第13話 もうひとりの男
翌日、七瀬はいつものように食堂で朝食として出された粥を食べていた。
(今日リウンに会ったら、またナナセって呼んでもらえるのかな)
昨日リウンとした会話を思い出しながら、七瀬は頬を赤らめた。呼び捨ては気恥ずかしいが、嬉しさもそれなりにはあった。
明らかに上機嫌の七瀬の様子に、女官がお茶を淹れながら尋ねた。
「何か、良いことでもあったのですか?」
「まぁ、ちょっとね」
七瀬ははっきりとは答えず、付け合せの漬物を口に放り込む。
すると、そのとき食堂の扉が開いた。
七瀬はリウンが来たと思い、顔を上げた。
だが、現れたのはリウンではなかった。
入ってきたのは、キエンである。
「おはようございます。リウンは別件があるんで、今日は俺がお仕えします」
キエンはずかずかと中に入り込み、ナナセの前の席に座った。
そしてリウンと造りだけは同じ顔で、七瀬が食べていない朝食の饅頭をじっと見つめる。
「美味しそうですね、それ」
「食べたいなら、食べていいけど。私には食べきれないし」
「本当ですか? じゃあもらいますよ」
七瀬が勧めると、キエンは饅頭を掴みとりかぶりついた。そこに遠慮というものは一切なかった。
(私、今までこの人と話したことなかったよね? 初めての会話にしては、めっちゃ気安いんだけど……)
突然のキエンの登場に、七瀬は唖然とした。キエンはリウンと姿はよく似ていたが、それ以外の部分はありとあらゆる意味で違っている。
状況を把握していない七瀬を置き去りにして、キエンは軽いナンパのような調子で七瀬に提案した。
「それで、今日はどうします? 予定ないなら、町にでも行きませんか」
「町? この近くに町なんかあるの?」
七瀬は驚いて聞き返した。
宮殿の外は、湖や森があるだけだとばかりだと思っていた。
「普通にちょっと行ったところにありますよ。まぁ、リウンの案内じゃ行くことはないですね。あいつは町へ行くという発想がない堅物ですから」
二個目の饅頭を手に取って、キエンは小さく笑った。
その笑顔にはリウンへの友情が一応は感じられたので、七瀬は少しは安心した。
「じゃあ、町をみせてもらおうかな」
「なら、女官に着替えを用意させますね。もう少し軽い服の方が、歩きやすいと思いますし」
七瀬が誘いにのると、キエンは女官に指示を出した。
リウンにはない気遣いだと、七瀬は思った。
数十分後、七瀬は動きやすい服装に着替えて馬車に乗っていた。
淡い橙色の前あわせの上衣に、落ち着いた朱色に染められたスカートのようなものを身に着ける。仕立てはそれなりには良いが、裾の丈もほどほどの長さでかなり気が楽な装いだ。
「見たいものとかありますか? 陛下からお金もらってあるので、たいていのことはできると思いますけど」
キエンが今日の予算の入った巾着を懐にしまいながら言う。
彼もまた兵士の格好ではなく、私服らしきものを着ていた。青色の上着を唐草模様の帯で留め、焦げ茶の細身の袴を着た姿はやや派手であるがバランスは取れており、軽薄だが妙な色気を持つキエンによく似合っている。
「揚げ物とか麺類とか、屋台のお菓子とか、そういう安っぽいけど美味しいものが食べたいな」
きっちりとした宮殿の料理に飽きてきた七瀬は、ジャンクフード的なものに飢えていた。
「じゃあ南通りに美味しい麺の屋台があるので、そこへ行くということで」
そう言って、キエンは七瀬に微笑みかけた。
黄褐色の玉でできた耳飾りが耳元で揺れて、甘いキエンの笑顔をより魅力的にする。
(キエンもやっぱり綺麗な顔だな……。私の好みの雰囲気じゃないけど)
キエンの見目の良さに、七瀬は思わず条件反射で見惚れた。
キエンはリウンと違って自分の顔の出来が良いことを自覚しているらしく、七瀬の視線に気付くとからかうような表情になった。
見つめてしまったことをごまかすため、七瀬は慌てて質問をこしらえた。
「そういえば、リウンは別件って何かあったの?」
「陛下が命令したんですよ。どっかの叛逆者の一家を殺してこいとか、そんな内容だったと思います」
キエンは肩を落とし、ため息交じりで答えた。仕方がないで全部済ます、冷酷に近いほどの図太さをキエンは持っている。
「何でまた、リウンにやらせるんだろう……」
何の躊躇もなく人を殺していそうなキエンを前にして、七瀬は思わずつぶやいた。
するとキエンは腕を組んで、背もたれに体を預けてせせ笑った。
「そりゃまぁ、陛下はリウンがお気に入りですから。あなただって気づいてますよね? 陛下は俺みたいな人の苦しみに鈍感な人間も重宝してくれます。でも趣味としては、ああいういちいち思い悩むような奴に人を殺させるのが好きなんです。軍とかでも似たような人材を配下にしてますし、筋金入りですよ」
「じゃあ、どうしてそんなお気に入りを私に?」
キエンが指摘しているように、ディオグがリウンに殺人を強いて楽しんでいることは知っていた。だがそのリウンを七瀬に仕えさせた理由がわからない。
しかしディオグの側近でリウンの友であるキエンには簡単な疑問だったようで、すぐに答えは返ってきた。
「たまには自分から離して休息を与えないと、駄目になるからでしょうね。リウンは父親を殺すことになったり、昔からいろいろありましたから」
「え……?」
父親を殺したという一際物騒なフレーズに驚き、七瀬は目を丸くしてキエンの方を見た。
「あ、まだ知らなかったんですね。それなら詳細は、陛下から聞いた方が……」
キエンは七瀬の反応を見て、口をつぐもうとした。リウンについて七瀬に語るというディオグの楽しみを邪魔してはいけないと考えているのだろう。
だが七瀬は、キエンに詳細を催促することにした。聞いたら引き返せなくなるとはわかっていても、我慢することはできなかった。
「いや、いいよ。そのまま教えて」
「わかりました。じゃあ要点だけ……」
七瀬が求めると、キエンはあっさりとつぐもうとしていた口を開いた。
それは七瀬の理解の範疇を超えた、悲惨な過去であった。
「邑の長だったリウンの父親は、ある日この国に対して叛乱を起こしました。叛乱の平定のためにその邑を攻めに来た指揮官が、当時まだ王弟だった陛下です。そこそこ戦上手だった陛下はさっさと叛乱を平定し、リウンの父やリウンを捕らえました。そのとき俺とリウンは十歳でした」
自分自身もある程度は被害者であったはずだが、その点はあまり感じさせない調子でキエンは語った。
「陛下はリウンに、本来なら反逆罪で全員処刑が当然だけれども、リウンが父親を殺せば他の人間は助けると言いました。まぁそもそもリウンの父親が叛逆したのは、陛下の出した鉄の無理な増産の命令に耐えかねてなんですけどね」
ディオグの要求の理不尽さに、キエンは苦笑する。
(そんなのって……)
幼いリウンにディオグが持ちかけた残酷な取引に、七瀬はふつふつと怒りを感じた。とても人の所業とは思えないことだと、七瀬は思った。
そしてキエンは、その後の話をざっくりとまとめた。
「でも陛下にひどい折檻を受けて何も考えられなくなっていたリウンは、言われるままに父親を殺しました。その時陛下は、父親を殺したリウンに言いました。私がお前たちの命を助けたのだからそれを忘れるな、と。それからずっと、リウンは陛下の言いなりです。邑の人々は結局、ここに連れてこられた俺とリウン以外全員、鉱毒と土砂崩れで死にましたけど」
話し終えたキエンの表情は、半分当事者であるにしては驚くほどそっけないものである。
だがいくら淡泊な方だとはいえ常識人である七瀬は、そこまで割り切った気持ちにはなれなかった。
(折檻して判断力奪って恩を売る。そして親殺させて言いなりにって、洗脳じゃん)
リウンがどんな仕打ちを受けてもディオグに従い続ける理由を、七瀬はそのときやっと本当に知った。リウンはその責任感や罪悪感を利用され、ディオグに身も心も支配されたのである。
(どうしてディオグみたいな人が王なんだろう……)
七瀬はリウンへの同情だけでなく、ディオグへの怒りも強く感じるようになっていた。
だがそれもまたはけ口のない感情で、七瀬の心は袋小路に立ち続けた。
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