千二百円

 A県T市のA駅近くにその店はある。

 田舎のせいか妙に広い大学の敷地を突っ切り、田舎のくせに妙に交通量が多い横断歩道のない道路をそのまま渡るか田舎らしく妙に距離がある左右どちらかの横断歩道を渡れば店に着く。

 その日が雨だったか晴れだったか、寒かったか暑かったかはもう覚えていない。覚えているのは、両手の指では足りないほどの回数その店へ行ったことだ。

 だから、雨の日でも晴れの日でも、寒い日でも暑い日でも行っていたのだろう。少なくとも、その店へ行くのに天気や季節が妨げとなることはなかった。

 店へ行ったのは深夜十二時を回った頃だった。その日は酒を飲みつつ麻雀を打っていたので木曜日だったと思う。サークルの活動が終わってからはサークル室で何かしらして遊ぶのが通例なのだ。深夜二時か三時まで開いている、もとい空いている店なので時間がその店へ行くことの妨げとなることはなかった。

 麻雀の戦績は惨敗か快勝だった。六万点を超えるときもあれば、マイナス一万点を下回るときもある、両極端な結果に終わるのが常だった。

 麻雀を打っていたからには四人いたわけで、店に向かったのも四人だった。別の日には下宿している先輩と二人で行くこともあったし、ひたすら酒を飲んでいた三人、あるいは五人で行くこともあった。

 つまるところ、その店に行くのに天気も、時間も、人数も気にすることはなかったのだ。


「いらっしゃいませ~」


 やる気のなさそうな店員の挨拶を受けながら店内を進み、靴を脱いで座敷席へとつき、メニューを開きながら会話を続ける。会話の中身は小説の書き方だったり、ジャンル分けの話だったり、はたまた今週読んでいた週刊誌の話だったり。とりとめもない話、というのはこういうものを言うんだろうと今になって思う。

 席についた私たちは適当にセットメニューを注文していく。たしか、私は餃子セットで友人(あるいは先輩、ないしは後輩)はエビチリかエビマヨセットを頼んでいたと思う。麻婆豆腐セットだったかもしれない。

 そのセットを頼む上で重要なのがメニューに映っていた写真だった。サークル室で酒を飲んでいた私はなぜか無性に餃子が食べたかったので餃子セットを頼んだ。

 餃子セットの写真には餃子と、ご飯の入った茶碗と、茶碗と同じくらいの器に入ったスープ(?)しか映っていなかった。漬物の入った小皿の写真もあったかもしれないが今となっては記憶が定かではない。ただ、大きな皿はそれだけだったのは確かだ。


「は~い」


 厨房の奥に引っ込んだ店員を呼ぶと、やる気のなさそうな返事を返しながらも私たちの注文を聞き取ってメモしていく。


「スープはどうしますか?」


 スープの味? 茶碗サイズのものなのに何種類も味があるのだろうか。よく分からなかった私はとりあえずしょう油と答えた。


「ではしばらくお待ちください~」


 店員が再び厨房へと引っ込んだのを見て、私たちは会話を再開する。次の学園祭ではどんな小説を出すのか、また例年通りの食べ物を出すのか、そういえばバザーの品物って何か準備したのか……主に学園祭の話が中心だった。私のいたサークルでは学園祭で小説を発刊するのだ。ちなみに一番売上が大きいのがみんなが家から持ち寄ってきた数年前のアニメキャラクターのフィギュアだったり、その手の店の特典だったりといったがらくたを売るバザーである。残念なことに小説はあまり売れなかったのだ。もっとも、身内で読むために発刊している節もあるのでそれほど気にすることでもなかったが。


「お待たせしました~」


 店員が持ってきた餃子セットを受けとって私は思わずメニューの写真を見返した。それほどまでに実物と写真は食い違っていた。

 漫画みたいに山盛りのご飯の茶碗はまだいい。写真じゃそんなに盛られていなかったはずだが許容範囲内だ。

 餃子があるのは分かる。これが食べたくて注文したのだから。

 だが――


「――ラーメンなんて頼んでねえぞ!?」


 茶碗くらいの器に注がれていたスープの代わりのつもりなのか、大きな丼ぶりに入ったしょう油ラーメンが我が物顔でお盆の上に鎮座していた。

 しかし、ラーメンはギリギリ許容できるものだった。思えば、店員にスープの味を聞かれたときに察するべきだったのだ。

 それよりも異質なのが――


「――お前は絶対頼んでねえぞ、から揚げぇっ!」


 握り拳大ほどもある、強い主張をはたしているから揚げは何度メニューを見返しても餃子セットには映っていなかった。ならば現実に私の目に映るこのから揚げは何なのだ。幻覚なのか。それよりは店員がバグってセットメニューにはから揚げをつけるものと思い込んでいる方が納得できる。

 しかし、私は餃子セットを頼んだのは餃子が食べたかったのもあるが、このセットにはから揚げがついていないからという理由の方が大きいのだ(他のメニューにはから揚げがついている)。私の胃袋は無限じゃないのだ。餃子とラーメンとから揚げなんて容量オーバーしている。


「どうした、食べないのか?」

「いや、食べます」


 私のセットメニュー多すぎる詐欺にげらげらとひとしきり笑った先輩の言葉に思わず言い返す。皿に乗った分は不味かろうと多かろうと食べる。私なりのルールだ。ちなみにこの店の料理はそれほど美味しくない。深夜まで開いていて空いているのだけが利点だ……たった今料金に対して量が多いという利点か欠点か分からなものがついかされたが。


「食べ切ってやらあっ!」


 箸を手にとった私はラーメンから取り掛かる。麺が伸びたラーメンはラーメンではない。ゴムみたいな食感のスープに浮かんだ食用ゴムだ。だからラーメンはそうなる前に食べ切る必要がある。

 一番始めに取り掛かったはずなのにビニールとゴムを折半したような食感の麺を嫌々啜りながら食べ終えた私は餃子を机に備え付けてあったおそらく醤油と思われる調味料をかけてラー油をかけながら食べる。辛味で舌と頭を誤魔化さないと食べ切れないと判断したからだ。途中で握り拳大のから揚げを齧ってその体積を減らしてやることも忘れない。

 ご飯をかっ込みながら皿に乗る全てを制圧した私は手を合わせてごちそうさま、と告げた。「早くね?」と言われたがゆっくり食べるのは満腹中枢が満たされてしまうのだ。満腹中枢が満たされるより早く食べ終えなければならない。そうすれば、腹十二分目を訴える体は店を出た後にしか現れない。

 私に遅れること十分少々(まあ、話しながら食べていたのもある)で食べ終えた友人たちと会計をして店を出る。


「お~、気持ち悪っ」


 酒、餃子の油、から揚げの脂のトリプル役満で激しく気持ち悪い状態になりながら帰路についた私は「次は単品で頼もう」と一緒に行った友人と誓いながらも翌週には同じようにセットメニューを頼んで後悔していた。アルコールは人の判断力を鈍らせるのだ。


 ――――


「そうだ、大学近くに中華屋あったじゃないですか。あそこにしましょうよ」


 その日は、サークルのOBたちが集まって課題図書の感想を言い合う会だった。課題図書は海外のミステリー作家の小説だ。トリック以上に文化的違いと翻訳の齟齬に辟易した。

 読書会が終わり、どこかでお酒を飲もうかという話になったと思う。そこで私は久しぶりにあの店へ行こうと、提案してみた。してみたが――


「ああ、あの店潰れたよ。マッサージ屋になったってさ」


 ――私の提案は無情な時の流れに潰された。私がその時感じたのはきっと郷愁と呼ばれるものだろう。







 結局、その日の飲み会は駅から少々離れたところにある海外ビールの美味しい店だった。わりと何度も行って愛着のある店なので潰れないでほしいと思う。





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ログ:食事 東堂栞 @todoshiori

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