隔世清算
ジリリリ ジリリリ
無機質な時計の音が覚醒を促す。
時刻は七時。
会合の時間から逆算すると、時間をかけている暇はあまりない。
朝食、身なりの整頓など最低限の準備を済ませると部屋を出た。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「おはようございます」
「来たな、じゃあ始めるぞ」
僕がいれた挨拶に返しもせず、即座にミーティングを始めたのは職場の先輩ーーーーーー奴隷管理局総務課対策班に所属しているさっぱりとした雰囲気の女性である。
身長は僕より頭一個ぶん小さく、声は低め。喫煙者。
職務に対して勤勉で、仕事中たまに眼鏡をかけることがある。
この仕事に就いて一ヶ月、僕がこの人について知っていることはこの程度だ。
「今日のお前の仕事は監視だ」
そう言うと、先輩は男の写真と幾つかの書類をこちらに差し出した。
僕が写真から最初に感じたのは見窄らしさだった。
年齢は恐らく中年期から高年期。
皺だらけのジャケットによれたシャツ、据わった目に深く刻まれた隈。
悪い印象を挙げればキリがない。
「この人、何かしたんですか?」
「何かされると困るから監視するんだ」
先輩は書類を僕に見るように促すと話を続けた。
「この男は一週間前に管理局へ融資の依頼のために来た。だが、書類を見れば分かるようにそいつは会社を経営してる訳でもないし、利子を払えるような蓄えもない。
返せもしない金を借りに来て、管理局は昨日百万程度を貸すことを決定した。その理由は分かるか?」
「人権担保型の借金・・ですね」
「そうだ、西側育ちでもこれくらいは知っているようだな。
この制度は賭けで軍資金が足りなくなった客がよく利用して、ほとんどの場合そのまま奴隷になる。今回の男もその類だろう。まあ、東側じゃよくいる」
「借金が返せなくなって自棄になる前にこの男を確保する、というのが今日の僕の仕事ってことですか」
「借金が返せなくなって、というより遊べる金がなくなって、というのが正しいな。
手ぶらで管理局に借金する奴は、既に追い詰められていて、基本的にもうどうしようもなくなってる状態だ。
最期にタダで享楽に浸ろうって考えで金を借りに来る。
金がなくなってくると周りに難癖付ける奴や、自殺を図る奴が出てくるから、それを防ぐ為に監視が必要になる。いつもなら実動班に任せるんだが、新人に必要な経験として今日はお前に担当してもらうってことだな。
何か質問はあるか?」
「監視する期間はどのくらいでしょうか?」
「対象を確保するまで・・と言いたいところだが安心しろ、あまりに長引くようなら交代する。恐らく百万程度じゃ一日しか保たないだろうがな。
他にも何かあったら連絡してこい」
単独で行う初めての仕事が付きっきりの監視とは、なかなか神経がすり減りそうだ。だがこのくらい完遂出来なければこれから先、職場に馴染んでいけないだろう。気を引き締めなければ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
薄暗がりの中で、男が向かい合ってテーブルについている。
二人の様子は対照的だ。
一人は焦燥に駆られ勝負をし、もう一人は泰然として挑戦を受ける。
富者の山はうず高く築かれ、貧者の塔では見劣る。
こちらはツーペア、あちらはスリーカード。
勝者がいて、敗者が発生する。
これで通算四勝八敗、持ち金はおよそ四分の一にまで減っただろうか。
対象を監視してから十時間、彼はカジノから一歩も外に出ていない。
十時間ぶっ続けでスロット、ルーレット、ブラックジャック、そしてポーカーと節操なしに手を出している。
スロットとルーレットでは負けが込んでたようだが、ブラックジャックでは大勝ち。それに気を良くしてポーカーをやり始めたが振るわず、といったところだろうか。
長時間目を離さないでいることよりも、カジノという混沌とした場にいることに疲労を感じる。
娯楽の多い東側で働く以上、こういった熱狂と転落の空気にも慣れなくてはならない。
対象と僕の距離はおよそ十メートル。この距離ならば例え人混みの中だとしても見失わない、仮に見失っても位置は追える。
彼の左腕で鈍く光る腕輪。人権担保型の借金をした者全員に着用が強制される腕輪に内蔵されたGPSに従えば追跡が可能になる。
腕輪を壊すのは御法度であり、外そうとするなら手首を落とさねばならない。
もし手首を切断するならば、それなりの道具や設備が必要なので、この場所では恐らくありえない。なので見失って逃げられてしまうこと考えるよりも、対象の状態を考える方が有益のはずだ。
遊戯の種類が何であれ、このまま対象が賭けを続けていれば所持金が尽きるのは時間の問題、そうなれば返済の意思はないと見做し、僕はただ確保をすればよい。抵抗するようなら拘束をする。
出来ることならば、このまま何も起きずに確保と行きたいが・・・きっとそうはならないだろう。
借りた金が尽きて確保されれば、それは彼の人権が剥奪されることを意味する。要するにケアリナ所有の奴隷になるということだ。奴隷になって労働するのは御免だ、と確保のとき一悶着ある可能性は高い。
だが、恐らく労働や従事は課されない。
彼の身体は解体されて臓器や血液をストックに回される。彼の身体で値段がつけられるとすればその点のみだろう。
管理局が労働力になりそうもない人間に金を貸したのは、珍しい血液型の臓器をストックするため。それには対象を無傷で確保することが必要不可欠・・・責任重大だな。
突如、テーブルからの歓声。
彼は第十三戦目で敗北を記録したようだ。その後、テーブルを拳で叩きつけ賭けの席を立った。
相当苛ついているな、誰かにぶつかりでもしたらそのまま喧嘩に発展するかもしれない。ここは注視しなければ。
彼自身の荷物である大きめのショルダーバッグをぶっきらぼうに連れ回し、人混みをせかせかと歩いてゆく。
また新しいギャンブルをするつもりならば僕がする事は今までと同じだが、カジノを出る場合一人では状況が大きく変わる。その場合は先輩に連絡してみよう。
落ち着きなく賭けの場を覗いているため、外に出ることはないと思うが・・・
・・・二十分ほど経っただろうか、対象は辺りを見回しながら、まだカジノ内を歩き回っている。良い賭場が見つからない、という動きだけではない・・?所持金の少なさがそうさせているのだろうか?
それとも何か予想外のことを?
この状況での推量にも限界があるな。
それよりも突然逃走する、暴れる、といった行動も考慮にいれ、如何なる状況でも迅速に対応する、という考えがベストのはずだ。
そうこうしている内に状況に変化が生じた。
彼が歩みを止めたのだ。そして足先を向けたのはトイレである。
流石にトイレの個室までは入れない。居場所はGPSで追跡可能であるし、このカジノのトイレに窓は無いため入り口を張っていれば逃走の危険はない。
そういえば、彼はカジノに入ってから一度も用を足してはいなかったな、十時間トイレに行かずとも賭けを続けることなんてできるものなのだろうか。
まあ、どうでも良いが。
なんにせよ、対象が出てくるまで監視は不可能だ。待つしかない。
・・・・・・・・・・
彼がトイレに消えて四十三分経った。
この時間が排泄の所要時間には長い、ということに対して疑いの余地はない。
監視の対象が視認できない状態が長時間・・不味い状況だ。
自身の想定をすり抜ける事象がいつのまにか発生しているような、ジットリとした焦燥、不審、欺瞞。
思考を怠っていた訳ではない。
無論相手がどんな行動をとるかはずっと考えていた。
しかし彼がGPSを誤魔化す方法がどうしても思いつかない。
切断?
仮に手首を落とす方法を採用したとしてもある程度の設備や道具は必要だ。設備はもちろん、ノコギリといった道具もあの大きさのバッグには入らない。
であるならば、溶解、すり抜けか?
いや、腕輪は特殊な合金製であるはず。そもそも容易にすり抜けられるような設計ならばこの制度は成り立たない。
いよいよ電子端末に表示される点滅でもこの不安はもう拭えなくなった。トイレに入った時点で先輩に指示を仰ぐべきだったのだ。
もう形振り構っていられない。
長い間睨めっこしていた追跡端末を乱暴にポケットに入れると、足早にトイレの個室へ向かう。
何人かの視線を尻目に対象がいるはずの座標の個室まで来た。
あとは扉を開けるだけだ。
扉に手を掛けた瞬間、違和感に気づく。
なぜ僕は扉が開くと思っている?
そもそも中に人がいるなら鍵が掛かっているはずだ。それならば、事情を話してカジノ側の人間に鍵を開けてもらうことが必然のはず。
そんなことすら思いつかない。
いや、無駄だと直感してしまっていたのだ。
もうこの個室の中に監視対象はいないということに。
数瞬後、直感が正しいことを嫌でも実感させられた。
個室の中では、彼のショルダーバッグが口を開けたまま首をもたげ、所在なさげに佇むばかりだったからだ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
時刻は夜、繁華街。
大勢の人が自らの目的の為にここにやって来ている。流行りのレストラン、近頃オープンしたブティック。この場所には人を引き寄せる魅力的な店が数多くあるが、今宵の人々はどうやら車道に興味を向けているのようである。
平時以上に人が多く、喧騒に塗れた通りを離れた車中から観察する影が二つあった。
一人はひどく憔悴して俯き、もう一人は煙草を燻らせたまま、助手席の彼の様子を脇目に件の喧騒を眺めていた。
「先輩・・僕がミスしてしまった所為でこんなことになってしまって、本当に申し訳ありません」
彼女はそれに答えず、ハンドルに掛けたままの指を一定のリズムでタップさせるのみだった。その行動がどんな感情に因るものなのか彼には皆目見当がつかない。
「・・・・・・何にだ?」
「えっ?」
いつの間にだろうか。指の音は止み、刺すような視線が彼に向けられている。
「何に対して謝罪しているのか、と訊いている。答えろ」
彼女の表情は先程から少しも変わっていないが、語気の鋭さは数段も増していた。
「・・監視の任を全うできず、あまつさえ事態をここまで大きくしてしまったことに対して、です」
「そんなもの当たり前だろ。
お前が謝罪すべきなのは自身の能力で遂行が可能だったはずのタスクを逃したことだ。
今回の件で予期できなかったのは監視対象が腕輪を外すことを計画し、最小限の道具を用いて肉と骨を削ることによりそれを成功させたこと。腕輪は腕輪自身に対しての衝撃や破壊行動に対しては過敏に反応するが、それ以外には反応しない。
その点を突かれ血の滑りと手の体積減少によってGPSを外されたことだろ。
新人のお前にはこの点の推察は荷が重い。
だが、その後の変装に気付けないのはどうしようもなく度し難い。
発見されたバッグの大きさから考えてそれほど大それた変装できなかったはず。ならトイレから出てくるときに気付けたはずだ。
違うか?」
・・・確かに、腕輪を過信していた
僕に腕輪のすり抜けを考えるのは難しかったとしても、僕の前を奴は通ったんだ。出口は一つしかない。
それに気付けなかったなんてありえない。
「その通り・・です」
彼が絞り出すように呟くと、車内は重苦しい沈黙に包まれた。
換気の為に開けられた窓からは夜の街の騒がしさが絶え間なく車内に提供され、車内からは煙、そして灰が時おり外へ放り出される。
喫いかけの煙草が尽きるほどに時間が経った頃、彼女が口を開いた。
「だが、お前の落ち度はそこまでだ。
その後の展開は不運だったな。監視対象はカジノから数キロ逃げ回ったあとに車に撥ねられてお陀仏。
もちろん金が回収できる要素はグチャグチャの台無し。そのうえ撥ねた車はガチガチの高級車と来たもんだ。
唯一良かったのは一般人にケガ人が出なかったことぐらいかね」
・・・・僕のミスのせいで管理局に生じるであろう経済的損失は甚大なものだ。さらに監視対象から逃げられた、ということで管理局の名にもキズがつくかもしれない。
こんな大惨事を起こした僕はどうなる?
罰金?謹慎?いや、免職・・・・
駄目だ。考えれば考えるほど事態が重くなる。このままでは僕は・・・・・
「ーーーーーーんだが、お前はどうする?」
「・・あ、すいません先輩。聞いてませんでした」
「・・お前な、思いつめ過ぎ。
もういい、部屋で謹慎しとけ。今のお前じゃ役に立たん」
「はい、分かりました・・・・先輩は何をするつもり、ですか?」
「集金だよ。今回のオッサンは人保型にしては珍しく連帯保証人を捕まえてるからな。損失補填だ」
「ああ・・確か十数年前に離縁した監視対象の息子、でしたね。
でも連帯保証人から回収できるのは債務者が借り入れした金額だけですよね?
彼は名義的にはケアリナ所有の奴隷になっているんだから、彼が原因で周囲に生じた経済的損失は管理局が負担するわけで・・・」
「落ち込んでると思ってたらよく喋るなお前は。金額的に全然足りてないのは百も承知だよ。損失補填っていうのは『もしかしたら出来るかも』程度の話だ」
「・・・?すいません先輩。言ってることがよく分からないんですが」
「監視対象逃走の連絡があった後で、情報課に追加で依頼したことだからお前が分からないのも無理はない。
これからするのは連帯保証人、つまりオッサンの息子の話だ。
彼と結婚五年目の妻との間に子供が生まれたらしいんだが、救急車で入院してから一ヶ月。
妻も子供も未だに退院していない。
不妊治療をしていた記録もあるし、妻と子供に何が起こったにせよ、彼にはショックな出来事に違いない」
「・・・?」
「鈍いなお前は。
そこで奴隷を売り込むんだ。最悪の場合、彼は五年連れ添った伴侶と念願の子宝を喪う可能性がある。
もしそうなった場合、寂しさを埋めるため奴隷の購入・・は金銭的に厳しいとしても、賃借は考えるかもしれない。
家庭を捨てた親父の借金の後始末ってことで来た私たちを疎ましく思うだろうが、様子を見て話を持ちかければ可能性はあるはずだ。東側育ちだから奴隷に対する抵抗感もさほどないだろうし」
「でも先輩、それはかなり不謹慎、というか・・」
「まあな。でもやるしかないだろ。
少しでも損失を埋めないと私だってどうなるか分からないからな。形振り構っていられない」
先輩の言う通りだ。
僕が管理局に在籍し続ける為には集金に奔走して損失を埋めるしかない。
可能性がある限りビジネスチャンスには食いついて行かなくてはならない。
でも気が進まない。
こんな事態になったのは自分の所為で、こんな思いを持つのは間違っているとは分かっている。それでも彼の心情や状況を考えると躊躇われてしまう。
家を捨てた父親の借金を肩代わりしなくてはならず、妻子は危険な状態にあり、さらには借金の取立て屋からは商売の話をされる。
どう考えたって心中穏やかじゃない。そもそも債権の回収だって今すべきじゃないのに。
・・こんな場違いな良心なんて失くしてしまった方が良い。仮に管理局に居続けられたとしても、仕事を全うできないだろうから。
ーーーーーーーーーーーーー
車内での会話の後から部屋で謹慎して三日目の朝。僕は先輩から呼び出され件の連帯保証人の元へ来ていた。
東側は西側よりも富んでいるという印象が強かったが、ここはケアリナの東西を分ける山林地帯に近い住宅地であり、豪奢な邸宅というよりも中流階級らしい住宅が並んでいた。彼の住まいも平均的な二階建ての一軒家であるが、庭に置いてある幼児向けの三輪車やアスレチックが印象に残る。
事情を知ってしまっているからだろうか。明快な色は燻み、丸っこいフォルムは今にも消えて無くなりそうな気がした。
「初めに言っておくぞ」
今日の彼女は眼鏡をかけていた。
僕の勝手な印象かもしれないが、先輩は眼鏡をかけるとスイッチが切り替わる。
会合をするときや他の班へ助っ人をしに行くときなどに眼鏡をかけることが多く、そのときの彼女の雰囲気は聡明で冷ややかになり、普段の言葉づかいが途端に似合わなくなる。
「お前をここに連れて来たのはお前が当事者だからだ。
今回の件がどんな結果になるにせよ、結末には立ち会わせる。私がそう決めたからだ」
「はい。分かってます」
「私はこの数日間、連帯保証人について現地で調査した。
その結果から言うぞ。
おそらく今回の損失の補填は可能だ」
「・・・え?」
「そしてこれは命令だ。この家の中で私が何を話そうと、何をされようと黙っていろ」
僕は言葉の真意を訊こうしたが、先輩はそれを待たずに家の呼び鈴を鳴らした。
きっと数秒足らずに家主が出てくるだろう。
如何なる手段で、どのような言葉で彼から
必要以上の金額を引き出すのか。
そのビジョンが見えているのは先輩だけだ。
「お早うございます。先日お電話させていただいた管理局の者です」
「・・・あぁ。分かってる、早く入ってくれ」
ひどく不幸そうな男が出てきて、僕達を家へ招き入れた。
頰はこけ、目元には暗く深い隈が沈んでいる。肉体的にも精神的にも疲弊していることは明らかだ。
僕達をリビングのテーブルにまで誘導すると彼は口を開き始めた。
リビングにはベビーベッドが置いてあり、その上にまとめられた幼児向けのおもちゃや衣服が目に付く。
「それで、アイツの借りた金を返すって話だったかな?
まったく、急に人の家に来たと思えば保証人になってくれ、自分の体で返すから大丈夫だ?ふざけやがって・・・」
誰に言う訳ではなくブツブツと呟く姿は見ていて痛々しい。
「金なら払う。契約書でも何でもサインするから、早く出て行ってくれないか。アンタ達の相手してる場合じゃないんだ」
「ええ、心得ております。
病院でございますね。奥方とお子様は大変お辛い目に遭われてるようで。こちらも胸が痛みます」
「・・・知ってるんなら話は早い。
用事を済ませてさっさと帰れ」
苛立ちを覚えた声はより低く僕たちを威圧し、怒気を含んだ視線は射殺さんばかりの鋭さを有していた。
「ええ。私共としても、商談の進行は早い方が望ましい。
ですので単刀直入に申し上げます。
奥方の生命維持に必要な臓器。管理局でお買い求めになるのはいかがでしょうか」
「・・・!」
なるほど、と思わず呟いてしまいそうになった。
膨大な数の奴隷を抱える管理局にとって臓器や血液の売買はメジャーな収入源だ。
彼の妻がそこまで危機的な状況に陥っていることは気の毒だが、これなら彼女を救うことができるし、僕達は損失を補填できる。
しかし・・・・
「なんだ、そこまで調べたのか。
じゃあ俺にそんな金がないことも知ってるだろ。妻は肺や腎臓に肝臓、胃や腸だってもうまともに働いていない。
アンタ達のところのカタログを見たがとても払える金額じゃない」
「ええ、ええ。存じております。
お子様達を取り上げる為に帝王切開を行った後、子宮が弛緩出血を起こしDICを発病。
容態はそのまま悪化の一途を辿り、最後には多臓器不全と診断された・・・宜しいですね?」
「あ・・あぁ。その通りだ」
現在置かれている状況を徹底的に調べられていること知り、少し呆気に取られているようだ。
そういえば、子供はどうなっているんだ?
先輩から聞いた限りではまだ入院しているはず。妻と同じ様な状況なのだろうか。
「確かに、あなたの経済状況ではこれだけの臓器を購入するだけの金額は払えないでしょう。管理局としましてはそのようなお客様に対してのプランも用意していますが・・今回は別の案を提示しに参りました」
「別の案・・?」
「ええ。こちら側の要望を受け入れていただければ、特別に値下げをする。という案でございます」
「それは本当か!?
その要望っていうのは一体なんなんだ?」
声色が一気に明朗になり、表情にも光が射した。彼には喜ばしいことなのだろうが、値引きなんてして大丈夫なのか?
話が成立しても損失分には全く足りない、なんてことになったら笑えもしないぞ・・・・
数秒後、僕は自身の考えがどれだけ的外れなものだったのかを知ることになる。
それほどに先輩の声は落ち着いており、その言葉は僕の知識と常識からはかけ離れていた。
「この度誕生したあなた方のお子様達・・・いや、お子様と言うべきでしょうか。
それを管理局に譲って欲しいのです」
「・・・は?」
希望の色が滲んでいた彼の顔は、一瞬にして困惑に支配された。
この人は一体何を言っているんだ?
確かに、管理局は一般家庭の一歳未満である児童の引き取りを行っている。
しかしそれは経済的困窮により扶養が不可能と思われる場合。
児童が犯罪被害によって生じており、その存在を実親が望まない場合。
児童の扶養が不可能と思われるほど、実親の人格に問題があると判断される場合、といった特定の場合のみだ。
今回はそのどれにも該当しないはず。
そもそも引き取って何の得がある?奴隷の供給は滞りなく行われているはずだし、普通の子供がそこまでの利益を生み出せるとは到底思えない。
彼だって苦労の末に授かった子宝を譲るなんてことしないはずーーーー
「・・・そんなこと、出来るわけないだろ」
長い沈黙の後に絞り出した言葉は弱々しく静寂に吸い込まれた。
どうして?
どうしてこんなにも語気が弱々しいんだ?
まず彼は怒るべきだ。
理不尽な条件に対してそんなもの選べない、と叫ぶはずだ。それが普通のはず。
彼からは怒気が少しも感じられない。呆気に取られていた訳でもない。
今の沈黙はまるで、嵐の如き葛藤の末にようやく言葉を選び取ったような・・・・
まさか、もうすでに切り捨てるという選択肢が彼の頭に浮かんでいる?
切り捨てるべきか、そうするべきではないのか、という葛藤の末に出た言葉なのか?
「何故怒らないのです?」
「・・・え?」
「私が提示した条件はあなたにとって大変酷なもの。
胸ぐらでも掴み掛かられるかと思って冷や冷やしましたよ」
「それは・・」
「もう答えは出てるんですよ。
あなたは即座に否定しなかった。我が子を差し出すという残酷な提案にね。
答えを言い淀むのは迷うから。
そして迷うのは実現可能な選択肢を与えられたときです。
あなたは先ほど提案を否定されました。でも我が子を捨てるという選択肢自体は候補に挙がってるんですよ」
「違う・・・俺は、俺は捨てることなんて考えていない」
目に見えての狼狽、焦り。
何をうろたえる必要がある。
ただ否定すれば良いだけだ。不躾な発言に対して怒れば良い。
親として堂々と言い返してやれば良いだけなのに。
「あなたの考えは至極真っ当なものです。長い間連れ添ってきた妻とあの見るに耐えない子供。
誰だって正常な方を選びます」
瞬間、彼が立ち上がり先輩に詰め寄る。
「お前が・・お前なんかが知ったような口を聞くな。どんな子供であれ、あいつは産みたいって言ったんだ。それがあいつの望んだ人生なんだ。侮辱するんじゃない」
「でもあなたは反対した。
お隣さんから聞きましたよ、なかなか白熱した話し合いだったそうで。
あの子供を育てきるには相当な覚悟がいる。あなたの奥さんにはその覚悟があったみたいですがね。
あなたはどうですか?」
「そんなの、あるに決まってるだろ」
「それは何より。
でも、それは本来なら無くて良いもの。
あなた方がかつて夢見た家族写真にアレは存在しなかったはず。
分かりませんか?
今ならその情景を理想のものにできる」
「・・・っっ」
「私達なら提供できますよ、あなた方と血液型が一致した子供達を。
手術痕や義肢をつけることだって可能です」
「ふざけんな、そんな・・そんなこと・・」
「決めるのはあなたです。
ですが、お早めの決断をおすすめしますよ。
あなたのお母様だって、こんなにもお孫さんを楽しみにしていらっしゃるのですから」
指差した先にはベビーベッド。
その上にある小さな衣服、おもちゃ。
早とちりなおばあちゃんのおくりもの。
それが決定打になった。
彼は膝から崩れ落ち、放心するのみ。
こんなの酷すぎる。彼がどんな決断をしたって彼の心は救われない。
これからの未来、この家族に真っ当な幸せなんて訪れないじゃないか・・・・
家から出るとき、庭にある遊具を見ることができなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「これで・・これで良かったんでしょうか」
「損失を補填できるんだから、良かったに決まってるだろ」
雑に眼鏡を外しながら、ぶっきらぼうに彼女は応答した。外した眼鏡を懐にしまうと、車の空調を全開にして煙草に火をつけた。
「そもそも一般家庭の子供にどうやったらそこまでの価値が?
ここまでして結局ダメでした、なんてことがあったら彼があんまりですよ」
「んー、そこは問題無いと思うぞ。
専門の蒐集家がいてな。なんていうか、人体の造形の神秘ってのに魅せられた金持ちどもが。
そいつらが情報交換や売買をしているコミュニティがあって、特別な身体的特徴を持った奴隷を求めるメッセージがコミュニティから時たま送られてくる。
今回はこういう条件の赤子がいるが、買いたい人物はいるか?と管理局から送ったところ数人から返信が来た。
あとはそいつらと価格交渉をすれば良い。もっとも、最低提示金額の時点で今回の損失補填には充分な金額だったがな」
「・・なんて非道い、悪趣味な・・・」
唸るようなエンジンの音がして車が走りだした。彼女は尚も話し続ける。
「まあそう言うなよ。その悪趣味な人達のお陰で私達は助かったし、彼は妻を助けられるかもしれない」
「先輩、かもしれないってどういうことですか。必要な臓器があれば助けられるはずじゃ・・」
「馬鹿だな、お前は。
臓器があることと助かるのは別の問題だろ。手術が失敗するかもしれないし、そもそも手術に身体が耐えられるかどうかも分からない。
まあ、そこら辺は私達の与り知らない領域の話だ」
「じゃあ、彼は家族をみんな喪う可能性があるってことですか。ここまでの決断をしたというのに、そんなのってあんまりですよ」
「いや、おばあちゃんいるからな?
でもまあ、実際かなり酷な状況だよ。妻は瀕死の状態で、その妻がやっとの思いで産んだ子があれじゃあな」
「・・・そんな状態って分かってるなら、なんでこんな提案したんですか」
「現実的だったからに決まってるだろ。
提案を持ちかけたときに、こっちが望んだ通りの決断をする。それが調べてて確信できたからな。
利用しない手はない」
ここまで、彼女の受け応えは無味乾燥といったところ。言葉の端から感情が読み取れない。
だから彼は問いかけた。
「・・・貴方は・・貴方はどう思っているんですか。今回のこと」
「そりゃあ胸糞悪いに決まってるだろ。
でもやらなきゃな。私は辞めるわけにはいかない」
この言葉も先ほどまでと同じ様に、軽く車内に響いた。
しかし少し違う点があった。
それは表情であり、語気の強弱であり、言葉の選び方。
彼にはそれが何を意味するのかは分からない。しかし、今までの彼女から感じたことのないものが今の瞬間に表れていたことは確信していた。
「・・・それはどうして?」
「無職は誰だって嫌だろ」
「・・・・・・・」
「今回の件で納得できない部分があるとしたら、それはお前個人の倫理観によるものだろう。そういう個人的で不定形な考えじゃなく事実だけで判断しろ。
私達は生じた損失を彼の実子を売り渡すことで補填する。
彼は実子を譲る代わりに私達から商品の値段を融通してもらう。
それぞれ事態が好転してるじゃないか。
あの子供は遅かれ早かれ死ぬ、ここまで生きていたのが奇跡だ。それなら瀕死の妻を生かす可能性に使った方が有意義だろ。
私達の状況に関しては言わずもがなだ」
先輩の言うことはきっと正しい。
そして僕は比較的に間違っている。
けどそれで良い。
良心は場違いで、倫理観はズレている。その所為で仕事に支障をきたすかもしれない。
それでも僕はこの仕事に就いた。この思想を抱えたまま自分の責務を全うしてみせる。
「・・何だ?言いたいことはもうないのか?じゃあ到着するまで静かにしてろ。今日は喋りすぎて、もう疲れた」
煙草を押し消した後、白煙混じりの欠伸をしながら彼女は会話を締めた。
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