネさん、落ち着いてください…あなたが狙われてしまう原因は、魂の波長にあります。次元門――正確にはエルシアのさきの世界は、アニミスと魔力にあふれています。そしてそれらの力は、個々に波長を持っています。ココネさんが狙われてしまうのは、その波長がラビリオン属と同調してしまうからなのです。それは例えるならば夕げの香り。帰宅中に香る夕食の香りに似ています。とても甘美かんびに感じてしまう。そしてその波長は、こちらの世界でも同様に、個々に違いがあります。だから狙われてしまうのです」

「じゃあわたし、逃げられないんですか?」

ココネはいつのまにか泣きだしていて、ソフラはやはり優しかった。だが、事実は事実として伝えてくる。それは同時に、ココネを守ることを使命とする責任感にも通じている。

「逃げることは困難です。波長は追えるのです。わたしも魔力の片鱗へんりんがつかめたら、ラビリオン属を追えたのですが…いえ、すぎたことはしかたないです。どのみち魔力枯渇まりょくこかつにより、強制浄化きょうせいじょうかが始まっているのですから…放っておけば二三日にさんにちで息絶えるでしょう。しかしそれでは同時に、完全なる飢餓バーサークが始まってしまう。それを許せば、被害は大きくなる。ココネさんだけではなく、なんびゃくという命が終わるかもしれない。だからそう…ラビリオン属の活動範囲を特定して――」

聞きなれない言葉たちのため理解にはおよばなかったが、ソフラの言葉の後半は、自問自答というか、考えを整理しているように聞こえた。ソヨギとは違い、知識と照らしあわせて対策たいさくを考えてくれているように感じる。ココネを守るために。

しかし、ココネは言葉がでてこなかった。自分にできることはないように思えた。ただ恐怖におびえて、誰かの解決を待つしかないのだと。

そのとき、ジュウゥゥゥゥ…という食材が火にかけられる音と、美味しそうな匂いがふわりと香った。

さきほどの発言をあやまる気もないソヨギが、フライパンを振りながら聞いてきた。

「好き嫌いとかあります?」



ソヨギが料理をしている。俺には無関係だから、勝手にやってくれと言わんばかりである。

「豚肉、キクラゲ、ニンジン、キャベツ、あと個人的にもやし…」

ソヨギはココネの返答を待たずにそうつぶやいた。

フライパンを振る横では、大きな鍋を火にかけている。

「ゴマ油で炒める。塩は適量、和風ダシはおいしく感じるくらい。鶏のダシ、コショウも入れちゃう。醤油ちょびり。しあげは水溶き片栗粉でとろみ」

なるほど。ゴマ油がいい香りである。ソヨギは炒め終わったのか火をとめて、みっつのドンブリに、鍋からオタマですくったなにかを入れて、捨てた。湯気が見える――ドンブリを温めたらしい。

「ラーメンは市販。醤油味。ただし塩加減を間違えると壊れる。だからスープは湯を多めにしたり調整――」

ふむ。昼にラーメンとはいかにも大学生らしい。しかしなんてテキトーレシピだろうか。

ソヨギはラーメンを用意し、そこにさきほど炒めたものをのせた。できたものはコタツに運ぶ。

「…とりあえず食べてください」

「あ、はい、ソヨギさま。さあココネさんも」

ココネはさきほどのことを許したつもりはなかったが、正直、昨夜はなにも喉が通らず、朝もコーンスープくらいですませていた。空腹感に負けて、コタツに入る。

「…いただきます」

「ソヨギさまいただきます♪ 素晴らしい色味ですねっ。とても美しい…」

目のまえにあるのはラーメンである。見たところ野菜ラーメンだったが、レンゲをひたしてみるとスープにとろみがあった。ソヨギが喋る。

「熱いですからね…いただきます」

ココネはスープを飲んだ。と、びっくりする。

「おいしい…!」

「ま、ラーメンは基本うまいですズルズル」

「ソヨギさま、これはなんというお料理でしょう?」

「某地方では名物となっているサンマーメンです」

「サンマーメン?」

「そっす。普通のラーメンと違うのはとろみ。とにかく寒いときにはこれが一番です。とろみがフタの役割になってるんで、冷めにくい…それと、野菜がないと栄養がかたよります。成長期にアブナイ…」

空腹も手伝ってか、ココネは勢いよく麺をすすった。とろみってスゴい、とか思う。とにかく味を離さないというか、麺にスープがからむ。そのため口に入れた瞬間から風味が広がり、それは飲みこんで口が空になってからも続く。ずっとダシの旨味うまみが残る。野菜を食べても同じ。たまにラーメンを食べると野菜は野菜、麺は麺、スープはスープのように味のバラツキを感じるが、これはそれらがひとつになっている。

ココネは夢中で食べていたが、ふと視線をうわ向かせた。対面して座っているソヨギが、こちらを見つめていた。あ、と思い、

「とってもおいしいです…」

「…そっすか」

ソヨギはそれから食べ終わるまで、なにも話さなかった。ソフラは横で、ふふーん♪とか、ふふふ♪とか、色んな喜びを表現しながら食べている。それにしても、

(ソヨギさんて、なに考えてるかわからないな)

ソヨギに対する印象である。眠そうな顔は変わらないし、ココネが睨みつけてもそれはおなじだった。子供のようにコロコロ表情が変わるソフラとは、ずいぶん対照的である。

ドンブリには野菜とスープが残っている。ココネは野菜をつまみながら、

(さっき、野菜がないと成長期がアブナイとか言ってたな…たぶんわたしのことだよね)

なんとなく――本当になんとなく、ソヨギは不器用なんじゃないかと感じる。表情が変わらないのも、言葉の選別をしないのも、コミュニケーションが苦手なヒトに多い。

でもコミュ障というより、なにか、作為的に感じなくもない。いや意図的か。ソヨギはわざとを演じているように感じる。

ココネにはソヨギがどんなニンゲンなのかまったく読めなかった。さっきの言葉は冷たかった。だが、ココネへの気づかいがサンマーメンに表れてもいる。本当は優しいのかもしれない。だけど、優しさも一種の演技で、この栄養がかたよることへの配慮はいりょは、料理人としてのプライドからきているのかもしれない。

ココネは、全部ではないがソヨギのことを知っていた。うちに豆腐を買いにきて、そのようすを見たことがあった。父親となにか話して帰る。そんな姿を見たことがある。ソヨギは『りへい』という定食屋の厨房ちゅうぼうバイトであり、すなわち料理人である。

面識めんしきは少ない。だが父親が笑ったりするの見ているから、コミュ障とは違うだろう。だからおそらくソヨギは、かもしれなかった。

ココネが食べ終わると、ソヨギが食器をさげた。横でソフラが満足げにごちそうさまをしている。まあ確かにおいしかった。

ソヨギがいったいどんな人物であるのか。その疑問はつきないが、ヘタにかんぐるのはやめよう。ソフラはとてもいいひとである。その彼女が『さま』をつけて呼ぶような人物が、悪人とは思えなかった。そして料理が冷めないように器を温める人物が、冷たいニンゲンには感じない。それがたとえ料理人のプライドだったとしても、仕事中でもないし、面倒ごとを運んできたふたりをもてなすだろうか。

だからこれはきっと、不器用なソヨギがゆいいつ発揮はっきする優しさなのではないだろうか? ココネはそういう結論(仮説だが)で、満足することにした。しかし――

ソヨギが本当にウサギの怪物退治に必要なニンゲンなのか、ココネにはわからなかった。



「ソヨギさま、どちらに?」

「…スーパー」

ソヨギが玄関でいているのは、白のバッシュである。昼食の腹ごなしに、買い物をよくするらしい。そこは料理人だからだろうか。

「ココネさんが危険なのですが」

「そっすか。ふぁいと」

「応援されても!?」

やっぱり――

やっぱりソヨギは冷たいニンゲンなのだろうか? そう考えると、さきほど押しとどめた怒りがまた、わきあがってきた。

ココネはソフラの肩を叩いた。

「もういいですよソフラさん。ソヨギさん、迷惑そうだし…」

「いえ、だめです。ソヨギさまがいなくてはなりません。ソヨギさま!」

「俺、ただのニンゲンなんで…」

――バタン。

無情にもドアが閉じられる。

しかしあきらめたココネとは違い、ソフラはまだソヨギに執着しゅうちゃくしているようだ。

「もう! またいつもの悪いクセです!」

「悪いクセ?」

「そうです!」

バッとソフラが振り返る。なんだかストレスたまってる感じで、わなわなしている。

傭兵ようへいごっこです! ですからソヨギさまはいま、報酬を望んでいます! ゲンキンてやつです!」

「傭兵…?」

いや、ごっこて…子供じゃないんだから。

いや…待ってよ? 不器用だと仮定すると、なにかキッカケが必要だから、そんなことするんじゃないだろうか。素直に応じないぶん、自分が動くための理由づけが必要で、ソヨギはそんなことを始めるのではないか?

ふむ、当たらずともなんとやらかもしれない。

「報酬ってどのていどのものですか? まさかお金?」

「いえ、直接的な現金などは要求しません。たとえば…」

カビンの水やり。マンガの時間は静かに。冷蔵庫からマヨネーズ取る。干したふとんを入れる。近場の自販機でジュース買ってくる…ココネは思った。

やすっ!!」

「ですが、たまたまなのです。わたしが考えるとつまりは、ソヨギさまがいままさに必要としているなにか、が条件になるようなのです。報酬を直接要求しないことには、まさに謎解きのような難解さをふくんでいるのです」

「じゃあ…スーパーで買い物だから…荷物持ちとかですか?」

「そ…それはあるかもしれません! ココネさんはなんですか! 読心術どくしんじゅつの心得がおありで!?」

「いや、そんなたいそうなものでは――」

「よし、提案しましょう! ソヨギさまに追いつかなくては!」

と、放たれた矢のようにソフラがドアから飛びだす。ココネはひとり取り残されて、鍵とかかけなくていいのかな? とか、冷静な思考でたちつくしていた。


とりあえず鍵の問題は置いといて、ココネはボロアパートの階段をおりていた。外は住宅街らしい雰囲気である。すぐ近くに小さな公園があり、その角にソヨギとソフラがいた。なにやら話している。

「――という条件ではいかがでしょうかソヨギさま」

「…とりあえずスーパーに行きながら考える…でいいすか?」

なんか商談するかけこみ営業マンみたいである。なんにせよ安い。

ココネが歩いていくと、ソフラがこちらに気づいた。

「ココネさん、スーパーに行くことになりましたが、おつきあいいただけますか?」

「はい」

ひとりになっても怖いだけだ。ここはついていくしかない。ココネは周囲を警戒しながら、ふたりのあとについていく。

住宅街を抜けると、バス通りである。歩道つきだが、道路は片側一車線。昼さがりのためひと通りは多い。そんな歩道を歩いていく。

(まるで学生カップルみたい)

ソヨギとソフラを見ていると、そんな気がしてきた。確かソヨギは大学の三年生。ソフラの年齢は知らないが、だいたいおなじくらいだろう。

「とてもよい天気ですねソヨギさま」

「…すね」

「あ、お花が綺麗ですソヨギさま」

「…食べられます」

「あら、猫さんのアクビです」

「…あったかいから」

はとても大きな箱ですね」

「…大型免許なんで」

「ころっけを食べてみたいのです」

「…イモ揚げです」

うん、なんだろ。いまいち会話になっていないが、ちゃんと成立している感がある。フシギである。

スーパーまでそんな感じで進でいく。昨夜のことが嘘のような平凡さだ。スーパーが見えてきて、あと二十メートルくらいの位置で――ふたりが足をとめた。

ん? となっていると、ソフラがうしろむきでこちらに跳んでくる! かかえられて、ココネは小さな悲鳴をあげた。ふたたびソフラが跳躍ちょうやくし、横にあった狭い裏路地に入った。

「ど、どうしたんですかいきなり!」

「しっ! 魔力です」

「ま…魔力?」

ソフラはこちらの問いには答えず、建物からコッソリと歩道を覗いた。ココネが近づくと、ソフラが隠れながら見るように言ってきた。見る。

歩道のようすに変わりはない。ソフラの動きに驚いた通行人が顔だけ向けているくらいだ。ソヨギは動いてはおらず、さっきの位置でたっている。

しかしその正面に、なにかがあった。いや、いた、だろうか? どう表現していいかわからないが、黒く細長い楕円形だえんけいの物体が、ソヨギの正面に浮かんでいる。

「ラビリオン属ではないですね。タートス属です」

「タートスって? あの黒い楕円形が?」

「ココネさんには視えない? なるほど…まだ魔力が落ちついている時間ですからね。普通は存在を取りまく力しか視えません」

「…ソヨギさんも?」

「いえ、ソヨギさまには視えています。ソヨギさまは普通ではありませんので」

「え?」

あの普通すぎるソヨギが普通じゃない? なんだかまるでトンチのようである。

だがそのことを証明するように、ソヨギはタートス属とやらと会話しているみたいだった。そのソヨギを通行人たちは奇異きいな目で眺めては通りすぎていく。視えないひとにとっては、歩道のまんなかで独り言をしているようにしか見えないのだろう。

しばらくすると、ソヨギがこちらに手招きしてきた。ソフラはココネを抱くようにして向かう。警戒しているようだ。

「…なんか、大変だそうです。以上」

「なるほど。わかりました」

いや、わからないから。ココネはそう思うのだが、ソフラは力強くうなずいたりする。さっきも感じたが、ふたりの世界観はできあがっているようでだった。

とにかく、黒い楕円形が移動を始めると、それについていく動きのようだった。ブキミさはあったが、ソフラに守られているため不安はなかった。

行くつもりだったスーパーを通りすぎ、しばらく進むと、四階建てのビルのスキマに入っていく。完璧な裏路地は薄暗く、空気はどこかよどんでいた。わきにあるゴミ箱や、酔っぱらいのだしたものなんかをよけながら、どんどん進んでいく。ココネも知らない道だった。だいたいがビルの裏手みたいだったが、少しさきに住宅街に行けそうな道路が見えた――そこで、黒い楕円形がとまった。

黒い楕円形は姿が変わった。まんなかで曲がると、マンホールのフタを開ける。え、まさか下水道におりるとか? スゴく嫌。

「…はぁ、したに住んでると」

がまだまだあるのですね」

ウィーヴ? ココネは聞こうとしたが、やっぱりやめた。たぶん見たほうが早いだろうと判断したのだ。

黒い楕円形がマンホールに消える。続いてソヨギがぴょんっと跳んで入った。いやいや、下水道ってそんなに浅くないよね?

「行きますよココネさん」

「はい?」

ソフラがココネを抱いたまま、ぴょんっとマンホールに跳んだ。いやダメだって! ぜったい痛いって! とか言う暇はもちろんなかった。ココネはぎゅっと目をつむった。落下感をあじわいながら――それはすぐに終わる。

――痛くない。ていうかあれ? 下水道って水が流れてるんじゃないのかな?

ココネはおそるおそるまぶたを開いていった。

「う…そ…ほんとに?」

下水道におりたはずのココネのまえにあったのは――

――ごちゃごちゃとした商店街に見えた。



そこはまるで、古い家屋が積み木のようにされた商店街のようだった。読めない文字の看板と、なんの店かわからない建物が、これでもかと密集している。ごちゃごちゃとしたさまはまるで、発展途上国にありそうな景色である。

野球のドームのような空間で、広さはかなりあった。地下のようで空はないが、かといって土の壁もなく、洞窟にも見えない。上空は暗いというより黒いようだった。

そして、往来おうらいしているのはニンゲンではなかった。イヌとかネズミとかヒツジとか、動物をニンゲンぽくしたらこんな感じ? みたいなのがたくさん歩いている。どこに向かっているのかわからないが、ココネには見えない地下通路みたいのがあるのかもしれない。

ココネが絶句ぜっくしてその光景を見ていると、ソフラがささやくように言った。

「ウィーヴとはつまり、モンスターの巣です。こちらに流れてきてしまったモンスターたちがい、この世界で生き抜くために作られた、いわば避難所です。ここでは魔力を外部にださないように魔力で壁を作り、モンスターもしくはマジックアイテムから流れる魔力を循環じゅんかんさせ、モンスターたちにあたえられる、または壁への供給きょうきゅうをし、この状態じょうたい維持いじしています」

――という、ソフラの説明は難しかったが、ココネ的に浮かんだイメージは農村だった。自給自足の生活。しかも村以外とは接触をっている、えらい昔に村八分むらはちぶという言葉があったりした農村である。ただ、気になったのはだった。

「アイテムってなんです? まさか呪いの…とか?」

浮かんだのはワラ人形だった。が、違うらしい。

「こちらの世界ではアニミスと魔力は混合こんごうし、ひとつとなっています。なのでおもに食材や自然物から抽出ちゅうしゅつ可能なのです」

??? いまいちピンとこない。

そうこうしているうちに、さきに入って姿がなかったソヨギが、モンスターの往来からでてくる。

「…なんか、ヤボ用っす」

「わたしもお力添ちからぞえを?」

「…頼みます」

どうやらそれにはココネもつきあう感じらしい。でもそれは、逆にありがたいことだった。このウィーヴのなかはモンスターだらけである。このなかにブキミウサギみたいなモンスターがいたら…そう考えると、外もここも、安心なんてできない。ソフラがいてくれないと、怖いくらいだった。

「…じゃ、ついてきてください」

ソヨギがモンスターの群れに歩いていき、ソフラに抱かれながらあとに続いた。

ウィーヴを往来おうらいするモンスターたちを横目に歩く。モンスターはだいたいがフードつきのローブを着ていて、その素性すじょうを隠しているように思えた。ココネのような視えるひとへの、対策なのかもしれない。

それにしても…と、ココネはソヨギを眺めた。どこに向かっているかわからないが、ソヨギはスタスタ歩いている。モンスターの数は、「駅前のお祭り騒ぎ」くらいの濃さであるにもかかわらず――まるでモンスターがソヨギを避け、道をゆずっているようにすら見えた。

(普通にしか見えないのに、普通じゃない…よくわからないなぁ…)

ソヨギもひょっとしたら、ソフラみたいにスゴい技とかあるのかもしれない。と、

「…いた。あ、すんません」

「気をつけろぼけ!」

肩がぶつかったモンスターにペコリとするソヨギ。うん…普通だ。やっぱり普通だ。

とにかくモンスターの往来おうらいを抜けて、たどり着いたのはひとつの店だった。看板は見たこともない文字で書かれ、なんの店かわからない。入る。

「うわぁ…!」

ココネは思わず感嘆かんたんの声をだしていた。店構えからは想像もつかないほど、広かったのである。

しかもキレイ。造りは洋風で、西洋の洋菓子店みたいにオシャレ。木造で白いペンキががれているが、逆にアンティークさがでていてイイ。蔓草つるくさがかかっていたり、出窓からは陽射しが入りこんでいるのが神秘的。小さなプランターにはカワイイ花が咲いていて、そこかしこにある。テーブルとイスも洋風。こんなカフェか洋菓子店があったら、すぐに話題になりツィート拡散しまくりである。

「…こんちわー」

…が、ソヨギの挨拶で店の奥からでてきたのは、あんまり店の雰囲気にあってないキャラだった。

カメである。カメをヒト型にしたらこんな感じだろうという、しかもパティシエの格好をしたカメだ。

「さきほどのタートス属ですね」

「あ、タートスって亀? いや、トータスじゃなくてですか? タートル? ん? タートルトータス…タートス?」

「…とりあえずアッチのセンスなんで」

ソヨギに言われて、なんとなく納得する。あの次元門エルシアの、向こうにある世界のセンスなんだろう。つまりこちらの常識は通じないのだ。カメが一礼いちれいした。

「コチラヘドウゾ、ヨロシクお願いします」

困り果てた顔をしている。手を組んでモジモジしたようすだ。それよりもココネは気になった。

「イヤな感じがしない…」

カメのモンスターからは、昨夜のブキミウサギみたいなイヤな感じがしなかった。怖くない。コスプレしたニンゲンみたいに、ただ見た目の違和感だけだった。

「魔力が安定していれば、モンスターも害はないのです。ラビリオン属も飢餓でなければ、温厚なのでしょう…おそらくは」

カメにうながされ、ソヨギが店の奥に向かう。ソフラと一緒に続く。

(難民…)

ソヨギの説明にあったワードが浮かんだ。

ソヨギがなぜ難民と例えたのか、ようやくわかった気がした。彼らはただ巻きこまれ、こちらの世界にきた、ということなのだろう。この住みにくい世界にきて、彼らは飢餓と戦っているのか…つまりは被害者。

(でも、それならなんできちゃったんだろう…わざわざ住みにくい世界に)

ココネはわからなかったが、とりあえず店の奥に進む。

店の奥は住居のようだった。フローリングにテーブルとベッドがあり、店内と変わらない雰囲気だ。ドアもあるが、そこは厨房だと思われる。

カメがベッドに向かった。三人も向かう。ベッドには小さなカメが寝ていた。熱でもあるのかひどく汗をかいている。しかもうなされていた。病気なのかもしれない。ソヨギが解説する。

「なんか、一昨日おとといの夜にこのウィーヴに新参モンスターがきたらしいっす。んで、ハデに暴れたとか」

「ハイ…見たこともないラビリオン属でシタ。ようすがおかしく、武器を振りまわしておりまシタ。サイワイなことにウィーヴが破壊されることはなかったのですが、ウチの子が斬られてしまい…ケガは浅いので安心していたのですが、とつぜんこのように苦しみだしまシテ。もうどうすればよいのか…!」

うっ…うっ…と、カメが涙を流している。見た目はブキミだが、悲しんでいる姿に心が痛む気がした。

「メガ美さん、診察」

「はい」

ソフラが離れて子ガメに近づいた。まずオデコを触る――そしてその触れた手が、銀色に輝き始めた。例のフシギパワーだろう。ソフラはスキャンをするように、全身にその手を移動させていく。足のさきに到達とうたつすると、銀色の光は消えた。

「はい、終わりました」

「…どうすか?」

「魔力が乱れています。斬られたというより、おそらくラビリオン属が振るっていた攻撃というのは、魔力による魔技まぎだったのではないでしょうか」

「まぎってなんですか?」

「魔力による攻撃です。効果はさまざまにありますが、この症例しょうれいからすると不完全な心奪系ハートレイトの魔技のように思います。本来のハートレイトによる効果は心を支配し、操ることにあるのですが、不完全なために心と体をつなぐ魔力が乱れてしまった――そのように思います。つまりは…」

「…情緒不安定じょうちょふあんていみたいなもんすか。ま、精神の不安定ってのはいろんな症状でますからね。ドキドキしたり、アセアセしたり」

「アセアセって?」

というココネの質問は無視された。

「情緒不安定とはことなりますが、なにせよ魔力が乱れているのが原因です。まあでも、心と体の不整合と似ていますので、魔力が安定すれば治るやもしれません。魔力の減退も見受けられます」

「なる。栄養失調的な」

「はい。それがもっとも近いかも。すみません、あまり見ない症状なもので」

「…ま、やれることやればいんじゃ? じゃ、行ってきます。やれること、やってください」

「はい。ラビリオン属の活動範囲であるならば、接触もありえます。どうかお気をつけて」

ソヨギがてくてくと店からでていった。

ココネはなにがなんだかわからずに、キョロキョロするしかない。

「ソヨギさまにお任せします。あなたはタートス属の?」

「メィカーです。息子はハメハ」

「メィカーさん、ここに現れたラビリオン属について、くわしくお聞かせください」

「わかりました。では属長ウィーヴァーであるキャティリオン属にお会いくだサイ」

なにがなにやら――といった感じで話が進んでいく。ココネはまるっきり置いていかれていた。

ソヨギとソフラはなんなんだ?

わたしが普通に暮らしているすぐ近くで、こんな意味不明なことをやっていたのか。

このモンスターたちだって、こんなにココネの日常の近くで生きていた。

わたしはただ、なにも知らないで生きてきた。平凡な日常のすぐそばに、こんなことをしているひとたちがいた。こんな意味不明な世界が存在していた。

「ココネさん、ウィーヴァーに会いにいきます。いきましょう」

「あ…うん。あの、わたし…ハメハくんのそばにいてあげても?」

「え。かまいませんが、不安ではありませんか?」

「不安だけど、なにか、できないかなって…メィカーさんお店を休業してません? お子さんが心配だからじゃないかなって。わたしが診ていれば、お店できますか」

外にはあれだけのモンスターがいて、店は開いているのに客がいないというのは、たぶんそういうことだろう。魔力とやらをやりくりして存在しているウィーヴという場所だけに、食材から少ない魔力を抽出しているだろう飲食店は、貴重な存在のはずなのだ。

「なるほど、ココネさんはとてもお優しい…! いかかですメィカーさん?」

「とてもありがたいお話デス。ですが、いいのデスか? ここはモンスターの巣、あなたはニンゲンです。キケンがあっても、わたしはタタカえません」

それはとても怖い話だったが、でも、ソヨギとソフラを見ていると、ただの被害者であることが恥ずかしくなっていた。自分だけが困っているわけではない。この子供だっておなじで、さらに自分よりひどい状態になっている。だから、自分だけが被害者面をしてはいられなかった。

「はい大丈夫です。なんか、モンスターさんにもいろんなひとがいるなって、わかったから…」

すくなからずタートス属は怖くない。というかニンゲンと変わらずに、子供の心配をする親にしか見えない。

(ニンゲンにだって善人と悪人がいるんだもん。そういうことだねソヨギさん?)

なんにせよ、このウィーヴにくることになったのは、ソヨギの策略さくりゃくなのではないかと思っている。

ココネは笑顔でソフラを送りだした。

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