第4話「浴場の事情」

 中学生の頃、父さんがこんなことを言ってきた。


奈央なお、家、改築しようと思うんだ」


 当時の家はそれはもうボロっちくて、階段は急だし、トイレは和式だし、一体築何十年なんだと聞きたくなるほどだった。かといって別に歴史があるって訳でもなかったし、そういう話が出てくるのも当然の流れだったと思う。


「何か希望とかあったら聞くぞ。どうだ?」


 こういう時の定番は「一人部屋が欲しい」だろうけど、敷地だけはある家だったので、オレとミクそれぞれの部屋は元からあった。他に希望らしい希望も無い。ボロいのが無くなれば何でもいいと思っていた。だから、この提案はほんの思い付きだ。


「うーん……風呂くらいはゆっくり入りたいかな」


 それなのに、父さんは何を張り切ったのか、完成した新しい家の風呂は、大人二人でも足を伸ばして入れるくらいに広かった。やりすぎでしょ。


――――


 というエピソードがこんな風に繋がるなんて、あの頃は思わなかった……って、女になって他の女と風呂に入るなんて、思えるわけないでしょ!


「うわっ! 広いねー」


 「ねー」じゃない! トモお前、オレの中身が男だって知ってるだろ! なんで平気なんだ!


「お姉ちゃん、いくら一緒に入るの久しぶりだからって、妹と幼馴染み相手にそんなに恥ずかしがることないでしょ?」


 ミクはミクで《変生》前を知らないからこんなことを言ってくる。それでもお前とだって一緒に入ってたの、せいぜい小学校低学年くらいの時の話だろ!


「だ、だって……」


 二人の裸体をなるべく視界に入れないようにと俯くと、今度は自分自身のおっぱいが目に入り、存在感を主張してくる。プラという拘束から解き放たれてみると、服の上からよりも大きく見えた。脱衣所でチラっと目に入ったブラのタグによると「D」らしい。それに加え、逆にモノが無くなった下半身がスースーして落ち着かない。もじもじしていると今度は体を洗っている最中のトモが声を掛けてくる。


「そうだよナオ、女同士でしょ?」


 妙に声が弾んでいる。こいつ、分かったぞ、この状況を楽しんでやがるな? よし、そっちがその気ならもう遠慮はしない。オレもお前の裸を堂々と見てやる!


「トモ」


「ん?」


 オレの呼びかけにトモがこっちを向く。しっとり濡れたショートヘア。少し焼けた細い肢体を覆うように、ほんのりと泡が乗っている。あ、だめ、やっぱりまともに見れない。一瞬で視線を反らしたものの、目には鮮明に焼き付いてしまった。トモの胸にも、裸になるとやっぱり女の子だと分かる程度の膨らみがあった。


「お姉ちゃん風邪引くよ?」


 ミクはと言えば、とうとう突っ立ったままのオレの腕を取って自分の方へと引き寄せていく。ちょっと! 胸、当たってるって! ……これ、オレのとどっちがでかいんだろう。いや別に大きさで勝ちたいとかそういう気持ちは無いけれど。……たぶん。

 ふと鏡が目に入る。いつもしているポニーテールを下ろしたミクはなんだか色っぽい。こいつ、こんなにスタイル良かったんだ。そしてその横で顔を真っ赤にしているミドルヘアの子が、オレ、ということになるらしい。落ち着き払ったミクと見比べると、どっちが姉だか……。いや、“姉”になった自覚もないけど! それにしても、こうして並んでみると体型から顔から本当にそっくりで、姉妹どころか双子でも通じそうだ。顔のつくりの一番の違いは、ミクの方が目が丸っこいところだろうか。


「ほら、さっさと洗う!」


 ミクはオレを椅子に座らせると、一番に湯船に浸かった。やっぱりミクの方がお姉さんなんじゃないかな……。さっきだって、自分から進んでヴァイスの体洗ってたし。母さんはオレにやれって言ってたのに……まあ助かったけど。ちなみにそのときヴァイスは風呂が嫌なのかやたらと暴れていたな。やっぱり喋れても猫は猫みたいだ。

 さて、ヴァイスのことはともかく、オレは目の前の難題と向き合わないといけない。そう、体を洗うというミッションに! まずはタオルを取って……と、やっぱりそこで手が止まる。我ながらなんてヘタレな……。


「ナオ? 洗ってあげよっか?」


 タオルを見つめていると、トモがとんでもない提案を口にしてきた。


「え、ええっ!?」


 さらには、そっと耳打ちしてくる。


(自分じゃ、恥ずかしいんでしょ?)


 確かにそうだけど……そうだけど!


(ボクに任せて。優しくするから)


 この……小悪魔!


「…………お願い、します……」


 結局オレは誘惑に負けた。恥ずかしくてちゃんと洗えなさそうなのは本当だったからな。トモはシャンプーをワンプッシュして泡立てると、


「じゃあ目つぶって」


 オレの髪を丁寧に洗い始めた。適当にわしゃわしゃやるわけじゃないんだ。


「痒い所無い?」


「なんか美容師さんみたい」


「ふふっ、別に大したことやってないよ」


 二人で笑い合った。ドキドキはしてるけど、意外と普通に喋れてる。大丈夫。しばらくしてシャワーの音がして、シャンプーが洗い流される。顔を上げようとしたら、もう一度頭を押さえられた。どうやらリンスをつけているらしい。


「もういいよ」


 それも終わって目を開けると、トモは既に次の作業に移っていた。ボディソープを手に出して……って、タオルじゃなくて、手に?


「トモ、あの……」


「女の子の肌は弱いんだからね」


 そのまま塗り付けようとしてくる。いや、あなたさっき自分の体洗うときはタオル使ってましたよね!?


「ほらっ、腕出して……」


 ちょ、ちょっと待って! そんなにくっついたら背中にやわらかい感触が……!


「暴れないで!」


「ひゃうっ!」


 そんなこと言われたって、そ、そんなとこ洗おうとするからでしょーーーーっ!!


――――


 ふう……。風呂がこんなに疲れるなんて……。湯船に浸かってようやく落ち着けた。といってもこの胸に掛かる浮力にはすぐには慣れそうにないけど。浴槽は二人なら十分でも三人だとちょっと狭かった。女の体格なのでなんとか入れたようなものだ。それでもやっぱり風呂は気持ちいい。天井を眺め、これからのことをぼんやり考えていると、不意にミクがこんなことを言ってきた。


「お姉ちゃん、なんでか分からないけど、ずっと避けててごめん」


 確かにいつからかオレ達はあまり互いに干渉しなくなった。ただそれは兄妹なら普通のことだと思っていた。同性だとまた違うのだろうか。


「トモも戻ってきたし、また三人で仲良くできるといいな」


 気が付けばそんな言葉が口からこぼれていた。それからは誰も何も言わなかったけど、不思議と居心地は悪くなかった。


――――


 ミクと一緒にトモをマンションまで送り届けてきた。道中は話が弾んだ。女子トーク初心者なのであまりついていけなかったけど……。

 自分の部屋まで戻ってきて、今度こそミクが乱入しないように鍵を掛けた。


「ヴァイス、話がある」


「なんだ」


 それはトモの前では言えなかった、大事な話だった。


「不思議に思ったんだよ。あの説明じゃトモが《生還者》に狙われた理由が無い」


 《生還者》は男を女に変えその際に生じるエネルギーを頂く、ということだった。その理屈なら女であるトモが狙われる理由は無い。ならば。


「トモはやっぱり、元々男だったんだな?」


「……《生還者》のうち弱いものは、自分で人を《変生》させるための《生命の根源》を惜しむ。ゆえに、強大な《生還者》が《変生》させた人間の“食べ残し”を狙うのだ」


 つまり、トモは引っ越してる間に既に別の《生還者》に襲われていた、ということか。オレのあの頃の記憶も正しかったというわけだ。


「主に見えているのはその《生命の根源》の残滓。主は生まれつき《生命の根源》を感知する力を持っているのだ」


「オレの“目”のことは知っていたのか」


「当然だ。だからシューツピリッツァーとして選んだ」


 オレの目に映っていたのは、その人の本来の姿だったということらしい。


「その能力は主が持つ《生命の根源》の豊潤さに起因している。主は《変生》したものの、手つかずの、しかも常人より多量の《生命の根源》を保有している。主が戦うまいとしても《生還者》はそれを狙って向こうからやってくるぞ」


 なるほどな。風呂の前に聞きかけたのはそういうことだったのか。


「ナオよ。友人が被害に遭ったと知り、戦いも避けられぬと知り、まだ白を切り通すつもりか?」


 こいつ、自分で巻き込んだことをすっかり棚に上げてるな……。少し怒りを感じつつも、オレはあくまで冷静に、こう答えた。


「変わらないよ。トモには女として生きてほしいし、こっちから《生還者》を潰しに行こうとも思わない」


 それがオレの、長い一日の末に出した結論だった。

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