第2話「《生命の根源》」
鏡に映った“オレ自身の顔”は、同じ鏡に映った女の顔にダブる影でしかなかった。じゃあこの妹そっくりの女は誰なのか。オレは自分の頬をつねってみる。鏡の中の女も頬をつねっている。頬は思ったよりよく伸びた。
「……は?」
体を見下ろすと、ほどよく実ったふたつの膨らみが目に入る。
「な……これ……」
あっ!
嫌な予感に襲われ、慌てて股間を手で押さえると、そこにあるはずのモノが無い。マジか……。
もはや認めるしかない。その女は、オレだ。
「どう、なって……」
ハッと気付いてオレは白猫を睨む。そうだ、こいつが持ってきた剣がそもそもの原因じゃないのか。オレの視線に、猫は気に病むでもなく平然と答えた。
「主は《変生》したのだ。シューツピリッツァーとしてな」
「シュ……?」
「シューツピリッツァー。《生命の根源》を操る戦士だ」
またその言葉か……。
「いや、まずその《生命の根源》ってのが何なのかをだな……」
「《生命の根源》とは、ヒトが将来産み出せる生命の“可能性”のことだ。それは性別によって大きく差がある」
「女の人の方が生命を産み出せるから、ナオを女にしたってこと?」
横から口を挟んできた
「否。確かに女には生命を体内で守り育てる力がある。しかし《生命の根源》はそれよりさらに根源的なもの。女が万単位の“可能性”を肉体に宿すのに対し、男は億単位のそれを持つ」
「億……」
「男が女に《変生》することによって、その差分の“可能性”――生命を、エネルギーとして還元することができる。」
「そのエネルギーを操るのが、シューツ……なんとか?」
「そう、それがシューツピリッツァーだ」
今の説明に引っ掛かる部分がある。矛盾があるとか何か隠しているとかいう類いの引っ掛かりではない。不安を覚えたのだ。その不安要素を、聞かずにはいられなかった。オレは恐る恐る口を開く。
「で、そのエネルギーを使ったら戻れるん……だよな?」
「否、だ」
肯定形で聞くというささやかな抵抗(何の意味も無い)も虚しく、呆気なく、猫は絶望の台詞を吐いた。
「因果をねじ曲げる《変生》にはそれ自体にも一定量の《生命の根源》を必要とする。《生命の根源》が減った状態では元には戻れぬ」
「『因果をねじ曲げる』?」
なぜかその部分が気になった。本当はもっと他に戻る方法が無いか聞きたかったはずなのに……。しかしオレは『因果』という単語が出てきた瞬間、背筋がゾクッとする感じを覚えていた。体を変えるだけじゃないのか?
「うむ、それは……」
ブーッ! ブーッ!
突然、スマホが電話の呼び出しを告げる。オレがそれを手に取るのを見て、猫は黙った。発信元は母さん。
『
「ごめん、途中で友達に会ってさ。話し込んでた」
『それならいいけど……気を付けてね』
「分かったよ」
会話はそれだけだった。オレはこの時、あまりにも自然に話せていたという不自然さに気付かなかった。とにかくこう思っていた。早く帰りたい。
「おい猫、お前は連れていくぞ。聞きたいことはまだまだあるからな」
「無論、こちらもそのつもりだ。それと、吾輩の名はヴァイスだ」
こいつ、野良猫(多分)のくせに一丁前に名前を持っていやがった。
「あの、ボクもついていくよ」
手鏡を鞄にしまいながら、手塚知がそう言った。
「おばさんに挨拶したいし、ナオの今の状況を説明しなくちゃ……」
まるで母さんを知ってるかのような言い方をする。そういえば昔は“あいつ”とも家族ぐるみの付き合いだった。そんなことを思い出す。やっぱり、こいつは、
「お前……トモ、なのか?」
オレがそう聞くと、手塚知は呆れた表情で笑った。
「だから、最初っからそう言ってるじゃん」
――――
トモと肩を並べて歩く。話題は、離れていた10年分のあれこれ。といってもオレの方は特に何の面白エピソードも無い。自然と、トモの陸上の話になる。
「でさ、最後の1周で抜き返されて……あーもう今思い出しても悔しいっ! 今年は絶対ぶっちぎってやる!」
去年、県総体の3000mで9位だったそうだ。あとちょっとの所で入賞に手が届かなかったらしい。
「行けるよ、トモなら」
オレは少し目を反らし気味に言った。トモが眩しかったからだ。こいつは頑張っている。こんな小さな体で。今日だって、聞けば早速夕練に参加してきたらしい。
「ありがと。……この辺だっけ?」
「そこの角を曲がったらあとは真っ直ぐだ。思い出してきたか?」
トモが嬉しそうに頷く。こいつ、犬の尻尾付けたら似合いそう。
「そういや、前の家に住んでるのか?」
“住所”繋がりでふと気になった疑問をぶつけてみると、トモは少し寂しそうな顔をした。
「いや、前の家は取り壊しちゃったんだ。今はマンション」
それからこっちを向いて微笑む。忙しい表情筋だ。
「今度ナオも招待するね!」
「ああ、追い出されたら早速今日からお世話になるかも」
家が近付いたからか、オレは今の自分の姿を思い出していた。
「あ、そういう意味で言ったわけじゃ……」
分かってる。こっちだって冗談……のつもりだったが、急に不安になってきた。小一時間の外出の間にいきなり女になって帰ってきたオレを、家族は信じてくれるのか。結局それは悪い意味で杞憂だったのだけれど。
「ここだ」
どこにでもある普通の一軒家、
うちのインターホンはカメラでこちらの様子を確認できる。客観的に見れば見知らぬ女子2人と猫1匹。どう見ても怪しい。最悪無視されるかも……。そんな風に考えていたが、意外にもすぐに鍵の音がした。
ドアが開く。その先に、今までオレに向けたことのないだろう笑顔をした妹の姿があった。
「おかえり! お姉ちゃんっ!」
妹の
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