第3話「因果の改竄」

「おかえり! っ!」


 妹の未来みくは何の疑いも持たずにそう言った。


「あ、ああ……」


 オレが“軽島かるじま奈央なお”だとどうやって証明するか、さっきまで必死に考えていたが、その努力は完全に水の泡となった。オレとミクは元々二人兄妹だ。ミクの“姉”に該当する人物は本来なら存在しない。ミクが女になったオレを「お姉ちゃん」と呼ぶなら、つまり、『オレ=軽島奈央=ミクの“姉”』という認識が今のミクの中では成立しているということだろう。

 そんなことを考えているうちに、奥からもう一つの人影が姿を現す。言うまでもなく母さんだ。


「ごめんね、おつかい頼んじゃって。あら? お友達も一緒?」


「こんばんは、お久しぶりです。手塚てづかともです」


 トモがぺこりとお辞儀をした。すると母さんはぱっと晴れた顔になる。


「まあ、トモちゃん! 聞いたわ、こっちに帰ってきたって! 大人になったじゃない! どう? 食べていかない? お父さん飲み会だって言ってたからお寿司一人分余っちゃうのよね」


「いえ、そんな悪いですよ」


 はぁ、また母さんの悪い癖が出たか。しょうがなく、オレは困っているトモに助け船を出す。


「そんなこと急に言ったって、トモん家だって晩飯用意してるだろ」


「それもそうね……ちょっと電話してくる!」


 いや、諦めてほしかったのだが……。そう言う前に母さんは奥に引っ込んでしまった。トモは「しょうがないなあ」といった感じで今度はミクに話し掛ける。


「ミクちゃんも、久しぶり」


「トモねえだったんだね! 懐かしい~」


 うーん、昔のこいつらの関係がどんな感じだったのかいまいち思い出せない。仲悪くなかったことだけは確かだが。


「で、そっちの猫ちゃんは?」


 しまった! 自分の身の振りだけ考えてたら、こいつの説明については全く考えてなかった!


「えーっと……」


 いい答えが思い付かずにヴァイスの方を見るが何も言ってくれない。口を開かれたらそれはそれで困るが。ミクは口ごもって猫を見つめるオレの様子をなにか勘違いしたようだ。


「飼いたいの?」


「まあ……」


 実際一緒に住みたいのは確かだ。監視と情報収集という目的で。でも「飼いたい」って表現だとなんか……オレがこいつの魅力に負けて連れてきたみたいじゃないか。違う! 断じて違う! その誤解は解きたい……はっ、そうだ! 名案!


「トモが前の家で飼ってたけど、こっちだとペット禁止のマンションだから飼えないんだよ!」


「そうそう! ごめんだけど預かってくれないかな?」


 オレの目配せに気付いたトモが話を合わせてくれる。オレの自尊心を保つためだけの、別にしなくてもいい設定合わせに付き合ってもらって悪いな。

 そこに、電話から戻ってきた母さんが話に加わる。


「いいんじゃない? 奈央、面倒くさがりだし。動物の世話だったらサボれないでしょ」


 あー、そういうのがあるのか……こいつなら自力でどうにかやってくれないかな。


「さ、手塚さんも良いって言ってくれたから、みんな入りなさい」


 おばさん、負けちゃったか……。まあ、母さんが相手だとそうなるよな。


――――


 特に何事もなく食事を終えた後、トモとヴァイスと一緒にオレの部屋に上がる。物の少ない落ち着いた部屋。妹の、いかにも“女の子!”といったファンシーな部屋とは対照的だ。その中に、おつかいに行く前には無かったものが二点増えていた。一つは鏡台。そしてもう一つは……


「わっ、わわっ!」


 ……部屋に干しっぱの女性用下着だった。


「別に慌てて仕舞わなくてもボクは見慣れてるけど」


「オレが見慣れてないんだよっ!」


 気にしていなかったけど、肌の感覚だともう身に着けているっぽいんだよな、こういうやつ。うぅ、下着の柄がいかにもオレの趣味って感じだから恥ずかしい……。クローゼットに押し込んだけど、淡いピンクのレースが目に焼き付いて離れない。


「つ、つまり、『因果をねじ曲げる』ってこういうことなんだなヴァイス?」


 強引に話を進める。猫は特に何の感慨もなさそうに、オレの質問に答えた。


「そうだ。《変生》によってエネルギーを得るには、その分の《生命の根源》を因果から切り離す必要がある。簡単に言うと、その者が“元から女だった”ように因果を改竄かいざんしないといけない」


 だからミクも母さんもオレが女であることに疑問を持たなかったし、部屋も、その……変わってたのか。と、すると……。

 オレが考え込んでいるうちに、トモが新たな質問を投げる。


「あの狼男は何だったの?」


 トモの真剣な顔に、例の少年の顔がちらつく。まずい、と思った。


「“あやつら”は、強引に男を女に《変生》させ、奪った《生命の根源》を自らの血肉へと還元する正体不明の生物――《生還者せいかんしゃ》だ」


 ああ、やっぱりだ。オレの中で“あること”が繋がった。悪いけど、トモにこれ以上質問させるわけにはいかない。トモが何か言う前にオレは早口で聞く。


「その《生還者》とやらを始末するのがお前の目的か?」


「ああ。あやつらに《変生》させられた者は自身が男だったことすら忘れる。証拠は残らない」


 そしてヴァイスは改めてオレに向き直る。


「人間の協力者が必要だ。ナオ……と言ったか。勝手で悪いが、シューツピリッツァーとして協力を仰ぎたい」


 本当に勝手だな。でもいいよ、オレの答えは決まったから。


「嫌だ」


「えっ! ナオ!?」


「別にいきなり女にされたからってわけじゃない。そりゃ怒ってるし戸惑ってもいるけど、男としてやりたいことがあったわけでもないし……」


「ではなぜ拒否する」


 よくぞ聞いてくれました! オレは笑いながら答える。


「面倒くさいからだ」


「ちょっと! ナオ!」


「だって、その“被害者”は別に何一つ不自由なく、自分が男だったとも思わずに暮らしてるんだろ? じゃあ別にいいじゃないか」


「でも……」


 トモが反論したそうに口をパクパクさせる。こっちもダメ押しするべきか? そう考える中、次に発言したのはヴァイスだった。


「ふむ、まあよい。主がそのつもりでも、あやつらはそうはいくまい」


「なんだって?」


 オレが聞き返したそのときだった。「バン!」という音とともにミクが部屋に飛び込んできて、元気な声でシリアスムードをぶち壊した。


「お姉ちゃんっ! お風呂! みんなで入ろっ!」

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